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I園O茶新俳句大賞に今年も応募しました [その他]

今年もI園の新俳句大賞に応募しました。締め切りは2月28日です。ネットからも応募できますのでお早めにどうぞ。




応募は1人6句まで。一般の部は40歳未満と40歳以上に分かれています。毎年、子供たちの応募数がものすごい数になります。学校単位で応募するからでしょう。それと比べると大人はそれほど多くありません。とは言っても前回の応募総数は全体で3,700万句を超えていたそうです。すごいですね。

一次審査で約2万句まで絞られるそうです。二次審査ではさらに半分の約1万句まで絞られます。

おそらく、この二次審査を通過した人に、封書で「二次審査通過回答シート」という書類が送られてきます。シートには氏名や住所、年齢などの確認とともに、二重投稿をしていないか、すでにどこかに発表をしていないか、などをチェックするアンケート。さらに句を作ったときの状況や気持ちを書く欄があります。シートは返信用の封筒で送ってもいいしネットで回答することもできます。

その回答を受けて、上位約2,000句を最終審査員が検討するそうです。二重投稿やすでに発表した句があると繰り上がって当選することもあり、これを「敗者復活選考」と呼んでいるようです。

最終的にパッケージに印刷される俳句は2,000句なので、二次審査回答シートを送ったからといって必ず入賞するわけではありません。むしろ8,000句は落選するわけです。

1つの句がパッケージに掲載されるまでの倍率は約18,500倍です。1人6句応募したとすると、自分の名前が掲載されるには約3,000倍の倍率になります。狭すぎる門ですね。

5月には最終審査があり入賞作が決定します。文部科学大臣賞は賞金50万円、各部門の大賞はそれぞれ20万円。優秀賞には5万円、さらに上位入賞300作にも賞金があります。

佳作特別賞までの2,000句に入れば、賞状と作品集、それに自分の俳句がパッケージに印刷されたO茶が1箱(24本)送られてきます。市販されるお茶には3句が並んでいますけど、送られてくるお茶は自分の句だけです。追加注文もできるみたいですよ。


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発表は毎年7月7日です。賞状と賞品はすぐに送られてきますけど、句が印刷されたお茶が世間に出るまではしばらく時間がかかります。忘れた頃に「あなたの句が配られたお茶に載っていてびっくりしました」なんてメールが来たりします。コンビニやスーパーで見つけると思わず買ってしまって、1年くらいはお茶の銘柄はO茶ばかりになります(笑)

5年ほど前に佳作特別賞をいただきました。それから毎年応募していますが、一昨年シートが送られて来たものの落選でした。賞をいただいた句はこれです。

 老い満ちて母口ずさむ聖夜かな

という句です。

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「老いる」ということは何か寂しく衰えていくイメージがありますが、晩年の私の母を見ていると「老いる」ことは「満ちる」ことなんだなあと感じました。もちろん体力はなくなり、新しいことを覚える能力も失われてしまいます。かつて美しい母は子供の私にとって自慢でした。それがすっかり皺だらけ。しかし、生きる知恵を身につけ、多少のことではへこたれない根性を培い、たくさんのいい思い出をため込んでいる母は、とても充実して見えました。また、人の話にしっかり耳を傾け、いつも笑顔を絶やさない母の姿は人間として美しいと感じました。

「老いる」というのは人間として「満ちる」ことです。初句の「老い満ちて」を思いつくことでこの句はほぼできあがりました。

迷ったのは「聖夜」でした。最初はクリスマスの歌ということで「聖歌」としたのですが、「聖歌」だと教会で歌うようなイメージが強いので、クリスマスイブを表す「聖夜」としました。前に「口ずさむ」とありますから、歌っていることは容易に想像できますからね。結果的に「聖夜かな」で世界をぐっと押し広げることができたと思います。

孫を連れて行く日には、母はいつも台所にいます。前の日からずっと私たちに何を食べさせようか考えていたのだと思います。テーブルの上には私たちの好きな料理が並び、台所にいる母は汁物を温めていて、なかなか食卓につきません。

その日はクリスマスイブ。台所から母の鼻歌が聞こえてきます。どうやら「ジングルベル」のようです。一人暮らしの母にとっては、息子が孫たちを連れて来てくれた聖夜がどんなに楽しかったことでしょう。

