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MMTパントマイム『色即是空』公演御礼 [その他]

3月12日(土)

MMTパントマイム『色即是空』に出演させていただきました。『第19回かながわ演劇博覧会』参加作品です。

会場は神奈川県立青少年センター2階スタジオHIKARI

午後1時と5時の2回公演でした。

この日は劇団北口改札さん、劇団「無題」さん、金沢総合高校演劇部18期さんの公演もありました。
皆さんお疲れ様でした。

この『色即是空』はかつてMMTパントマイムがエジンバラとアビニョンの演劇祭でも上演し絶賛された作品です。私にとっては憧れの作品でした。参加させていただき光栄です。

ピンチヒッターとして急遽参加することになり初めての殺陣に挑戦しました。
帯も満足に結べず、袴も一人ではけないようなへっぽこ侍でしたが、とにかく足手まといにならないように必死で頑張りました。仕事を定年退職して小説を書くこと以外にこんなに頑張ったのは初めてかもしれません(笑)

オープニングの「おてもやん」に始まり、祭りの場面でのパントマイム、そして殺陣。特に殺陣はとても緊張しました。5時の回ではそれまで一度もしなかった失敗をやらかしてしまいました。手順を一つ間違えて早く打ち込んでしまったのです。暗い照明の中での殺陣でしたので大怪我にもつながりかねない失敗でした。反省しています。

久しぶりにMMTパントマイムの公演に参加させていただきとても楽しかったです。何よりも、やまさわたけみつ先生に殺陣の指導をしていただき、同じ舞台に立たせていただいたことは感激の極みでした。

MMTの皆さんもいい方ばかりで稽古から本番まで楽しく過ごすことができました。
マネージャーの藤井さん細かなお気遣いありがとうございました。呼んでくださって嬉しかったです。財布忘れてごめんなさい。

金井さん、殺陣の基本から帯の締め方、袴のはき方など何度もご指導いただきありがとうございました。なかなか身につかずごめんなさい。
木下さん、初心者の方が一緒で心強かったです。ありがとうこざいました。
名取さん、初日のお迎えありがとうございました。「おてもやん」丁寧に教えてくださってありがとうございました。名取さんのご指導がなければいつまでも踊れなかったかもしれません。
青木くんのマイム素晴らしかったです。大きなカップラーメンが見えました。
細見玲子さん、ご一緒できて光栄でした。情念の踊り忘れられません。

皆さん、お疲れ様でした。よそ者の私にとても親切に接していただき感謝しています。たいへんお世話になりました。ありがとうこざいました。

こんな私ですが、ぜひまた呼んでくださいね。


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九の近況(6) [その他]

ロシアのウクライナ侵攻、今の時代にこんな暴挙がまかりとおるとは思いませんでした。独裁者を作り出したすべての人々に責任があると思います。どんなに優れた人でもどんなに魅力的な人でも、何でも許される立場に置かれたら何をしでかすかわからないということでしょう。ヒトラーに学んだはずなのに同じことを繰り返してしまいました。次は第3次世界大戦にならないように知恵を出し合うべきです。

小説
さて、2月は長いあいだ書き切れなかったミステリーの長編を書き上げました。昨年中に第一稿は書いたのですが、読み返すたびに問題点が見えてきて結局2月いっぱいまでかかってしまいました。コンピュータソフトのバグとりってこんな感じなんですかね。ミステリーは向いてないかも。

何とか書き上げてみると400字詰原稿用紙581枚。これまで書いた小説の中でも最も長いものになりました。今回の賞は郵送の応募のみです。30×40でプリントアウトしたら200枚以上、いつも使っているレターパックライトでは送れません。ライトは厚さ3センチまでだからです。レターパックプラスを購入して送りました。それでも包みが歪むほどの厚みでした。

2月末日は「更級日記千年紀文学賞」の締め切りでした。人物と構成はほぼできていたのですが間に合いませんでした。来年の第3回を目指します。第3回があることを祈ります。

俳句
2月は「伊藤園お~いお茶新俳句大賞」の締め切りでもありました。今回も応募しましたが、どうでしょう。

詩はスランプを抜けた感じです。出来の良し悪しはさておき、また書けるようになりました。『ココア共和国』3月号には『ほんとうの歌』が掲載されています。詩は「もがき」だったり「叫び」だったりします。自分の中のより深い「ほんとう」を掘り下げる作業でもあります。色んな世代の「ほんとう」がこの詩誌の中に飛び跳ねています。ぜひ一度読んでみてください。

戯曲
3月は、まず座・劇列車の公演台本『オカリナの少年~クロスロード2』を完成させる予定です。劇団の地元四街道には野戦砲兵学校がありました。この作品は先の戦争末期に野戦砲兵に志願した少年の物語です。これを書いていた時にはロシアのウクライナ侵攻など想像だにしませんでした。

