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不思議な感覚 [その他]

先日、あるテレビ番組のなかで、

芝居の最中に周囲の人がゆっくり動いているように感じたことがある」と話している俳優さんがいました。そして、共演している女優さんも「私も同じ経験をした」と言っていました。

ゾーンに入ったみたいなことですか」と司会者が尋ねましたが、俳優さんたちは「そうかもしれない」と言葉を濁しました。

ゾーンに入る」というのは、今では脳内麻薬とも言われる「βエンドルフィン」によって起こる科学的な現象と認識されていると思います。しかし、いまだに世迷い言だと決めつける人も多いことでしょう。俳優さんたちの曖昧な態度もそういう批判を怖れたからかもしれません。

ゾーンに入る」という言葉自体は比較的新しいものですが、その感覚は昔から有名でした。例えば、赤バットで知られる巨人軍の川上哲治氏が「ボールが止まって見える」と言ったという逸話(実際は小鶴誠という選手が言った言葉のようです)

極度に集中力を高めることによって、人は誰にとっても平等であるはずの一秒を数秒にも感じることができるようです。流行りの言葉で言うと「全集中」ですね(笑)

武闘家がその状態になると敵の動きが緩慢に見えスキだらけに感じます。

サッカー、バスケットなどの球技の場合には相手チームの選手のプレーを遅く感じたり、ピッチやコート全体が俯瞰できたりします。

棒高跳びや走り高跳びの選手はバーの位置を低く感じることでしょう。

マラソン選手は42.195㎞をとても短く感じるのかもしれません。

ギタリストのエリック・クラプトンは「スローハンド」と呼ばれました。ゆっくりと指を動かしているように見えるのに、複雑で難しい奏法ができるからだそうです。優れた音楽家は皆そういう感覚を持っているのでしょう。でなければ、あんな神がかった演奏はできません。

夏目漱石の『夢十夜』の『第六夜』には、護国寺の山門で仁王を彫る運慶が登場します。主人公が感心していると見物人の若い男が「眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ」と言います。

「明治の木には仁王はいない」という主題とは離れますが、これもまた優れた芸術家が「ゾーンに入る」感覚をうまくたとえていると思います。自分が創っているのではなく誰かに創らされているような感覚とでも言うのでしょうか。

多くの芸術家たちが言う詩神ミューズの降臨です。

私のパントマイムの師であるやまさわたけみつ先生は、同じ演目をくりかえし演じています。先生の師匠であるマルセル・マルソーもそうだったようです。

自然に観客も同じ演目を何度も見ることになります。でもけして飽きません。先生の公演は常連の人がほとんどです。会場は水を打ったように静まり、舞台上の先生の演技に集中しています。すると、前回まで見えなかったものが見えるようになってくる。同じ演目なのに全く違うディテールを発見するのです。

やまさわ先生はどんな観客の鑑賞にも負けないほどの緻密さで作品を練り上げ、そしてどんな観客をもしのぐ集中力で演じていることでしょう。

古来、達人と呼ばれる人は、難しいことをいとも簡単そうにやってのけるものです。集中力を高めることがそれを可能にするのであり、その極限に近いものが「ゾーンに入る」なのだと思います。

もう13年も前のことになりますが、モリエールの『いやいやながら医者にされ』という芝居を上演しました。私の役はスガナレルといって、最初から最後まで舞台上を動き回り、訳のわからないことをしゃべりまくる役でした。まだ芝居を始めたばかりでしたので、力の抜き方などまるでわかりません。あいにく仕事も忙しい時期でしたから、とにかく必死でした。毎回栄養ドリンクを飲んで稽古に臨んだことを覚えています。

ようやく迎えた本番中に突然時間が止まりました。

舞台上に相手役がいて台詞を言っています。私はそれを聴いています。次の自分の台詞までの数秒が実にゆっくりと進んでいるように感じられました。照明が光の粒子となって相手役と私の上に降り注いでいてなんとも美しい眺めでした。数百人の観客に見られていることなど完全に忘れて、不思議な幸福感だけが心を占めていました。

