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『オカリナの少年~クロスロード2』について [戯曲]

四街道市民劇団「座・劇列車」第31回本公演で拙作『オカリナの少年~クロスロード2』を上演してくれることになりました。本公演では『クロスロード~運命をつなぐ四つ辻』『人情喜劇カリホルニアホテル』に続き3作目です。

来月から3名のニューフェイスを迎えることになり、現在、キャストを増やして台本を書き直しています。

また、探していた「平和よ永遠に~少年砲兵史」(少年砲兵史編集委員会)という資料も、ようやく手に入れることができました。

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今、イトーヨーカ堂(四街道店)のある場所には戦時中まで陸軍野戦砲兵学校がありました。

文化センターの隣にルボン山(大土手山)という小山があります。かつてこの下志津原が佐倉藩の火業所(砲術の練習場)だった頃、この山が射朶(しゃだ・目標)として使われていました。明治以降も引き続き陸軍が野砲の訓練に使っていました。総武本線が開通し四街道駅ができると、駅の方面に大砲を撃つのは剣呑だという理由から、ルボン山の方から撃つことになったそうです。そのとき砲兵学校はもちろん、周辺の店などが一度に駅の近くに引っ越しを余儀なくされました。

終戦近くなると兵士、中でも知識と経験のある下士官が不足したのでしょう。それまで徴兵の対象外だった15歳から18歳までの少年兵を募集しました。2年弱の訓練で下士官になれるということもあって、全国から応募者が殺到したようです。昭和17年12月に四街道の野戦砲兵学校(生徒隊)に入学した一期生120名は19年5月に卒業後、それぞれの任地に向かいました。2期生は417倍の難関の中から選ばれた優秀な生徒たちでした。昭和18年12月に入学、その半数の70名が翌年の11月に繰り上げ卒業しましたが、門司港から南方戦線に向かう輸送船団が潜水艦に襲われ41名が亡くなりました。生き残った29名はそれぞれ激戦地に送られ無事に復員したのは8名に過ぎませんでした。後発の二期生は昭和20年3月に卒業し、それぞれの任地に赴任しました。三期生、四期生は在校時に終戦となりました。

「少年砲兵史」には四街道の陸軍野戦砲兵学校で学んだ生徒たちの記録が、復員した元生徒たちの手記を中心にまとめられています。断片的だった私の知識もこれを読むことでようやくまとまってきました。情報は大事ですね。二期生の乗った輸送船が襲われたのも元をただせば台湾沖航空戦での戦果が誤って(あるいは故意に歪められて)伝えられたことが原因でした。航空戦で大勝し、その海域は安全だからと輸送船団を送ったそうです。

フェイクニュースにも気を付けなければいけませんが、政府からの情報も鵜呑みにしてはいけませんね。状況が苦しくなると都合のいい情報しか流さない。これは今も昔も同じなのかもしれません。

『オカリナの少年~クロスロード2』は前作『クロスロード~運命をつなぐ四つ辻』の2場から派生したスピンオフ作品です。前作にも登場した不思議な婆さん小野とき、それから女医者新藤久子も再び登場します。久子の弟が少年砲兵だったという話は前作にも話題として語られますが、今作ではその弟幸平が主人公です。

幸平がときからもらったオカリナを吹くと……おっとここから先は12月4日(日)公演まで秘密です。

四街道が舞台の物語なので、特に四街道市民の皆さんに観ていただきたいと願っております。そして、この作品を観てくださることをきっかけに今一度「戦争」について考えていただきたいと思います。

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