舞台
3月12日は「神奈川演劇博覧会」で上演されるMMTパントマイム色即是空』に出演します。人生初めての殺陣に挑戦です。とりあえず筋肉痛と闘っています。

観劇
3月13日は成田国際文化会館が主催するリーダーズ・シアターの朗読劇を観に行く予定です。リーダーズ・シアターの講師は亜白辰彦氏。亜白氏をはじめスタッフ、出演者にも前回の『やまんばおゆき』公演の仲間がいますので楽しみです。

原作:芥川龍之介の『白』
脚本:亜白辰彦
13時:開場 14時:開演
入場無料ですが、入場整理券が必要。
成田国際文化会館
0476-23-1331

宣伝
最後に3月1日に『第25回伊豆文学賞作品集』が刊行されました。拙作『戸川半兵衛の黒はんべ』も佳作をいただき掲載されています。ちなみに最優秀賞の『海豚』を書かれた髙部務さんも千葉県の方です。
佳作ではありますが、単行本に掲載していただき感激しています。もうすぐアマゾンあたりでも買えるようになると思います。私には一切印税は入りませんが、よろしくお願いします。

毎月の私の長話にお付き合いくださりありがとうございました。どうか平和で感染症にもおびえなくていい春が来ますように。

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MMTパントマイム『色即是空』 [その他]

MMTパントマイムの作品『色即是空』に出演させていただくことになりました。かつて2000年エジンバラ、2001年アヴィニョンの演劇祭で好評を博した名作です。

3月12日(土)
「第19回かながわ演劇博覧会」
●時間 13時  、17時の2回公演
●場所 神奈川県立青少年センター
    紅葉坂スタジオ
    JR 桜木町駅下車 徒歩8分
●入場無料(ただし予約が必要ですので、かながわ演劇博覧会ホームページよりご予約ください)

舞台監督 細見玲子
作    徳富敦
演出   やまさわたけみつ
殺陣指導 やまさわたけみつ

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私の役は浪人役。殺陣のシーンもあります。先日初めてやまさわたけみつ先生にご指導いただきました。

やまさわ先生には千葉のカルチャースクールで10年間ご指導いただきました。その間、毎年の発表会はもちろん、鎌倉でのMMT公演にも出演させていただきました。また先生の御指導のもとカルチャーのメンバーで千葉公演を実現することもできました。中でも、先生の師匠であるマルセル・マルソー先生に御指導いただけたことは一生の宝物です。

ただ、やまさわ先生は殺陣の専門家でもありますが、これまではなかなか殺陣の稽古を受ける機会がありませんでした。ですから今回は幼い頃からのチャンバラ好きにとっては夢のような時間です。とは言え、日ごろの運動不足のためになかなか思うように身体が動きません。午後1時から10時近くまでの稽古は何とかこなしましたけど、翌日は身体中が痛くて寝たきりでした(笑)

まだまだヘッボコ侍の私ですが、作品は『八百屋お七』をベースにした奥深い物語です。とにかく足手まといにならぬように稽古に励みます。

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九の近況(5) [その他]

2022年最初の近況です。
人間ドックの結果、昨年より体重が3キロ、腹囲が5センチ減りました。まだまだメタボですけど(苦笑)
高血圧、高脂血症、脂肪肝、糖尿予備軍は相変わらずです。基礎疾患ありまくりなのでコロナも気を付けます。
散歩と体操頑張ります。間食減らします。魚食べます。

小説
1月は「千葉文学賞」に応募しました。この賞は千葉日報社主催の賞で、今回で第65回になります。千葉児童文学賞、千葉随筆文学賞と併せて「千葉文学三賞」といいます。

「千葉文学賞」の応募資格は千葉県内在住、在勤、在学者のみです。

一昨年にも『鴎外の一日』という作品で応募しましたが二次で落選しました。

森鴎外は『即興詩人』というアンデルセンの恋愛小説の翻訳をしていますが、実はそのはしがきを四街道で書いています(註)。小倉から東京に戻って来たばかりのころです。徴兵検査の立ち会いか何かで陸軍衛戍病院(現在の下志津病院)に出張していたのではないでしょうか。その鴎外がルボン山の上で居酒屋の主人や中年の兵士と出会う物語です。登場人物が面白いのでいつか芝居にしてみようと思っています。

註 正確には初版例言に「明治三十五年七月七日下志津陣營に於いて」とあります。

今回応募した作品は長野克広さんの御先祖について書きました。長野さんは『人情喜劇カリホルニアホテル』、『天国への百マイル』の演出をしてくださった俳優さんです。「伊豆文学賞」に続き知り合いの御先祖シリーズ第二段です。
以前、長野さんに『桜田濠の鯉』を読んでいただいたとき、たまたま御先祖の話をうかがいました。興味深いお話だったので自分でも調べ始めました。例によって調べているうちに様々な事象がつながって一つの物語として結晶していきました。この過程が苦しいけれど楽しい。神様仏様、ぜひ長野さんの御先祖にも賞をください。

