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けん玉のこと [その他]

学生時代にけん玉に夢中になった時期があります。狭いアパートに一人暮らしだったので、寂しかったのでしょう。毎晩、ひたすらけん玉で遊んでいました。

けん玉にはまったきっかけはあるけん玉との出会いでした。そのけん玉は「民芸交易」という世田谷の町工場が作っていて、従来のものと比較すると格段にバランスがよく使いやすかったのです。

↓ 「民芸交易」が製作販売していた競技用けん玉。S18‐2型。倉庫から未開封のものを発見。
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民芸交易のけん玉を設計したのは新間英雄さんというクラシックのギタリストでした。当時はまったく知らなかったのですが、日本の五大ギタリストに挙げられるほどの演奏家なのだそうです。

けん玉のテクニックの本も何冊か出していらして、今では当たり前になっているコスミック技(玉とケンを手元から離す技)も新間さんの本で知りました。コスミック技の考案者は田中俊一という方だそうです。

↓ 新間さんの著作。けん玉の歴史、けん玉の技などが詳しく解説されています。
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民芸交易から発売された競技用けん玉にはS14、S16、S17、S18などの種類がありました。それぞれに様々な設計上の工夫が凝らされていました。S14、16は小型、S17は中型、S18は大型と分類されていました。

S14は少しだけ中皿が大きめに作られているので「もしかめ」がストレスなくできます。14という数字は剣先から中皿までの長さです。子供や手の小さな人が遊ぶのに適したけん玉でした。材質はサクラだけでした。

新間さんはS17の設計に2年を費やしたそうです。伝統的なけん玉に最も近い形ですが、どんな技にも対応している汎用型のけん玉です。少し形の違う17‐2、‐3というものもありました。材質はサクラとケヤキがあったと記憶しています。私が愛用していたのはケヤキのS17でした。
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S18にも18‐2、3がありました。材質はサクラとケヤキがありました。重いので「もしかめ」のような技には向きませんが、「ロウソク」「うぐいす」「奥義剣」などの技はやりやすいようです。鼓部や剣に穴が開けて軽くしてありました。私が最初に手にしたけん玉はこのタイプでした。

サクラ材のけん玉はすぐに手に馴染むのですが、ケヤキのものは表面が滑らかなので使いはじめは手からすべり落ちそうな感じがします。しかし、ケヤキのけん玉は剣と玉が当たるときの音かカンカンと心地よく、使い込んでいくとツヤが出て自分のけん玉に育っていきます。玉だけでいうとS17の場合はサクラ材で75グラム、ケヤキ材では80グラムあります。少しだけケヤキの方が重いです。

もう1つこのけん玉の優れた点は糸でした。最初に購入したときは普通の木綿の糸(たこ糸)でした。しかし、そのうちにナイロン糸が付属するようになり、ビーズをつけて縒りをなくす工夫もされるようになりました。ナイロン糸もビーズも予備がいくつか付属してました。もっともナイロン糸は丈夫なので購入してから40年経った今でも切れません。

民芸交易のけん玉には鼓部(大皿と小皿)の剣を入れる穴に4カ所に糸固定溝があって糸がずれないように工夫されています。糸によって鼓部と剣の間に隙間ができ、鼓部から剣が抜けてしまうこともあるのでその予防にもなります。一時、鼓部から剣が抜けるのを防ぐためにネジを使ったこともありましたがそれは後になくなりました。理由は分かりませんが、金属ネジが木製のけん玉に馴染まなかったかもしれません。

↓ 糸固定溝
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もともとのけん玉は子供の遊び道具でした。それを木地師の職人さんたちが仕事の片手間に作っていたのだと思います。当然ですがバランスの良さや様々な技をやりやすいようになどという観点はなかったはずです。それを大人も楽しめる趣味の道具として捉え直して、設計や素材にこだわったのは新間さんでした。大人ももっと自由にけん玉を楽しめるようにというのが新間さんの考えでした。多くの人が新間さんの設計したけん玉に出会って改めてその魅力に気付いたことでしょう。

民芸交易のけん玉には80個限定販売のローズウッドのものもあって今でも家宝にしています。
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ある日、民芸交易に電話をするとけん玉はもう作れないと言われました。理由を尋ねると「父が亡くなったので」という答えが返ってきました。電話に出たのは娘さんでした。