その夜、孫たちに戦争体験を話してもらいました。私が子供の頃に何度も聞かされた話です。空を埋め尽くす銀色のB29のブルルンブルルンという爆音。焼夷弾が落ちてくるときのヒューヒューという不気味な音。疎開先の秋田から帰る途中で機銃掃射を受けたこと。学校の帰りに突然空襲警報が鳴り、知らない家の防空壕に入れてもらったこと。そんな体験をひとしきり語った後、母は背筋を伸ばして言いました。

「でもね、どんなに大変なときも、おばあゃん、恋もしてたわよ」

息子2人はまだ小学生でした。ほんとに素敵な母でした。
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「うたは無駄の中にある」 [その他]

BEGIN「うたの日コンサート2020in石垣島〜with JALホノルルマラソン〜」という配信を観ました。昨年12月に配信された無観客のうたの日コンサートの再配信です。

石垣島の夕暮れを背景にしたコンサートは実に素晴らしいものでした。

もともと私はBEGINのファンなので、すべての楽曲が染みました。

でも、最も感動したのはコンサートの後半でボーカルの比嘉栄昇さんが言った、
うたは無駄の中にある」という言葉でした。

コロナ感染によって会社帰りに一杯飲むことがやり玉に上げられています。しかし、栄昇さんは言いいます。
「会社から自宅にどこにも寄らずに帰れる人は幸せな人。どこかに寄って一杯引っかけずには帰れない人がたくさんいる。それは無駄に見えるかもしれない。でも、そこにこそ『うた』がある」

演劇やミュージカルは無駄なのでしょうか?

ミュージシャンのライブは無駄なのでしょうか?

ダンスを踊ること、芸を見せることは無駄なのでしょうか?

合唱をすること、カラオケに行くことは無駄なのでしょうか?

友人や仲間と酒を飲んで騒ぐことは本当に必要のないことなのでしょうか?

いや、それらの中にこそ人間が生きるために必要な「うた」があるのです。

うたの日」コンサートはさだまさしさんが故郷の長崎で行っているコンサートに出演したことがきっかけで、自分たちも地元のために何かできないかと始めたのだそうです。

先の大戦で国内で唯一戦場となった沖縄。その沖縄戦が終結した日は6月23日でした。BEGINはその翌日の24日を「うたの日」と決めて、20年のあいだ毎年その日の近くにコンサートを開いてきました。

もともと琉球の人々は踊ることも歌うことも大好きだったといいます。酒を愛し人を愛し、自然の恵みに感謝して平和に暮らしていました。

ところが、軍事的な重要拠点として日本軍の統制が厳しくなると、内地の人間には理解できないウチナーグチ(方言)を話すことも禁じられ、学校では方言を使うと「方言札」を掛けられ罰せられました。方言を話していたためにスパイと疑われて処刑された人もいたそうです。

米軍が上陸して戦闘が始まると、歌うことや踊ることはもちろん、大きな声で笑ったり泣いたりすることさえも許されなくなりました。人々はガマ(洞窟)の中でじっと息を潜めていなければなりませんでした。

栄昇さんも話していましたが、乳飲み子がひもじくて泣くのを日本兵から「うるさい」と咎められ、母親が口を塞いで殺してしまったという悲劇もあったそうです。

1945年6月23日。沖縄戦の一応の終結によって、人々はようやくまた歌えるようになりました。そのことをお祝いしようというのが「うたの日」の趣旨だそうです。

「今の状況とよく似ている」と栄昇さんは言いました。

今、コロナによって「うた」は封印されています。誰もがマスクで顔を覆って、まるで歌うことも笑うことも禁じられているかのようです。

コロナ感染の脅威から解放されたとき、その日は私たちも思い切り歌い踊るでしょう。その日もまた「うたの日」になるのです。

うた」は無駄の中にあります。生きるということはただ息をして食べるだけではありません。「そんなこと無駄だ」と人が言うことの中にこそ、実は人間一人ひとりの生きる意味があるのではないでしょうか。

そうでなければ名曲も名画も生まれはしません。モーツァルトやビートルズ、西行や芭蕉、そして手塚治虫や宮崎駿も、みんな無駄と言われるものの中から生まれてきました。

配信は2月8日までだそうです。
3時間以上ありますから時間に余裕があるときに観てください。ちょこちょこCMも入りますけど、きっと後悔はしません。ぜひぜひ観てください。

https://www.youtube.com/watch?v=Ufhdj6CzbMc
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妻の誕生日に花を贈る [その他]