2月は「アガサ・クリスティー賞」(早川書房)に応募する予定です。400字詰め原稿用紙600枚近い大作です。昨年の後半に第一稿を書いて、現在手直しをしているところです。10年以上前から何度も挫折しながら書き直してきた作品なので、とりあえず書き上げたことに満足しています。長編ミステリーはこれで2本目になります。

↓ 「アガサ・クリスティー賞」の詳細


2月はもう一つ「更級日記千年紀文学賞」にも応募を予定しています。主催は市原市です。この賞は市原市に関わりがなくてもプロ以外なら誰でも応募できます。

↓ 「更級日記千年紀文学賞」詳細


今回は第2回で第1回は全国から117の応募(小説のみ)があったそうです。他に紀行文、随筆部門もあります。すべての部門の約半分が県外からの応募のようです。入賞作品の作品集(冊子)も作っています。

「更級日記千年紀文学賞」の小説部門は400字詰め原稿用紙30枚程度なので、はじめての方も応募しやすいと思います。審査員長が椎名誠氏というのも魅力の一つです。

ちなみに「千葉文学賞」は27から30枚。「神奈川文学賞」という賞は今年から誰でも応募できるようになったそうですが、「短編小説部門」は、やはり29牧から30枚です。

↓ 「神奈川文学賞」の詳細


最近はネットでの応募やメールに添付しての応募も可能になってきています。もちろん郵送のみという賞もありますけど、今はレターパックを使えばポストに投函できます。応募が便利になったのも応募数が増えている理由の一つなのかもしれません。

戯曲
オカリナの少年~クロスロード2」を座・劇列車の12月4日本公演の上演台本に選んでいただきました。嬉しいことに新たに団員が3人増えたので、キャストを追加することにしました。でも、書き直しはあまり進んでいません。団員の皆さん、ごめんなさい。

千葉駅零時九分発内房線最終電車殺人事件」という小品を山田組上演台本として書きました。上演がいつになるかは全く未定です。

昨年9月から12月までは詩誌「ココア共和国」の傑作集に選んでいただき絶好調だったのですが、今年は1月、2月と佳作です。佳作ももちろん嬉しいのですが、実は作品にあまり納得していません。ちょっとしたスランプかもしれません。うまく絞りきれない古い歯磨きのチューブみたいな感じです。自分の中の「ほんとう」を出しきれないもどかしさがつきまといます。

いつもながら長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。さあ、散歩がてら夕飯の買い物に行って来よう。では、また。

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鈴谷和子さん公演情報! [その他]

山田組」の仲間、鈴谷和子さんが「演劇集団キャラメルボックス俳優教室」プロデュース公演に出演します。

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鈴谷さんは昨年の10月からキャラメルボックス俳優教室に入所して成井豊氏のもとでお芝居を学んでいるそうです。
演目は『ヒトミ』。
鈴田谷さんはYキャストの大友役だそうです。
チケット発売は2月14日から。
皆さん、よろしくお願いします。

チケット予約フォーム

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九の近況(3) [その他]

コロナウイルスもずいぶん落ち着いてきましたね。天然痘もコレラも昔から何年かの周期で襲ってきたようです。コロナはそうならないといいですね。皆さんのご無事を祈っています。

久しぶりに九の近況です。お時間のある方はお付き合いください。長くてごめんなさい。

(詩)
詩誌『ココア共和国』への投稿を続けています。
最近は好調で、9月号、10月号、11月号と続けて傑作集に入れていただきました。秋吉久美子さんの「いいね」または「こりゃいいね」ももらっています。もちろん、私にしては上出来なんですけど、毎号若い人たちの詩があまりに素晴らしいので少し気後れしています。自分以外にもアマチュアで詩を書いている人がこんなにいるんだと実感できるのは本当に嬉しいことです。そういう場を与えてくださった「ココア共和国」に感謝しています。しかも、11月号では従兄と同時に載ることができました。まったく予想していませんでした。感激です。

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(小説)
ここ10年のあいだ何度も書いて最後まで書き切れなかったミステリーをようやく書き上げました。少し寝かせてから手直しして来年の文学賞に応募しようと思います。