人が作る物は人がいなくなると作れなくなるということを痛感しました。民芸交易の親父さんが作るケン玉は購入のたびにどこか改良されていました。それが新間さんの指示なのか、親父さんの工夫なのかはわかりません。ひとつだけ言えるのは、どのけん玉にも丁寧に仕事がされていて、作った人の思いがこもったけん玉だったということです。

今でも時折、新間さんが設計し民芸交易の親父さんが作ったけん玉を取り出して遊んでいます。私が得意だったのはフリケン。学生時代、百回続けてできるまで寝ないと決めて夜中に練習した技です。当時は前後左右も楽々できたのですが、今ではかなりさび付いてしまっています。

数年前に膝を痛めたのでリハビリのためにまたけん玉もやっています。ボケ防止にもなればいいんですが(笑)

ところで、新間英雄さんの息子さんが、あの立川志らく師匠なのだそうです。あるテレビ番組で話していらっしゃるのを聞いてびっくりました。師匠もケン玉八段の腕前らしいですよ。
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赤い洗面器を頭にのせた男の話 [その他]

久しぶりのブログです。

今日ドラマ『古畑任三郎』の再放送を観ていたら「赤い洗面器を頭にのせた男」のことが出てきました。
第38話「最も危険なゲーム・後編」主演は江口洋介。

「赤い洗面器を頭にのせた男」
 道を歩いていると向こうから赤い洗面器をのせた男がやって来た。洗面器には水がたっぷり入っているらしく、男は慎重にゆっくりゆっくりと歩いている。私は勇気をふるって尋ねた。
「ちょっとすいません。あなたどうして頭に赤い洗面器なんかのせているんですか?」
 すると男は答えた……。

こんな話です。
この話は古畑任三郎シリーズに5回、他の三谷幸喜作品にも何度が登場していますが、どの場合もオチが明かされず、いまだに謎の小咄なのだそうです

最初に古畑シリーズでこの話が出てきたのは1994年放送の第1シーズン第11話。桃井かおりが犯人役の「さよなら、DJ」。ラジオ番組の最中にDJはこの小咄を披露しますが、古畑に犯行を見破られてオチを言わずに終わりました。

私は三谷作品が大好きなので、もちろん『古畑任三郎』も全部見ています。だから、この不思議な小咄のことは知っていました。やはりこの小咄が出てくるドラマ『王様のレストラン』、映画『ラヂオの時間』も観ています。

そして、この小咄のことを聞くたびに2つの小咄を思い出すのですが、当時はSNSもないので誰にも伝えられずにいました。

今から40年ほど前のこと、大学の先輩の披露宴の二次会で初めてそれらの小咄を聞きました。正直、その場では何が面白いのか分からなかったのですが、なぜか印象に残って自分でも機会があるたびに話すようになりました。この小咄は一度聞いてもその面白さはピンと来ないけど、自分が話してみると聞いている人のぽかんとした反応が実に面白いことに気付きます。つまり話して楽しむ小咄なのです。

題名は『セロリ男』『バナナ男』
これらの小咄には原典があるのかもしれません。試しにネット検索もしてみましたがこの題名ではヒットしませんでした。もし原典をご存知の方がいらしたら教えてください。それから、一度聞いただけの話なので勝手に作り変えてしまった点もあるかとも思います。ご容赦ください。

『セロリ男』
 ホテルのドアマンがいつもと同じように客を迎えていた。ある日、立派な紳士がやって来た。しかし紳士はなせが耳にセロリをはさんでいる。ドアマンはこのお客さん、なんでセロリを耳にはさんでるんだと不思議に思ったが、そんなことを尋ねるのは失礼かと思い我慢した。その紳士は次の日も、その次も日もやって来た。やはり耳にはセロリをはさんでいる。それでもドアマンは我慢した。ところが4日目、同じ客が耳に長ネギをはさんでやって来た。ドアマンはとうとう我慢できずに尋ねた。
「お客様たいへん申し訳ありませんが、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、かまわんよ」
「お客様はなぜ耳に長ネギをはさんでいらっしゃるんでしょうか?」
「ああ、これかね」
 すると紳士は耳から長ネギをとって言った。
「今朝、八百屋にセロリがなかったんじゃよ」

いかかでしょうか?これを読んでいる皆さんの「えっ?」という顔が目に浮かびます。結局、お客はドアマンの質問にちゃんと答えていないので、セロリであろうと長ネギであろうと、なぜ耳にはさんでいるかは謎のままです。なんかすっきりしない小咄ですよね。

「もう一つ聞いていただくと、この話の面白さが分かっていただけるかもしれません」
私が聞いたときに話し手はそう言ったと記憶しています。だから私も同じように言って次の小咄『バナナ男』を話しています