昨日は妻の誕生日だったので花を贈った。思いのほか喜んでくれた。

わが家は猫が3匹いるから、花を飾るのは猫がけして立ち入らない唯一の聖域、つまりトイレ。昨年リフォームしたばかりのトイレに花がよく似合う。

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ちなみにリフォーム代の何割かは昨年いただいた文学賞の賞金を使った。その前に賞金をいただいたときには洗面台が壊れてリフォームした。次に何が壊れるか心配だが、きっとそのときも何か賞をいただけるに違いない。

妻への贈り物は難しい。昨年の12月で結婚30周年だったから、何か記念に残るものをと考えた。妻はあまり装飾品を好まない。いちばん興味があるのは食べることなので、とりあえず当日は彼女が希望する日本料理店に行った。次に好きなのは旅行。コロナ騒動が終わったら好きなところに連れて行きたい。でも今は我慢だ。

ふとマルセル・マルソーが初めて来日したときのエピソードを思い出した。

マルソーは夫人を同伴していて、日本人の接待係が彼女の買い物にも付き合った。マルソー夫人はある店で2つの品物のどちらを買うかしばらく迷って一方を購入したそうだ。
マルソー夫妻が帰国するとき、接待係が夫人へのプレゼントを渡した。それは彼女がどちらを買おうか迷って結局買わなかったもう一方の物だった。

私はマルソーから3日間だけマイムを教えてもらったことがある。一生の思い出、宝物だ。結果的にはそれが最後の来日だった。マルソーは稽古のときこそ鷹のような鋭い眼で私たちの動きをにらみつけていたが、稽古が終わると寿司好きな可愛い老人になった。お茶目なマルソーのことだ。妻に渡された粋な贈り物をたいそう喜んだに違いない。日本人の細やかな気遣いを感じたと思う。日本と日本人が大好きな人だった。

このエピソードを知って以来、いつか妻が2つの品のどちらかを買うか迷わないかと待ち受けているのだが、なかなかその機会がない。一生に一度くらい粋な贈り物をさせてほしいものだ。

夕飯は妻の好きな鴨鍋だった。

一緒に買い物に行き「下仁田ネギ」を買った。笑いをとろうとした訳ではないが私はうっかり「下ネタネギ」と言ってしまった。生産者の皆さんごめんなさい。

そのとき、妻は顔色ひとつ変えずに「セクハラ」と言った。

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バックアップマニアの憂鬱 [その他]

バックアップ病とでも言おうか。PCのデータを外付けハードディスク2台(どちらも2TB)、32GBのUSBメモリ4本、4GBのUSBメモリ1本に保存している。さらに、いつもではないがМОディスク数枚(230MB、640MB)にも保存する。クラウドも使ってはいるが、上げるのは主に画像だけだ。

人にこのことを話すと「心配しすぎだよ」と言われる。だが、大切なデータは掛けがえがない。現役のときにPCの仕事をしていたことがある。そのときにバックアップを取らなかったために悔しい思いをしたことが何度もあった。当時はまだ記録媒体がフロッピーディスクしかなくて今よりもバックアップに時間がかかった。作業する時間も限られていたので、バックアップをする手間が惜しかった。結局そのために同じことを何度も繰り返す羽目になった。そのことが忘れられない。
 
今は定期的に自動バックアップを保存してくれるソフトがほとんどだ。クラウドも勝手にデータを保存してくれる。バックアップの作業など必要ないという人がいるのも頷ける。それでもやはり心配だ。

たとえば、中長編の小説を書く場合は途中で日付をつけてログも保存する。書いているときには毎日ログを残すので、書き上げたときにはかなりの数のログが残る。あまり利用することはないのだが、何をどう書き変えたかがあとでもわかるようにしておきたい。

バックアップもずいぶん楽になった。最近買い足したUSBで接続するハードディスクなどは特に速くて気持ちがいい。容量も桁違いだ。フロッピーディスクはNECでは1.2MB、他は1.4MBだった。GBとかTBは桁の呼称さえ知らなかった。