千代田文学賞にも『神様の古本屋』という作品で応募しました。好きな作品でしたが、結果として賞にはまったく引っ掛かりませんでした。

静岡を舞台にした時代小説を伊豆文学賞に応募しました。静岡は私が1歳から高校を卒業した18歳まで過ごした土地です。この作品を書いたきっかけは、Facebookを通じて中学の同級生に彼の祖先の話を聞いたことでした。しかし、文献のなかに根拠となるはずの記述をなかなか見つけられませんでした。関係のありそうな古い文献をいくつか読んでみました。でも、やはりその記述はありませんでした。仕方なく第一資料が見つからないまま、同級生の話を元に執筆することになりました。ともあれ彼がいなければ出会えない物語でした。とても感謝しています。

京都文学賞にも応募しました。昨年に続き2回目の挑戦です。タイムトラベル物です。もちろん舞台は京都。少女と猫が主人公です。SFっぽい作品の応募は初めてかも。猫の登場は名作『夏の扉』を少し意識しました。楽しんで書いた作品です。

今書いているのは千葉文学賞に応募する予定の作品です。一昨年、座・劇列車の演出をお願いした長野さんのご先祖のことを書こうと思っています。これも資料が少ないので、関係する文献や論文を読み漁っているところです。

伊豆文学賞に応募した作品も、千葉文学賞に応募する予定の作品も、どちらも人との縁で書くことになりました。そのきっかけは『桜田濠の鯉』を読んでもらったことでした。書いた作品が人との縁をつなぎ、つながった相手から聞いた話がさらに新しい作品を生むきっかけとなる。作品創作の道筋としては理想的です。ぜひこれからも多くの人に刺激をもらって作品を書き続けたいと思います。

(戯曲)
座・劇列車のオリジナル作品を書き始めています。四街道市を舞台にした芝居になります。以前上演した『クロスロード~運命をつなぐ四つ辻』もそうですが、地元の人たちが四街道に愛着を感じられるような作品にしたいと思います。

「ここで生まれた子供達が地元を誇りに思えるような作品を書きなさい」という西田了先生の言葉が、千葉市創作ミュージカル『千年天女』の原作やちよだ文学賞の千代田賞をいただいた『桜田濠の鯉』などの作品を生みました。これからも先生のお言葉に叶うような作品を書いていきたいと思います。

(芝居)
12月5日(日)に上演される『やまんば おゆき』の演出助手を担当しています。
座・劇列車は31年前にこの作品を上演したことをきっかけに創立されました。当時劇団「あすなろ」の主宰だった西田了先生が脚本と演出を担当なさいました。四街道市民40人以上が参加した朗読劇だったそうです。
今回は演出に青年劇場の福山啓子先生、船津基先生をお迎えして、劇団員10名と公募に応じて集まってくださった18名の市民の皆さんによって演じます。脚本は西田先生の脚本と浜野卓也氏の原作を元に私(高平)が書かせていただきました。演出の先生方の指導によって面白い脚本になったと思います。よろしければ観てやってください。

また長々と書いてしまいました。読んでいただきありがとうございました。

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けん玉のこと [その他]

学生時代にけん玉に夢中になった時期があります。狭いアパートに一人暮らしだったので、寂しかったのでしょう。毎晩、ひたすらけん玉で遊んでいました。

けん玉にはまったきっかけはあるけん玉との出会いでした。そのけん玉は「民芸交易」という世田谷の町工場が作っていて、従来のものと比較すると格段にバランスがよく使いやすかったのです。

↓ 「民芸交易」が製作販売していた競技用けん玉。S18‐2型。倉庫から未開封のものを発見。
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民芸交易のけん玉を設計したのは新間英雄さんというクラシックのギタリストでした。当時はまったく知らなかったのですが、日本の五大ギタリストに挙げられるほどの演奏家なのだそうです。

けん玉のテクニックの本も何冊か出していらして、今では当たり前になっているコスミック技(玉とケンを手元から離す技)も新間さんの本で知りました。コスミック技の考案者は田中俊一という方だそうです。

↓ 新間さんの著作。けん玉の歴史、けん玉の技などが詳しく解説されています。
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民芸交易から発売された競技用けん玉にはS14、S16、S17、S18などの種類がありました。それぞれに様々な設計上の工夫が凝らされていました。S14、16は小型、S17は中型、S18は大型と分類されていました。

S14は少しだけ中皿が大きめに作られているので「もしかめ」がストレスなくできます。14という数字は剣先から中皿までの長さです。子供や手の小さな人が遊ぶのに適したけん玉でした。材質はサクラだけでした。

新間さんはS17の設計に2年を費やしたそうです。伝統的なけん玉に最も近い形ですが、どんな技にも対応している汎用型のけん玉です。少し形の違う17‐2、‐3というものもありました。材質はサクラとケヤキがあったと記憶しています。私が愛用していたのはケヤキのS17でした。
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S18にも18‐2、3がありました。材質はサクラとケヤキがありました。重いので「もしかめ」のような技には向きませんが、「ロウソク」「うぐいす」「奥義剣」などの技はやりやすいようです。鼓部や剣に穴が開けて軽くしてありました。私が最初に手にしたけん玉はこのタイプでした。