当時は「ゾーンに入る」などという言葉は知りませんでした。他の劇団員にその話をしてもあまり手応えがありません。変な人と思われないようにその体験はあまり人に話さないようにしていました。

自分が達人などというつもりは毛頭ありません。ただ、そのとき初めて観客の目も自分の演技の出来も関係なく、スガナレルという役柄として生きることに集中できたような気がします。そして、初めてお客さんが興奮して「よかったよ」と声をかけてくれたように感じました。

できればもう一度くらい、あの感覚を味わいたいと思います。おそらく、何度もその感覚を味わいたいと思う人はプロを目指すのでしょうね。

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I園O茶新俳句大賞に今年も応募しました [その他]

今年もI園の新俳句大賞に応募しました。締め切りは2月28日です。ネットからも応募できますのでお早めにどうぞ。




応募は1人6句まで。一般の部は40歳未満と40歳以上に分かれています。毎年、子供たちの応募数がものすごい数になります。学校単位で応募するからでしょう。それと比べると大人はそれほど多くありません。とは言っても前回の応募総数は全体で3,700万句を超えていたそうです。すごいですね。

一次審査で約2万句まで絞られるそうです。二次審査ではさらに半分の約1万句まで絞られます。

おそらく、この二次審査を通過した人に、封書で「二次審査通過回答シート」という書類が送られてきます。シートには氏名や住所、年齢などの確認とともに、二重投稿をしていないか、すでにどこかに発表をしていないか、などをチェックするアンケート。さらに句を作ったときの状況や気持ちを書く欄があります。シートは返信用の封筒で送ってもいいしネットで回答することもできます。

その回答を受けて、上位約2,000句を最終審査員が検討するそうです。二重投稿やすでに発表した句があると繰り上がって当選することもあり、これを「敗者復活選考」と呼んでいるようです。

最終的にパッケージに印刷される俳句は2,000句なので、二次審査回答シートを送ったからといって必ず入賞するわけではありません。むしろ8,000句は落選するわけです。

1つの句がパッケージに掲載されるまでの倍率は約18,500倍です。1人6句応募したとすると、自分の名前が掲載されるには約3,000倍の倍率になります。狭すぎる門ですね。

5月には最終審査があり入賞作が決定します。文部科学大臣賞は賞金50万円、各部門の大賞はそれぞれ20万円。優秀賞には5万円、さらに上位入賞300作にも賞金があります。

佳作特別賞までの2,000句に入れば、賞状と作品集、それに自分の俳句がパッケージに印刷されたO茶が1箱(24本)送られてきます。市販されるお茶には3句が並んでいますけど、送られてくるお茶は自分の句だけです。追加注文もできるみたいですよ。


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発表は毎年7月7日です。賞状と賞品はすぐに送られてきますけど、句が印刷されたお茶が世間に出るまではしばらく時間がかかります。忘れた頃に「あなたの句が配られたお茶に載っていてびっくりしました」なんてメールが来たりします。コンビニやスーパーで見つけると思わず買ってしまって、1年くらいはお茶の銘柄はO茶ばかりになります(笑)

5年ほど前に佳作特別賞をいただきました。それから毎年応募していますが、一昨年シートが送られて来たものの落選でした。賞をいただいた句はこれです。

 老い満ちて母口ずさむ聖夜かな

という句です。

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「老いる」ということは何か寂しく衰えていくイメージがありますが、晩年の私の母を見ていると「老いる」ことは「満ちる」ことなんだなあと感じました。もちろん体力はなくなり、新しいことを覚える能力も失われてしまいます。かつて美しい母は子供の私にとって自慢でした。それがすっかり皺だらけ。しかし、生きる知恵を身につけ、多少のことではへこたれない根性を培い、たくさんのいい思い出をため込んでいる母は、とても充実して見えました。また、人の話にしっかり耳を傾け、いつも笑顔を絶やさない母の姿は人間として美しいと感じました。