私のバックアップは病気かもしれない。大切なデータが失われるのではないかと不安でならないからバックアップをする。いわば精神安定剤のようなものだ。

様々な記憶媒体を使うのは、同じ媒体だと同じ条件で失われる危険性があるからだ。CDなどの光磁気ディスクが出たばかりのころは、データを半永久的に保存しておけると言われたが、実験によってそれほどでもないことが分かった。フロッピーディスクが物理的にも弱く、磁気の影響も受けやすいことは言うまでもない。だからと言ってUSB他の媒体はどうかと言うと、どの媒体も故障してアクセスできないという状況を経験している。つまり完全なものなどない。いくつかの媒体に同時に保存することで補完しようとしているに過ぎない。

思うに文化というのも膨大な人類の営みのバックアップなのだ。様々な人種に学校や書物によって文化のバックアップを試みる。たまに優秀な人がいてバックアップされたデータをさらに進めたりする。しかしそれもごく限られた分野に過ぎない。人類は互いに補完し合いながら文化を引き継ぎ少しずつ先に進める。

藤原定家は菅原家が門外不出としていた日記を、無理を言って借り出し不自由な手で書き写した。つまりバックアップを取った。その最初の写本は知人が借りて行って返却されなかったそうだ。定家はもう一度菅原家に掛け合って同じ日記を借り出して写すことになった。これが『更級日記』だ。借りて返さない奴もひどいが、それでも諦めずにもう一度借り出して写した定家はすごい。彼のバックアップのおかげで私たちは『更級日記』を読むことができる。彼こそ本当の意味でのバックアップマニアなのかもしれない。

今年は13歳の菅原孝標女が上総から上京してから千年なのだそうだ。市原市はそれを記念して『更級日記千年紀文学賞』を創設した。市原市は私が最初に赴任した思い出の地でもある。よし、何か書いて応募してみるとするか。
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あけましておめでとうございます~「ふわふぬ」の年~ [その他]

あけましておめでとうございます
昨年中はブログを読んでいただきありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。

ふわふぬ?
気づいた方もいらっしゃると思いますが、これはパソコンで「2021」と入力したときに誤入力される文字です。

最近は「ローマ字漢字入力」が主流なので意外にこのことを知らない方も多いかもしれません。ワープロソフトを「カナ漢字入力」にしてある方が、「ひらがな入力」の状態でうっかり「2021」とキィを押すと「ふわふぬ」と入力されます。

ちなみに「2020」は「ふわふわ」です。可愛い誤入力だと思って和んでいましたが、2020年はとんでもない年になりましたね。なかなかこの発見を披露するような状況ではありませんでした。今思うと「不和不和」もしくは「不安不安」だったのかもしれない。

さて、「ふわふぬ」の今年はどんな年になるでしょうか。きっと不和も不安も去ってステキないい年になりますよ。

ところで、私のPCとの付き合いはNECのN98シリーズからでした。

当時のNECのパソコンにはブラインドタッチ(タッチタイピング)の練習ソフトが付属していました。指定された仮名を時間内に打つというシンプルなものでした。時間内に入力できないと「もしもしかめよかめさんよ……」と入力させられます。さらに遅れると「おそいですねあしでうっているんですか」と入力させられる。実にサディスティックな腹立たしいソフトでした。しかし、そのお陰でブラインドタッチをまたたく間にマスター。それからはPCが友達になりました。

ゲームもPCに馴染むのに役立ちました。

最初にはまったのは『Wizardry(ウィザードリィ)』というRPG。ギルガメッシュの酒場でグループを組みダンジョンの中へ。黒い画面にレイアーだけが白く光ってダンジョンの深みへと誘います。モンスターに遭遇するとすかさず呪文を入力。このゲームのⅠは入力練習ソフトという感じでしたね。カナ入力だったから苦労しました。よく使う呪文のアルファベットの位置だけは覚えました。

今でもワープロソフトはジャストシステムの「一太郎」を使っています。もちろんカナ漢字入力。

Microsoftの「Office」がバンドルされているPCが多いため、ワープロソフトは「Word」を使っている人が多いですね。今では文学賞の多くがネットで応募できるようになってきていますが、ほとんどはWord文書かテキストファイルの応募しか認めていません。一太郎を認めているところは少なくなってきています。