サクラ材のけん玉はすぐに手に馴染むのですが、ケヤキのものは表面が滑らかなので使いはじめは手からすべり落ちそうな感じがします。しかし、ケヤキのけん玉は剣と玉が当たるときの音かカンカンと心地よく、使い込んでいくとツヤが出て自分のけん玉に育っていきます。玉だけでいうとS17の場合はサクラ材で75グラム、ケヤキ材では80グラムあります。少しだけケヤキの方が重いです。

もう1つこのけん玉の優れた点は糸でした。最初に購入したときは普通の木綿の糸(たこ糸)でした。しかし、そのうちにナイロン糸が付属するようになり、ビーズをつけて縒りをなくす工夫もされるようになりました。ナイロン糸もビーズも予備がいくつか付属してました。もっともナイロン糸は丈夫なので購入してから40年経った今でも切れません。

民芸交易のけん玉には鼓部(大皿と小皿)の剣を入れる穴に4カ所に糸固定溝があって糸がずれないように工夫されています。糸によって鼓部と剣の間に隙間ができ、鼓部から剣が抜けてしまうこともあるのでその予防にもなります。一時、鼓部から剣が抜けるのを防ぐためにネジを使ったこともありましたがそれは後になくなりました。理由は分かりませんが、金属ネジが木製のけん玉に馴染まなかったかもしれません。

↓ 糸固定溝
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もともとのけん玉は子供の遊び道具でした。それを木地師の職人さんたちが仕事の片手間に作っていたのだと思います。当然ですがバランスの良さや様々な技をやりやすいようになどという観点はなかったはずです。それを大人も楽しめる趣味の道具として捉え直して、設計や素材にこだわったのは新間さんでした。大人ももっと自由にけん玉を楽しめるようにというのが新間さんの考えでした。多くの人が新間さんの設計したけん玉に出会って改めてその魅力に気付いたことでしょう。

民芸交易のけん玉には80個限定販売のローズウッドのものもあって今でも家宝にしています。
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ある日、民芸交易に電話をするとけん玉はもう作れないと言われました。理由を尋ねると「父が亡くなったので」という答えが返ってきました。電話に出たのは娘さんでした。

人が作る物は人がいなくなると作れなくなるということを痛感しました。民芸交易の親父さんが作るケン玉は購入のたびにどこか改良されていました。それが新間さんの指示なのか、親父さんの工夫なのかはわかりません。ひとつだけ言えるのは、どのけん玉にも丁寧に仕事がされていて、作った人の思いがこもったけん玉だったということです。

今でも時折、新間さんが設計し民芸交易の親父さんが作ったけん玉を取り出して遊んでいます。私が得意だったのはフリケン。学生時代、百回続けてできるまで寝ないと決めて夜中に練習した技です。当時は前後左右も楽々できたのですが、今ではかなりさび付いてしまっています。

数年前に膝を痛めたのでリハビリのためにまたけん玉もやっています。ボケ防止にもなればいいんですが(笑)

ところで、新間英雄さんの息子さんが、あの立川志らく師匠なのだそうです。あるテレビ番組で話していらっしゃるのを聞いてびっくりました。師匠もケン玉八段の腕前らしいですよ。
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赤い洗面器を頭にのせた男の話 [その他]

久しぶりのブログです。

今日ドラマ『古畑任三郎』の再放送を観ていたら「赤い洗面器を頭にのせた男」のことが出てきました。
第38話「最も危険なゲーム・後編」主演は江口洋介。

「赤い洗面器を頭にのせた男」
 道を歩いていると向こうから赤い洗面器をのせた男がやって来た。洗面器には水がたっぷり入っているらしく、男は慎重にゆっくりゆっくりと歩いている。私は勇気をふるって尋ねた。
「ちょっとすいません。あなたどうして頭に赤い洗面器なんかのせているんですか?」
 すると男は答えた……。

こんな話です。
この話は古畑任三郎シリーズに5回、他の三谷幸喜作品にも何度が登場していますが、どの場合もオチが明かされず、いまだに謎の小咄なのだそうです

最初に古畑シリーズでこの話が出てきたのは1994年放送の第1シーズン第11話。桃井かおりが犯人役の「さよなら、DJ」。ラジオ番組の最中にDJはこの小咄を披露しますが、古畑に犯行を見破られてオチを言わずに終わりました。

私は三谷作品が大好きなので、もちろん『古畑任三郎』も全部見ています。だから、この不思議な小咄のことは知っていました。やはりこの小咄が出てくるドラマ『王様のレストラン』、映画『ラヂオの時間』も観ています。