「老いる」というのは人間として「満ちる」ことです。初句の「老い満ちて」を思いつくことでこの句はほぼできあがりました。

迷ったのは「聖夜」でした。最初はクリスマスの歌ということで「聖歌」としたのですが、「聖歌」だと教会で歌うようなイメージが強いので、クリスマスイブを表す「聖夜」としました。前に「口ずさむ」とありますから、歌っていることは容易に想像できますからね。結果的に「聖夜かな」で世界をぐっと押し広げることができたと思います。

孫を連れて行く日には、母はいつも台所にいます。前の日からずっと私たちに何を食べさせようか考えていたのだと思います。テーブルの上には私たちの好きな料理が並び、台所にいる母は汁物を温めていて、なかなか食卓につきません。

その日はクリスマスイブ。台所から母の鼻歌が聞こえてきます。どうやら「ジングルベル」のようです。一人暮らしの母にとっては、息子が孫たちを連れて来てくれた聖夜がどんなに楽しかったことでしょう。

その夜、孫たちに戦争体験を話してもらいました。私が子供の頃に何度も聞かされた話です。空を埋め尽くす銀色のB29のブルルンブルルンという爆音。焼夷弾が落ちてくるときのヒューヒューという不気味な音。疎開先の秋田から帰る途中で機銃掃射を受けたこと。学校の帰りに突然空襲警報が鳴り、知らない家の防空壕に入れてもらったこと。そんな体験をひとしきり語った後、母は背筋を伸ばして言いました。

「でもね、どんなに大変なときも、おばあゃん、恋もしてたわよ」

息子2人はまだ小学生でした。ほんとに素敵な母でした。
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詩『あどけない話』(高村光太郎)について(2) [詩]

あどけない話 『智恵子抄』より

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
                 青空文庫より

以前、高村光太郎の詩「あどけない話」の2つ目の「ほんとの空」「ほんとうの空」になっているテキストがあるということを書いた。

その後、ブログにコメントをくれた方がいて「単なる間違い」と断定していた。もしかするとすでに何度か取り沙汰されて決着がついた事件なのかもしれない。そう考えるとちょっと恥ずかしい。

でも、もう少し説明をしてほしかったなあ。誰がどこで間違えたのだろうか。

どちらの詩句も「ほんとうの空」となっていたなら「単なる間違い」も納得できる。しかし、2つ目だけが「ほんとうの空」なのが面白い。

現にそういうテキストが複数あるということは、よほど権威のある人、または出版物が間違えたのだろうか?

不謹慎だとは思うが、こういう謎は答えが分からない方が断然面白い。

余談だが、私は子供の頃から百人一首のカルタが好きでよく遊んでいた。

母親もカルタが好きで、子供のころ東京の実家の近所にいた陸軍少将だか海軍少将だかの家に呼ばれて行ってカルタをしたのが自慢だった。

母の得意札は藤原定家の「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」。母は読み手のときに「まつほ(松帆)」を「まっぽ」と読んだ。

母のカルタ好きは祖母の影響らしい。母方の祖母は秋田の横手高等女学校在学中に寮生活をしていて、当時、教員していた石坂洋次郎とカルタで遊んだのが自慢だった。『青い山脈』や『若い人』に出てくる女学生のモデルは自分だと言い張っていた。

祖母の得意札は「夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ」。清少納言の父親清原元輔の祖父、清原深養父の歌だ。

祖母はこの歌の「いづこに」を「どんこに」と読んだ。子供のころ、そういう読み方がとても面白くて興味を持った。母の「まっぽ」、祖母の「どんこに」、どちらの読みにも彼女たちの匂いがした。