仕方なく応募する際に一太郎文書からWord文書に変換しています。一太郎にはWordの文書形式で保存する機能もあるのですが、なかなかうまくいきません。それで一太郎に書いた詩や小説をコピーして、それをWordの画面に貼り付けるようにしています。文学賞のサイトの方で応募用のサンプルを上げてくれてあると、文字数行数などを変更せずに流し込めるので便利です。

最近はスマホを使うことも増えました。昨年までは無料のメモアプリにもいいものがあったので使っていました。詩や小説のアイデアはどこで生まれるか分かりませんからね。特に寝床で思いついた、あるいは夢で見たアイデアはメモに残しておかないと朝になると必ず忘れています。

夜中に目が覚めて「これは絶対に忘れない」と何度思ったことでしょう。でも、やはり朝になると忘れている。いや、忘れたことさえ覚えていないこともある。朝に見直すと明らかにクズのようなアイデアもありますけど、忘れてしまったものの中に秀逸なアイデアがあったかもしれない。いつでもどこでも閃いたアイデアをメモする。これはクリエイティブな仕事や趣味を持つ人にとっては必要なことですよね。

ところがせっかくのメモをPCに転送しようとするとまたひと手間です。メモアプリには内容を転送できる機能もありますし、クラウドを経由する方法もある。でも、やはり面倒臭い。そう思っている時に一太郎の新しい機能に「一太郎Pad」が追加されました。

「一太郎Pad」はスマホのアプリです。このアプリにメモした文書はWi-Fiの環境さえあれば、簡単にPCの一太郎文書に転送できます。また、スマホのカメラで撮影した文書映像をOCR機能で文書に起こすこともできる。驚いたのはこのOCRの機能の性能。かなりの精度で変換ができます。
 
この「一太郎Pad」の機能によって、スマホのメモをPCに移して作品に広げていく作業がストレスなくできるようになりました。

文学賞が一太郎ファイルでの応募を受け付けてくれればもっと楽なんだけど……。

「書く」という作業には様々な方法があります。若い頃にはモンブランの万年筆を使って原稿用に書いたこともありました。職場で埃をかぶっていた和文タイプライターを使って同人誌に載せる詩を打ったこともあります。書く方法にこだわる作家もいるようですが、私はそれぞれの方法にメリットとデメリットがあるのではないかと思います。方法にこだわらず色々試して自分、または作品に合った方法を探すことができればいいですね。

さあ、今年もたくさん書くぞー!
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風呂の中で [その他]

昨夜あんまり寒いので、冬至で使った残りの柚子を湯船に浮かべて風呂に入った。劇団の入村代表からいただいたものだ。代表からは夏は西瓜、冬は柚子の差し入れがある。劇列車の団員でよかった(笑)

湯船に浸かりながらのルーティーンがある。深く息を吸ってツーと歯の間から息を長く抜く。風呂場には秒ごとに点滅する時計があるので、それを見ながら目標は40秒。次に丹田を意識しながらズー音。鼻、口、頭、胸、喉と5箇所を響かせるのハミングレッスンをやってから、千葉市ミュージカルの歌を2曲歌う。最後に「ういろう売り」。昨夜はそれでも温まらないので、体を洗った後に「般若心経」を2回唱えた。
「般若心経」は四国お遍路に備えて覚えた。遍路は定年退職後にやりたかったことの1つだ。劇団の公演や膝の故障などでぐずぐずしているうちにこのコロナ。もともとは在職中に知り合い夭逝した人たちの冥福を祈るための巡礼だったが、母親や友人、同僚など祈る人々の数ばかりがむやみに増えている。
一昨日久しぶりに5キロほど歩いたら膝が痛んできた。これでは歩き遍路などは無理だ。コロナのこともあるので、まずは膝の完治を目指そうか。おっ、今日は久しぶりにブログっぽいことを書いたぞ。

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レノン忌に想う [その他]

ジョン・レノンの命日。
ジョンなら今のコロナ禍をどんな風に歌っただろう。

人と人とがコロナによって引き離され、遠くに住む家族に会いに行けず、近くにいる友人たちとは気軽にハグもできない。まさに愛の危機的状況を。

きっと激しく憤ったに違いない。ウィルスなんかに負けるなと。愛はもっともっと強いはずだと。

ジョンだけではない。
多くの先達たちは私たちがつないだ命の糸はもっと強いはずだと人類を叱咤している。そんな気がする。

ジョン・レノン様。ご安心を。人類はこんなことでへこたれたりしません。
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映画『緊急事態宣言』感想 [その他]