そして、この小咄のことを聞くたびに2つの小咄を思い出すのですが、当時はSNSもないので誰にも伝えられずにいました。

今から40年ほど前のこと、大学の先輩の披露宴の二次会で初めてそれらの小咄を聞きました。正直、その場では何が面白いのか分からなかったのですが、なぜか印象に残って自分でも機会があるたびに話すようになりました。この小咄は一度聞いてもその面白さはピンと来ないけど、自分が話してみると聞いている人のぽかんとした反応が実に面白いことに気付きます。つまり話して楽しむ小咄なのです。

題名は『セロリ男』『バナナ男』
これらの小咄には原典があるのかもしれません。試しにネット検索もしてみましたがこの題名ではヒットしませんでした。もし原典をご存知の方がいらしたら教えてください。それから、一度聞いただけの話なので勝手に作り変えてしまった点もあるかとも思います。ご容赦ください。

『セロリ男』
 ホテルのドアマンがいつもと同じように客を迎えていた。ある日、立派な紳士がやって来た。しかし紳士はなせが耳にセロリをはさんでいる。ドアマンはこのお客さん、なんでセロリを耳にはさんでるんだと不思議に思ったが、そんなことを尋ねるのは失礼かと思い我慢した。その紳士は次の日も、その次も日もやって来た。やはり耳にはセロリをはさんでいる。それでもドアマンは我慢した。ところが4日目、同じ客が耳に長ネギをはさんでやって来た。ドアマンはとうとう我慢できずに尋ねた。
「お客様たいへん申し訳ありませんが、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、かまわんよ」
「お客様はなぜ耳に長ネギをはさんでいらっしゃるんでしょうか?」
「ああ、これかね」
 すると紳士は耳から長ネギをとって言った。
「今朝、八百屋にセロリがなかったんじゃよ」

いかかでしょうか?これを読んでいる皆さんの「えっ?」という顔が目に浮かびます。結局、お客はドアマンの質問にちゃんと答えていないので、セロリであろうと長ネギであろうと、なぜ耳にはさんでいるかは謎のままです。なんかすっきりしない小咄ですよね。

「もう一つ聞いていただくと、この話の面白さが分かっていただけるかもしれません」
私が聞いたときに話し手はそう言ったと記憶しています。だから私も同じように言って次の小咄『バナナ男』を話しています

『バナナ男』
 新幹線ひかり号に乗って東京を発った。ボックス席の向かいに男がいた。不思議なことに男の両耳にはバナナがさしてある。皮をむいてあるので空調の風を受けて皮がバタバタしている。男は新聞を広げて読んでいた。
(どうしてこの人はバナナを耳にさしているんだろう?)
 そう思ったが初対面の相手にそんなことを聞くのは失礼だと思い我慢した。だが新幹線が名古屋に近づくにつれて、男が名古屋で降りてしまえば一生謎のままであると思い、意を決して礼儀正しく尋ねた。
「あのお、不躾な質問で申し訳ありません。あなたどうして耳にバナナをさしているんですか?」
 だが、男は無視して新聞を読んでいる。声が小さかったのだろうか。勇気をふるって今度はもっと大きな声で尋ねた。
「すみません。あなたどうして耳にバナナをさしてるんですか?」
 それでも男は黙って新聞を読み続けている。なんで無視するんだ。腹が立ってきた。思わず新聞を手で破いて叫んだ。
「あんたねえ、なんで耳にバナナなんかはさんでるんだ!」
 すると男は耳からバナナを外して言った。
「すいません。耳にバナナをさしていたんで、あなたの声が聞こえませんでした」

新幹線に東京から乗ったら席は向かい合っていなってないだろうって? そうなんですよね。もしかすると新幹線ができる前の話なのかしれませんね。オリジナルは東海道線の特急なのかもしれない。
えっ? 空調の風くらいでバナナの皮はバタバタしないって? そうなんですよ。その点は非科学的なんですけど面白いのでそのまま使ってます。

細かなことはさておき、この2つの小咄って『赤い洗面器を頭にのせた男』に似ていませんか?
三谷幸喜さんも『セロリ男』『バナナ男』の話をどこかで耳にしたのだろうか?あるいは『赤い洗面器男』という同類の話があったんでしょうか?想像すると面白い。

私なりに『赤い洗面器を頭にのせた男』にオチをつけるとすると、

「すいません。家に赤い洗面器しかなかったんですよ」

とでもなるんでしょうかね。えっオチになっていないって? だから、三谷さんもあえてオチを伝えないんでしょうかね。

よし、次からは『セロリ男』『バナナ男』『赤い洗面器の男』の3つをセットで話してみよう。聞いている人が消化不良でイライラする顔が目に浮かぶぜ(笑)