母も祖母も絶対に得意札は取らせない。人に取られるとすこぶる不機嫌になる。それがかえって面白くてわざと母や祖母の得意札を狙ったりした。

私が最初に覚えた歌は「きりぎりす」とか「ほととぎす」などの動物が初句にあるものだった。「百敷や」も「ももひき」と似ているのですぐに覚えた。百番目の順徳院の歌である。

得意札は「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」。有名な小野小町の歌。あまりに有名なのでなかなか取れない。中学生になると友達とカルタを競う機会も増えたが、上手な子はきまってもっと特徴のない句を得意札にしていた。

密かに好ましく思っていた女子は「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」(藤原実方朝臣)が好きだった。頭のよい子だったけど、こんな激しい恋心を秘めているのかとドキドキしたのを覚えている。気を引こうとしていつもこの札を狙っていたが、なかなか取れなかった。カルタも強い子だった。

私は静岡の清水で育った。だから「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」という山部赤人の歌は早くに覚えた。清水の子にとって富士山は日常である。風景の中になくてはならない存在だった。この歌を覚えない子はいなかった。

しかし、国語の授業で『万葉集』を勉強すると、原歌を知ることになる。
田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
あれれ?である。子供の頃から親しんだ百人一首の歌と違うことに混乱した。

これは百人一首を選んだといわれる藤原定家の間違いなのか? それとも万葉古歌をその時代に合わせてアレンジしたのか?

大学で『万葉集演習』を受講した。『万葉集』の歌を万葉仮名一つひとつにこだわって読んで発表するという演習形式の授業だった。図書館で様々な資料を読みレポートにまとめる。考察が十分でないと容赦ない叱責が飛ぶ。その授業を通して万葉仮名がいかに読めないかを思い知る。

『万葉集』と藤原定家の時代は四百年以上の隔たりがある。平安末期であっても『万葉集』は謎の多い歌集だったと思う。

田兒之浦従 打出而見者 真白衣 不尽能高嶺尓 雪波零家留

この歌は富士を讃える長歌に添えられた反歌である。

これを見ると「田兒之浦従:たごのうらゆ」「真白衣:ましろにぞ」「家留:ける」を、百人一首の歌のように読むのは無理がある。定家でなくてもそんな基本的な間違いはしないはずだ。

とするとやはり定家の意図的なアレンジなのか?

母は「松帆」を「まっぽ」と読み、祖母は「いづこ」を「どんこ」と読み換えた。それは歌に対する愛情ゆえだと思う。好きな作品は自分のものにしたくなるものだ。

藤原定家もそうなのか?

百人一首は出家した御家人宇都宮蓮生に依頼されたものだという。定家が作った百人一首の色紙は小倉山に建造された蓮生の別荘の襖を飾った。

そういう個人的な鑑賞物だったからこそ、定家は万葉古歌を自分流にアレンジすることもできたし、幕府にはばかって『新古今和歌集』から外された後鳥羽院とその子順徳院の歌も入れることができたのだろう。  

さて、「あどけない話」「ほんとうの」は単なる写し間違いなのか、それとも誰か熱烈なファンのアレンジなのか?

詩人の清岡卓行は、教科書にも掲載されている有名な評論『手の変幻』の中で、ミロのビーナスが両手を失ったのは「芸術作品の運命」だとしている。ミロのビーナスはその運命によってたまたま両腕を失うことで、平凡な彫刻から国境や時代を超えて愛される芸術作品へと飛躍した。それがこの評論の主旨だと思う。

芸術作品は一度作者の手を離れてしまえば、土の中に埋められて両手を失うこともあれば、持ち主の思いつきによって何かを描き加えられることもある。音楽ならば勝手にアレンジされることも拒否することはできない。

解釈もまた然り。自分の小説や脚本がどう解釈されるかは読む人次第である。小説は原作に堕し、脚本は演出家と役者、そして観客のものになる。

詩はどうだろう?