映画『緊急事態宣言』(Amazonプライム)を観ました。
とても面白かったので感想を書きます。
少しネタバレが含まれています。

この映画は「緊急事態宣言」をテーマにした5人の監督によるオムニバス作品です。

中野量太『デリバリー2020』
出演:渡辺真起子、岸井ゆきの、青木柚

お母さんが娘のためにケーキを手作りしてリモートでお祝いします。娘も息子も家を離れて暮らしているという設定です。
まずリモート画面の使い方が面白かったです。みんなでケーキを囲む感じで食卓の雰囲気が出ていました。それにデリバリーで頼んだものが一緒なんていうのもとても家族っぽい。そんな仲のいい家族の秘密が少しずつ明かされて行きます。
特に弟(青木柚さん)の「宮崎先生」に笑いました。
短いけど完成度が高くて、一話目にふさわしい作品だと思いました。

園子温『孤独な19時』
出演:斎藤工、田口主将、中條サエ子、関幸治、輝有子、鈴木ふみ奈

スペシャルトークで斎藤工さんが話していた「百年に一度の神の警鐘」の話、その通りだと思いました。
この作品ではコロナよりもさらに強力なウィルスが現れて、主人公(斎藤工さん)は年に2回しか外出を許されない未来に生まれます。作品の中では「キス」が重要な意味を持っていますが、よく考えると今の状況でも恋人とキスするのは命懸けですよね。ファーストキスを恐る恐るするティーンの人たちのことを思うと胸が痛みます。知らない誰かといつかどこかで奇跡的に出遭って恋に落ちてもキスも出来ない。人類はどうなってしまうのか?そういう事態の深刻さをこの作品は伝えているのかもしれません。

非同期テック部(ムロツヨシ+真鍋大度+上田誠)『DEEPMURO』
出演:ムロツヨシ、柴咲コウ、きたろう、阿佐ヶ谷姉妹

楽しかったです。きたろうさん最高。最近、他の番組でも見かける映像テクニックを使った作品でした。阿佐ヶ谷姉妹も素晴らしかった。
テーマの「非常事態宣言」は?と思いましたが、2話がけっこう重たかったので気分転換になりました。悪口ではありません。ムロツヨシさんも柴咲コウさんも大好きなので大笑いして観ていました。コウさんがまたネコにでもなるのかと期待していましたけど、もっと意外なものになって驚きでした。後半を観る勇気をありがとう。でも断じてラブストーリーではないです。

三木聡 『ボトルメール』 
出演:夏帆、ふせえり、松浦祐也、長野克弘、麻生久美子

『カリホルニアホテル』『天国までの百マイル』で演出をお願いした長野克弘さんが出演していらっしゃいます。
不倫スキャンダルによって仕事も収入も奪われ、電気も水も止められたジリ貧生活を送る女優(夏帆さん)が主人公です。彼女はある映画のオーディションに行きますが……。
「不倫」と「風鈴」がかけてあったんですかね。笑いました。
超ベテラン助監督(長野さん)と主人公がオーディションで演じるエチュード格好よかったです。長野さんのいい声が薄闇の中に響いて、主人公を追い詰める。それまでオドオドしていた主人公の顔が急に変わってシリアスなエチュードが展開します。いい緊張感でした。
アイルランドやスコットランドにはバンシーという女妖精の伝説があります。人の死を予告して悲鳴を上げるこの妖精が主人公の役割なのでしょうか。夏帆さんの悲鳴お見事でした。
コロナ禍の中でも人は生きるために働かなければなりません。でも、そんな自分たちのすぐそばに死神はその鎌を振り上げている。長野さんの助監督という役はまさにこの死神なのではないかと思いました。

真利子哲也 『MAYDAY』
出演:各国の人々(日本パート:岩瀬亮、内田慈)