『バナナ男』
 新幹線ひかり号に乗って東京を発った。ボックス席の向かいに男がいた。不思議なことに男の両耳にはバナナがさしてある。皮をむいてあるので空調の風を受けて皮がバタバタしている。男は新聞を広げて読んでいた。
(どうしてこの人はバナナを耳にさしているんだろう?)
 そう思ったが初対面の相手にそんなことを聞くのは失礼だと思い我慢した。だが新幹線が名古屋に近づくにつれて、男が名古屋で降りてしまえば一生謎のままであると思い、意を決して礼儀正しく尋ねた。
「あのお、不躾な質問で申し訳ありません。あなたどうして耳にバナナをさしているんですか?」
 だが、男は無視して新聞を読んでいる。声が小さかったのだろうか。勇気をふるって今度はもっと大きな声で尋ねた。
「すみません。あなたどうして耳にバナナをさしてるんですか?」
 それでも男は黙って新聞を読み続けている。なんで無視するんだ。腹が立ってきた。思わず新聞を手で破いて叫んだ。
「あんたねえ、なんで耳にバナナなんかはさんでるんだ!」
 すると男は耳からバナナを外して言った。
「すいません。耳にバナナをさしていたんで、あなたの声が聞こえませんでした」

新幹線に東京から乗ったら席は向かい合っていなってないだろうって? そうなんですよね。もしかすると新幹線ができる前の話なのかしれませんね。オリジナルは東海道線の特急なのかもしれない。
えっ? 空調の風くらいでバナナの皮はバタバタしないって? そうなんですよ。その点は非科学的なんですけど面白いのでそのまま使ってます。

細かなことはさておき、この2つの小咄って『赤い洗面器を頭にのせた男』に似ていませんか?
三谷幸喜さんも『セロリ男』『バナナ男』の話をどこかで耳にしたのだろうか?あるいは『赤い洗面器男』という同類の話があったんでしょうか?想像すると面白い。

私なりに『赤い洗面器を頭にのせた男』にオチをつけるとすると、

「すいません。家に赤い洗面器しかなかったんですよ」

とでもなるんでしょうかね。えっオチになっていないって? だから、三谷さんもあえてオチを伝えないんでしょうかね。

よし、次からは『セロリ男』『バナナ男』『赤い洗面器の男』の3つをセットで話してみよう。聞いている人が消化不良でイライラする顔が目に浮かぶぜ(笑)

いったい誰が作ったんでしょう。これらの小咄の出典をご存知の方はぜひ教えてくださいね。よろしくお願いします。
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九の近況(2) [その他]

今日(7月1日)は関東地方、大雨のようですね。

ようやくワクチン接種券が届きました。65歳以上に1ヶ月足りなかった私は取り残されたような気分でしたけど、これで高齢者の仲間入りができます。近所の病院が今日から予約受付なので、朝の9時から電話をしました。でも話し中、その後100回以上かけ直して、ようやく10時過ぎにつながりました。7月6日が1回目、2回目は7月27日になりました。

I園O茶新俳句大賞は6月前半に二次通過者への封書が届いたみたいですね。残念ながら私のところには来ませんでした。入選した俳句を見ると、どれも実感がこもっていて感心します。俳句は写真のように一瞬の出遭いを切り取るものだと思っています。想像だけで作ったものにはやはり力がありません。旅先など特別な状況でなくても、日常に目を凝らせば出遭いはあるはずなんですけど、なかなか難しいですね。来年も挑戦します。

「ココア共和国」への投稿は続けていますが、なかなか傑作集(紙の本)には届きません。2ヶ月続けていただいた秋吉久美子さんの「こりゃいいね」も7月号ではとうとうもらえませんでした。
今月の詩は母のことを書きました。皆さんもそうかもしれませんが、亡くなった人というのは年月が経てば経つほど不思議にその存在感が濃くなります。このまま行くと私があっちに行くころには復活するんじゃないかと思うほどです(笑)

「桜貝の記憶」という詩です。三保半島の駒越海岸には桜貝の貝柄がたくさん落ちていました。あるとき母は幼い私を連れてその貝を拾って歩いたことがあります。東京から嫁いで来た母が、田舎暮らしの姑や父の兄弟姉妹と暮らすのは並大抵のことではなかったでしょう。いつもは気丈で快活な母でしたが、その記憶の中の母はとても悲しげです。空はどんより曇っていて富士山も見えなかったと思います。私は途中で歩けなくなって母の背中に負われました。それでも母は貝殻を拾うことをやめなかった。そんな詩です。