しかし、詩は言葉が命だ。やはりどんなに好きでも勝手にアレンジするのはやめてもらいたい、と作者は思うだろうな。

やはり、「ほんとの空だといふ。」が光太郎が書いた「ほんとの」詩句なのだろうな。

相変わらずまとまらない文章ご勘弁。
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落選の思い出 [小説]

この1月にも地方文学賞のB文学賞に落選しました。

連敗が続いています。なんでそんな情報を発信するのかと思う方もいるでしょうね。

私がインターネットの前身である「パソコン通信」をしているときに、教えてもらったことがあります。

「どんな情報であっても必要な人はいる」

ですから、文学賞落選の情報もお知らせしようと思います。

それにしても、B文学賞には9318作品の応募があったそうです。複数応募が可能ということで、作家の人数は6061名

ショートショート(4000字)という気安さもあるのでしょうけど、ものすごい応募数ですね。

9318作品の応募作の中から最終選考に残ったのはたったの6作品。作家数でいうと約千倍ということになります。候補に残った皆さんおめでうございます。

2月下旬の表彰式ではじめて大賞1作と佳作5作が発表されるそうです。連絡が来てから1ヶ月間は自分が大賞なのか佳作なのか分からないというのはつらいでしょうね。そのドキドキを味わいたかったような味わいたくなかったような……。やっぱり一度くらい味わってみたい(笑)

B文学賞は作家の年代別応募者数も発表してくれます。それによると、いちばん多いのが20代2651名でした。Twitterを見ると、字数制限のある中できちんと気持ちや考えを伝えている若者も多いので、そういう人にとってはちょうどいい長さなのかもしれません。

私も昨年から『ココア共和国』という詩誌に投稿していますけど、やはり若い詩人の方がたくさん応募しています。詩にしてもショートショートにして、若い人が自分の内面を表現するのには手頃な長さなのかもしれません。彼らの思いの純粋さやひりひりするような感性にたくさんの刺激をもらっています。

若者のだけではありません。60代以上の作家も1507名いました。

60代から上の人は、子供の頃に星新一、小松左京、筒井康隆などのショートショートの名手の洗礼を受けているはずですから、それを思い出して書きたいと思う人も多いのかな。私は特にフレドリック・ブラウンが好きで、中学生の頃にブラウンの作品を真似てショートショートみたいなものを書いていました。

今から30年近く前に「パスカル短編文学新人賞」という変わった文学賞がありました。第1回は川上弘美さんが『神様』という作品で大賞に選ばれました。『神様』はとても素敵な作品で、今では教科書にも掲載されています。その第3回の最終選考に私の作品も残りました。

当時はまだインターネットではなく「パソコン通信」と呼ばれていた時代でした。文学賞の応募も郵送が普通でしたから、メールで応募できる「パスカル短編文学新人賞」は当時としては画期的な文学賞でした。

さらに透明性を重んじるために、応募作品すべてに審査員が点数をつけて短い評もいただくことができます。審査員の1人は筒井康隆先生でしたから、多くの筒井ファンが応募していました。この時、私は80点という点数をいただきました。確か川上さんが受賞した時の点数が82点だったので、大喜びしたことを覚えています。筒井先生が80点以上をつけたのは私ともう1人だけで、私の作品が最高点でした。他の審査員の点数もおおむね良く、応募者も互いの作品の批評をするのですが、その評価も悪くはなかったので、私は密かに期待していました。

応募総数は172作品。最終選考に残ったのは14作でした。

この賞の最終選考は有楽町マリオンで公開されました。壇上に審査員が並び、最終選考に残った作品について審査するのです。

ところが私の作品の番になった時に、筒井先生が開口一番「この作品は読み直してみたらそれほど良くなかった」とおっしゃったのです。私は椅子からずり落ちそうになりました。

後ろに座っていた若い女性たちが「かわいそう」と漏らすのが聞こえました。

しばらくは笑い話として人にも話し、自分でも大したことはないと思っていました。しかし、それ以降、全く小説が書けなくなりました。4年前に定年退職するまで、劇団で上演するための脚本を書きましたが、小説は書けませんでした。おそらく自分でも知らないうちにをやられていたのだと思います。

今さらですけど、悔しいときには悔しい、悲しいときには悲しいと表現するべきだったなと思います。自分はもっと強いはずだと虚栄を張ると、結局はを食われます。

だから、ああ悔しい。B文学賞もだめだった。くそっ!