いったい誰が作ったんでしょう。これらの小咄の出典をご存知の方はぜひ教えてくださいね。よろしくお願いします。
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九の近況(2) [その他]

今日(7月1日)は関東地方、大雨のようですね。

ようやくワクチン接種券が届きました。65歳以上に1ヶ月足りなかった私は取り残されたような気分でしたけど、これで高齢者の仲間入りができます。近所の病院が今日から予約受付なので、朝の9時から電話をしました。でも話し中、その後100回以上かけ直して、ようやく10時過ぎにつながりました。7月6日が1回目、2回目は7月27日になりました。

I園O茶新俳句大賞は6月前半に二次通過者への封書が届いたみたいですね。残念ながら私のところには来ませんでした。入選した俳句を見ると、どれも実感がこもっていて感心します。俳句は写真のように一瞬の出遭いを切り取るものだと思っています。想像だけで作ったものにはやはり力がありません。旅先など特別な状況でなくても、日常に目を凝らせば出遭いはあるはずなんですけど、なかなか難しいですね。来年も挑戦します。

「ココア共和国」への投稿は続けていますが、なかなか傑作集(紙の本)には届きません。2ヶ月続けていただいた秋吉久美子さんの「こりゃいいね」も7月号ではとうとうもらえませんでした。
今月の詩は母のことを書きました。皆さんもそうかもしれませんが、亡くなった人というのは年月が経てば経つほど不思議にその存在感が濃くなります。このまま行くと私があっちに行くころには復活するんじゃないかと思うほどです(笑)

「桜貝の記憶」という詩です。三保半島の駒越海岸には桜貝の貝柄がたくさん落ちていました。あるとき母は幼い私を連れてその貝を拾って歩いたことがあります。東京から嫁いで来た母が、田舎暮らしの姑や父の兄弟姉妹と暮らすのは並大抵のことではなかったでしょう。いつもは気丈で快活な母でしたが、その記憶の中の母はとても悲しげです。空はどんより曇っていて富士山も見えなかったと思います。私は途中で歩けなくなって母の背中に負われました。それでも母は貝殻を拾うことをやめなかった。そんな詩です。

程度の差こそあれ男はみんなマザコンです。うちの父は認知症になってから「母ちゃんが待ってるから清水に帰る」と言って毎晩のように徘徊していました。さすがにそうはなりたくないと思います。

ちなみに8月号に向けての投稿はもう済んでいます。飼い猫のことを書きました。

できれば現実と非現実のあわいの世界を描きたいと思っているのですが、どうも最近の私は現実の方に引っ張られているように感じます。幻想への扉が固くなってしまったのか。でも、鍵はまだ私の手の中にあります。

資生堂の「詩を探しています」にも応募してみました。詩の投稿は「ココア共和国」だけと決めていたのですが、たまたまある方がツイッターでこの賞を紹介してくださっていて、そのときに言葉が自然に浮かんでので2つほど送ってみました。でも、今日(6月30日)までに連絡がないので選んではいただけなかったようです。「ココア共和国」に投稿している何人かも送ったはずですけど、どうだったんだろう?

肝心の小説はなかなか新作が書けません。応募しようとして準備していた「このミステリーがすごい!大賞」や「オール讀物新人賞」に投稿する作品を途中まで書いたのですが、結局間に合いませんでした。この2作はなんとか書き上げて来年こそは応募したいと思っています。

座・劇列車の『やまんば おゆき』の稽古も進んでいます。今は演出の先生方の指導で台本を持っての立ち稽古をしています。先日は1場から3場までと子役の活躍する8場をやりました。先生方が見てくださるのは月2回だけなので、他の稽古日は演出助手の私が中心となってお復習いをします。あくまで助手として先生方の助言が正確に伝わっているかを確認するだけと自分を戒めているのですが、どうしても余計なことを言ってしまいます。

お世話になった西田了先生が30年前に演出してくださった作品です。もともと朗読劇だったものを、演出の先生方の指導で私が書き直しました。あふれそうな思いを我慢して助手に徹するのは大変ですけど、それが私の役割ですから、とにかくあまり余計なことを言わずに稽古を進めたいと思います。

今はちょうど千葉公園などの大賀ハスが見頃のようです。週末に見に行こうと思っていたのですがあいにくの雨の予報です。私が書いた『千年天女』という作品には大賀一郎先生が登場し、蓮の花は作品のモチーフの1つになっています。昨年ミュージカルとして上演予定でしたけど、この状況ではなかなか上演できないようです。しかし、『千年天女』をテキストにした演劇、音楽、ダンス講座を開いてくれるそうです。私も参加希望のメールを送りました。久しぶりに参加者の皆さんの顔を見られると思うと今から楽しみです。
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読んでいただきありがとうございました。内容があまりないのに長くなりました。なかなかいい報告ができずにすいません。
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不思議な感覚 [その他]