真利子監督が世界中の友人に素材になるビデオを送ってもらって作った作品そうです。
当然、ドキュメンタリータッチでその映像を撮った人についての説明もほとんどありません。「緊急事態宣言」下、世界の人々はどんな日常を過ごしているのか。実はあまりよく知らないことに気付かされました。短い映像からその人たちのことを想像するのも楽しかったです。予告にも使われていますけど、中国人の老夫婦のやり取りがとても可愛くて涙が出そうでした。お爺さんの笑顔が忘れられません。最後がアメリカの黒人差別に反対するデモだったのも考えさせられました。

「緊急事態宣言」というまだ評価の定まらない「今」について描くのはとても難しいことだと思います。だからこそオムニバスという形式を取ったのでしょう。それぞれの監督さんが、着色し何重にも包んで消臭剤を撒いてようやく表現として人目にさらすことが出来た苦心の作品だと思いました。だからこそ観ている私たちが自分の目で本当の色を探し、想像力で包みをほどいて、匂いを嗅ぐ勇気を出さなければ、真実には到達できないのでしょう。勇気を持って果敢に「今」を表現することに挑戦した監督、演者、スタッフの皆さんに敬意を表したいと思います。

↓ 映画「緊急事態宣言」はこちらから。


#4 ボトルメール

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サブテキストについて [その他]

先日、朗読劇の仲間からサブテキストについて質問されました。

「サブテキスト」とは簡単に言うと「台詞すなわちメインテキストに語られていないすべて」のことです。

実際、特に日本人の場合、人が自分の本音をストレートに表現することは稀です。現実に半沢○○さんのように「倍返しだ」という人はまずいません。大抵の人は相手にそれとなく伝わるような表現をします。「空気」と呼ばれるものも同じです。どんなに饒舌な芝居でも(例えばシェイクスピアの戯曲)本音は言葉の森に巧妙に隠されていて、優れた案内人(役者)が演じることで、やっと真意がそれとなく伝わるような仕組みになっています。

詳しく知りたい方は検索してください。

私にサブテキストの重要性を教えてくれたのは、劇団を指導していただいた西田了先生でした。きちんと演劇を学んだことのない私には、西田先生はたった1人の演劇の師です。先生はサブテキストの話をするとき、田中千禾夫氏の『物言う術』(1966年白水社)を引用なさいました。すぐに手に入れて読んでみるとこれが実に面白い。サブテキストについては内容の一部だけでしたが、日本語で話し演じることについて、たくさんの例を引いて分かりやすく論じています。

例えば、冒頭に美しい日本語の例として挙げているのが田中克巳という詩人の『美しい言葉』という詩。

終戦後、復員してきた詩人が荒廃した世俗のなかから拾った話を詩にしたものの1つだそうです。

1人の老婆が遅れている電車を待っています。老婆は独り言で、家にはマラリアで寝ている復員兵の息子がいて、自分は米を買い出して帰る途中だと呟いています。電車がようやく来ますが行列は長くて老婆は乗れるかどうかわからない。そのとき1人の娘が老婆に声をかけます。以下、詩の引用です。

お嬢さんはいった「私はもう三十分待ちますからお婆さん先になりなさいね」
聞いてる私は思わずいった
「お嬢さん、いまのお言葉は私が帰国してからはじめて聞いた美しい言葉です」
お嬢さんはみるみる真赤になった
それに気がつくと私も真赤になった

田中千禾夫氏は「先になりなさい」という当時としても古い言い回しに注目してこう書いています。

「明治末期生まれのこの作者にとっては、女性の素直でやさしい心の最もおだやかでまた女らしさの抽象にかなった表現として、今では日常語でなくなったかもしれないこの言い廻しが、最も美しいと思われたのであろう。そして語尾の『ね』でやさしさを強調し、相手に遠慮をさせまいとする」

作者はこの言い方がどこでも通用するものではないと断ったあと、次のようにまとめています。

「しかし、だいたい言えることは、素直で、気取らず思い上がらず、かといって卑下もしないで、いたらぬところがあるならあるで、己の分を知り、そして相手への思いやりにあふれている、そういう心情から出る言葉は美しいと言えると思う」

昨今のSNSにはこれとは全く逆の言葉があふれていますね。ひねくれて自分だけが正しいと思い上がって、分を知らず他者への思いやりなど微塵もない言葉ばかりです。

余談ですが、30年前、通っていたパントマイムの教室が終わったあとのことです。私が着替えに手間取って部屋に1人の残っていると、仲間の女性(80代)が部屋を覗いて「ネズミに引かれちゃうよ」と声をかけてくれました。そのとき、とても温かな幸せな気持ちになったのを今でも覚えています。