と言わせてください(笑い)
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「うたは無駄の中にある」 [その他]

BEGIN「うたの日コンサート2020in石垣島〜with JALホノルルマラソン〜」という配信を観ました。昨年12月に配信された無観客のうたの日コンサートの再配信です。

石垣島の夕暮れを背景にしたコンサートは実に素晴らしいものでした。

もともと私はBEGINのファンなので、すべての楽曲が染みました。

でも、最も感動したのはコンサートの後半でボーカルの比嘉栄昇さんが言った、
うたは無駄の中にある」という言葉でした。

コロナ感染によって会社帰りに一杯飲むことがやり玉に上げられています。しかし、栄昇さんは言いいます。
「会社から自宅にどこにも寄らずに帰れる人は幸せな人。どこかに寄って一杯引っかけずには帰れない人がたくさんいる。それは無駄に見えるかもしれない。でも、そこにこそ『うた』がある」

演劇やミュージカルは無駄なのでしょうか?

ミュージシャンのライブは無駄なのでしょうか?

ダンスを踊ること、芸を見せることは無駄なのでしょうか?

合唱をすること、カラオケに行くことは無駄なのでしょうか?

友人や仲間と酒を飲んで騒ぐことは本当に必要のないことなのでしょうか?

いや、それらの中にこそ人間が生きるために必要な「うた」があるのです。

うたの日」コンサートはさだまさしさんが故郷の長崎で行っているコンサートに出演したことがきっかけで、自分たちも地元のために何かできないかと始めたのだそうです。

先の大戦で国内で唯一戦場となった沖縄。その沖縄戦が終結した日は6月23日でした。BEGINはその翌日の24日を「うたの日」と決めて、20年のあいだ毎年その日の近くにコンサートを開いてきました。

もともと琉球の人々は踊ることも歌うことも大好きだったといいます。酒を愛し人を愛し、自然の恵みに感謝して平和に暮らしていました。

ところが、軍事的な重要拠点として日本軍の統制が厳しくなると、内地の人間には理解できないウチナーグチ(方言)を話すことも禁じられ、学校では方言を使うと「方言札」を掛けられ罰せられました。方言を話していたためにスパイと疑われて処刑された人もいたそうです。

米軍が上陸して戦闘が始まると、歌うことや踊ることはもちろん、大きな声で笑ったり泣いたりすることさえも許されなくなりました。人々はガマ(洞窟)の中でじっと息を潜めていなければなりませんでした。

栄昇さんも話していましたが、乳飲み子がひもじくて泣くのを日本兵から「うるさい」と咎められ、母親が口を塞いで殺してしまったという悲劇もあったそうです。

1945年6月23日。沖縄戦の一応の終結によって、人々はようやくまた歌えるようになりました。そのことをお祝いしようというのが「うたの日」の趣旨だそうです。

「今の状況とよく似ている」と栄昇さんは言いました。

今、コロナによって「うた」は封印されています。誰もがマスクで顔を覆って、まるで歌うことも笑うことも禁じられているかのようです。

コロナ感染の脅威から解放されたとき、その日は私たちも思い切り歌い踊るでしょう。その日もまた「うたの日」になるのです。

うた」は無駄の中にあります。生きるということはただ息をして食べるだけではありません。「そんなこと無駄だ」と人が言うことの中にこそ、実は人間一人ひとりの生きる意味があるのではないでしょうか。