先日、あるテレビ番組のなかで、

芝居の最中に周囲の人がゆっくり動いているように感じたことがある」と話している俳優さんがいました。そして、共演している女優さんも「私も同じ経験をした」と言っていました。

ゾーンに入ったみたいなことですか」と司会者が尋ねましたが、俳優さんたちは「そうかもしれない」と言葉を濁しました。

ゾーンに入る」というのは、今では脳内麻薬とも言われる「βエンドルフィン」によって起こる科学的な現象と認識されていると思います。しかし、いまだに世迷い言だと決めつける人も多いことでしょう。俳優さんたちの曖昧な態度もそういう批判を怖れたからかもしれません。

ゾーンに入る」という言葉自体は比較的新しいものですが、その感覚は昔から有名でした。例えば、赤バットで知られる巨人軍の川上哲治氏が「ボールが止まって見える」と言ったという逸話(実際は小鶴誠という選手が言った言葉のようです)

極度に集中力を高めることによって、人は誰にとっても平等であるはずの一秒を数秒にも感じることができるようです。流行りの言葉で言うと「全集中」ですね(笑)

武闘家がその状態になると敵の動きが緩慢に見えスキだらけに感じます。

サッカー、バスケットなどの球技の場合には相手チームの選手のプレーを遅く感じたり、ピッチやコート全体が俯瞰できたりします。

棒高跳びや走り高跳びの選手はバーの位置を低く感じることでしょう。

マラソン選手は42.195㎞をとても短く感じるのかもしれません。

ギタリストのエリック・クラプトンは「スローハンド」と呼ばれました。ゆっくりと指を動かしているように見えるのに、複雑で難しい奏法ができるからだそうです。優れた音楽家は皆そういう感覚を持っているのでしょう。でなければ、あんな神がかった演奏はできません。

夏目漱石の『夢十夜』の『第六夜』には、護国寺の山門で仁王を彫る運慶が登場します。主人公が感心していると見物人の若い男が「眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ」と言います。

「明治の木には仁王はいない」という主題とは離れますが、これもまた優れた芸術家が「ゾーンに入る」感覚をうまくたとえていると思います。自分が創っているのではなく誰かに創らされているような感覚とでも言うのでしょうか。

多くの芸術家たちが言う詩神ミューズの降臨です。

私のパントマイムの師であるやまさわたけみつ先生は、同じ演目をくりかえし演じています。先生の師匠であるマルセル・マルソーもそうだったようです。

自然に観客も同じ演目を何度も見ることになります。でもけして飽きません。先生の公演は常連の人がほとんどです。会場は水を打ったように静まり、舞台上の先生の演技に集中しています。すると、前回まで見えなかったものが見えるようになってくる。同じ演目なのに全く違うディテールを発見するのです。

やまさわ先生はどんな観客の鑑賞にも負けないほどの緻密さで作品を練り上げ、そしてどんな観客をもしのぐ集中力で演じていることでしょう。

古来、達人と呼ばれる人は、難しいことをいとも簡単そうにやってのけるものです。集中力を高めることがそれを可能にするのであり、その極限に近いものが「ゾーンに入る」なのだと思います。

もう13年も前のことになりますが、モリエールの『いやいやながら医者にされ』という芝居を上演しました。私の役はスガナレルといって、最初から最後まで舞台上を動き回り、訳のわからないことをしゃべりまくる役でした。まだ芝居を始めたばかりでしたので、力の抜き方などまるでわかりません。あいにく仕事も忙しい時期でしたから、とにかく必死でした。毎回栄養ドリンクを飲んで稽古に臨んだことを覚えています。

ようやく迎えた本番中に突然時間が止まりました。

舞台上に相手役がいて台詞を言っています。私はそれを聴いています。次の自分の台詞までの数秒が実にゆっくりと進んでいるように感じられました。照明が光の粒子となって相手役と私の上に降り注いでいてなんとも美しい眺めでした。数百人の観客に見られていることなど完全に忘れて、不思議な幸福感だけが心を占めていました。

当時は「ゾーンに入る」などという言葉は知りませんでした。他の劇団員にその話をしてもあまり手応えがありません。変な人と思われないようにその体験はあまり人に話さないようにしていました。

自分が達人などというつもりは毛頭ありません。ただ、そのとき初めて観客の目も自分の演技の出来も関係なく、スガナレルという役柄として生きることに集中できたような気がします。そして、初めてお客さんが興奮して「よかったよ」と声をかけてくれたように感じました。

できればもう一度くらい、あの感覚を味わいたいと思います。おそらく、何度もその感覚を味わいたいと思う人はプロを目指すのでしょうね。

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