「ネズミに引かれちゃうよ」は、私が子どもの頃、仲間から離れて1人でいる子によくかけた言葉でした。「1人でいないで、みんなのところにおいで」と言うと、相手の気持ちの状態によっては無理強いされている気持ちになります。1人でいたい気分のとき、素直に仲間に入れないとき、疎外感に苛まれるときって誰にでもありますよね。そういうときの魔法の言葉です。

まさに気取らず思い上がらず、相手を無理強いせず思いやりにあふれた言葉ですよね。こういう言葉を日常に取り戻したいですね。

それにしても、引用した詩の続きが気になりますね。顔を赤らめた「私」とお嬢さんのその後はどうなったのか?現代だったら付き合っちゃいますよね、きっと。

作者の田中千禾夫氏は有名な劇作家でもあります。長崎の原爆を題材にした『マリアの首』が代表作です。

『物言う術』は古い本なのでちょっと難しいかもしれませんが、言葉について悩んでいる方にはぜひ読んでほしい名著です。


「物言う術」(田中千禾夫)を購入したい方はこちら。


物言う術 (1966年)

物言う術 (1966年)

  • 作者: 田中 千禾夫
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2020/07/21
  • メディア: -




「マリアの首」をお読みになりたい方はこちら。



マリアの首 —幻に長崎を想う曲— (二十一世紀戯曲文庫)

マリアの首 —幻に長崎を想う曲— (二十一世紀戯曲文庫)

  • 作者: 田中千禾夫
  • 出版社/メーカー: 一般社団法人 日本劇作家協会
  • 発売日: 2017/01/23
  • メディア: オンデマンド (ペーパーバック)



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75年前千葉市を襲った七夕空襲 [その他]

75年前の7月6日深夜から7日朝にかけて、千葉は大規模な空襲に見舞われました。
その日、房総半島方面から129機のB29が飛来しました。千葉は本土を空襲する際の経路でしたから、警報は毎日のように出ていたそうです。この夜も清水、甲府方面を空襲する編隊が通り過ぎ、一旦警報が解除されたといいます。しかし、この日は千葉市が目標の1つでした。
確かに千葉は軍都の1つではありましたが、先に千葉市街地の周辺に爆弾を落とし、逃げ場を失った人々を焼夷弾で焼き、機銃掃射を浴びせるやり方は、明らかに市民の殺傷を主目的にした無差別攻撃でした。
ご存知のように焼夷弾には粘性のガソリン(ナパーム)が使われています。空中で親爆弾が割れて無数の子爆弾に分かれます。子爆弾には長いテープが付いていて、必ず信管を下にして落ちるように工夫されていました。その信管が何かに触れると火のついた粘性のガソリンが四方に飛び散ります。粘性なので建物や身体につくと簡単には消すことができません。
この焼夷弾によって起こった火災から人々は逃げまどい、その人々を今度はP51マスタングなどの小型機の機銃掃射が襲いました。当時これらの戦闘機には機銃を撃つと録画できるカメラが付いていました。戦果を記録するためだそうです。その映像は今も見ることができます。まるで戦争映画の一場面のようにしか見えませんが、現実にはその下で誰かが傷つき命を落とし、肉親や友達が泣いていると想像すると胸が痛みます。
私は米軍だけが残虐な行為をしたと非難しているのではありません。戦争というものは人間を
とことん残虐にします。家族思いのお父さんがや親思いの優しい息子が、戦争になれば機銃掃射で学校帰りの子供たちを撃ちます。ユダヤの人々をガス室に送ります。占領地の婦女を犯し、無実の人の首を斬り落とします。それが戦争だということから私たちは目を背けてはいけないと思います。
2年前、この七夕の朝のことを書き、千葉市民創作ミュージカルの原作として採用されました。『千年天女』という作品です。残念ながらミュージカルの上演はコロナ禍によって延期になりましたが、多くの市民の方に見ていただき、改めて戦争のないウィルスもない平和な日常の大切さをみんなで分かち合いたいと思います。上演の際はよろしくお願いいたします。

↓ 千葉市空襲の証言集です。

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