そうでなければ名曲も名画も生まれはしません。モーツァルトやビートルズ、西行や芭蕉、そして手塚治虫や宮崎駿も、みんな無駄と言われるものの中から生まれてきました。

配信は2月8日までだそうです。
3時間以上ありますから時間に余裕があるときに観てください。ちょこちょこCMも入りますけど、きっと後悔はしません。ぜひぜひ観てください。

https://www.youtube.com/watch?v=Ufhdj6CzbMc
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てるこ姫七変化!~『東金レットイットビー』 [戯曲]

てるこさんが拙作『東金レットイットビー』を、なんと1人7役で演じてくださいます。

期日 2月5日(一場)、19日(二場)、3月5日(三場)の3回

時間 午後7時30分~8時
   YASSAWAVE『ブルボンまゆみの政子まけないわよ』番組内での生放送です。

「YASSAWAVE」は千葉県東金市のローカル・インターネットメディア局です。

スマホ(WALLOPアプリ)、パソコンで観ることができます。

パソコンの場合はこちらから↓

http://www.yassawave.com/

てるこさんも、番組パーソナリティーのブルボンまゆみさんも、千葉市民創作ミュージカルのメンバーです。

この作品はブルボンさんから番組用に「恋愛」をテーマにした朗読劇をと依頼されて書きました。

昨年の8月7日、21日に県内で活躍している俳優さんたち11人が、2チームに分かれて演じてくださいました。その様子はYouTubeでもご覧いただけます。

8月7日組
https://youtu.be/Dga7xQzXlJ0

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8月21日組
https://youtu.be/fjtjevBpn9k

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てるこさんも21日組の出演者として、古稀の葵という役を実に愛らしく演じてくださいました。

その後、朗読会で1人7役を演じてたいへん好評だったと聞いておりましたので、ぜひ拝見したいと思っていました。ですから今回拝見できることをとても嬉しく思っています。

てるこ姫七変化、ぜひご覧ください。


ここで作品の舞台となる東金の八鶴湖について少しだけ。

1614年(慶長19年)、徳川家康は土井利勝に命じて船橋を経由して九十九里に達する「御成街道」を整備させました。

「御成街道」にはいくつかの御殿がありましたが、終点近くの最後の造られたのが「東金御殿」でした。三方を「鴇が峰(ときがみね)」という丘に囲まれており、盆地には「とき池」という小さな池があったそうです。東金御殿の眺望のためにとき池は拡張され周囲約800メートルの池になりました。人々はこの池を「谷池(やついけ)」「御殿池」などと呼んでいました。幕末の詩人遠山雲如という人が「八鶴湖」と名付けたそうです。

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「東金(とうがね)」という地名の由来は「鴇が峰」だとも言われています。

現在「東金御殿」の跡地には県立東金高等学校が立っています。

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春になると湖畔の300本のソメイヨシノが咲いて「東金桜まつり」が催されます。また、他の季節にもツツジ、ハナショウブ、ハス、アジサイなど四季折々の花が咲いています。

湖畔にある「八鶴亭(八鶴館)」は北原白秋、伊藤左千夫にも愛された明治期創業の老舗旅館です。大正から昭和にかけて造られた建物は国の登録有形文化財。先日、あるドラマの舞台としても使われていました。

鴇が峰の丘の上には最福寺、大漸寺という古刹があり、階段さえ苦にならなければ一見の価値ある立派な堂宇を見ることができます。
湖畔の遊歩道を上がると「山王台公園」があり、晴れた日には九十九里平野と太平洋を観ることができます。日の出を観るスポットとしても知られています。
東金駅から徒歩約10分(約500メートル)、コロナ明けにぜひ散歩にいらしてください。
近くの旧道沿いにはカステラパンで有名な木村屋、作品の中にも出てくるくず餅屋がありますよ。

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