程度の差こそあれ男はみんなマザコンです。うちの父は認知症になってから「母ちゃんが待ってるから清水に帰る」と言って毎晩のように徘徊していました。さすがにそうはなりたくないと思います。

ちなみに8月号に向けての投稿はもう済んでいます。飼い猫のことを書きました。

できれば現実と非現実のあわいの世界を描きたいと思っているのですが、どうも最近の私は現実の方に引っ張られているように感じます。幻想への扉が固くなってしまったのか。でも、鍵はまだ私の手の中にあります。

資生堂の「詩を探しています」にも応募してみました。詩の投稿は「ココア共和国」だけと決めていたのですが、たまたまある方がツイッターでこの賞を紹介してくださっていて、そのときに言葉が自然に浮かんでので2つほど送ってみました。でも、今日(6月30日)までに連絡がないので選んではいただけなかったようです。「ココア共和国」に投稿している何人かも送ったはずですけど、どうだったんだろう?

肝心の小説はなかなか新作が書けません。応募しようとして準備していた「このミステリーがすごい!大賞」や「オール讀物新人賞」に投稿する作品を途中まで書いたのですが、結局間に合いませんでした。この2作はなんとか書き上げて来年こそは応募したいと思っています。

座・劇列車の『やまんば おゆき』の稽古も進んでいます。今は演出の先生方の指導で台本を持っての立ち稽古をしています。先日は1場から3場までと子役の活躍する8場をやりました。先生方が見てくださるのは月2回だけなので、他の稽古日は演出助手の私が中心となってお復習いをします。あくまで助手として先生方の助言が正確に伝わっているかを確認するだけと自分を戒めているのですが、どうしても余計なことを言ってしまいます。

お世話になった西田了先生が30年前に演出してくださった作品です。もともと朗読劇だったものを、演出の先生方の指導で私が書き直しました。あふれそうな思いを我慢して助手に徹するのは大変ですけど、それが私の役割ですから、とにかくあまり余計なことを言わずに稽古を進めたいと思います。

今はちょうど千葉公園などの大賀ハスが見頃のようです。週末に見に行こうと思っていたのですがあいにくの雨の予報です。私が書いた『千年天女』という作品には大賀一郎先生が登場し、蓮の花は作品のモチーフの1つになっています。昨年ミュージカルとして上演予定でしたけど、この状況ではなかなか上演できないようです。しかし、『千年天女』をテキストにした演劇、音楽、ダンス講座を開いてくれるそうです。私も参加希望のメールを送りました。久しぶりに参加者の皆さんの顔を見られると思うと今から楽しみです。
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読んでいただきありがとうございました。内容があまりないのに長くなりました。なかなかいい報告ができずにすいません。
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不思議な感覚 [その他]

先日、あるテレビ番組のなかで、

芝居の最中に周囲の人がゆっくり動いているように感じたことがある」と話している俳優さんがいました。そして、共演している女優さんも「私も同じ経験をした」と言っていました。

ゾーンに入ったみたいなことですか」と司会者が尋ねましたが、俳優さんたちは「そうかもしれない」と言葉を濁しました。

ゾーンに入る」というのは、今では脳内麻薬とも言われる「βエンドルフィン」によって起こる科学的な現象と認識されていると思います。しかし、いまだに世迷い言だと決めつける人も多いことでしょう。俳優さんたちの曖昧な態度もそういう批判を怖れたからかもしれません。

ゾーンに入る」という言葉自体は比較的新しいものですが、その感覚は昔から有名でした。例えば、赤バットで知られる巨人軍の川上哲治氏が「ボールが止まって見える」と言ったという逸話(実際は小鶴誠という選手が言った言葉のようです)

極度に集中力を高めることによって、人は誰にとっても平等であるはずの一秒を数秒にも感じることができるようです。流行りの言葉で言うと「全集中」ですね(笑)

武闘家がその状態になると敵の動きが緩慢に見えスキだらけに感じます。

サッカー、バスケットなどの球技の場合には相手チームの選手のプレーを遅く感じたり、ピッチやコート全体が俯瞰できたりします。

棒高跳びや走り高跳びの選手はバーの位置を低く感じることでしょう。

マラソン選手は42.195㎞をとても短く感じるのかもしれません。

ギタリストのエリック・クラプトンは「スローハンド」と呼ばれました。ゆっくりと指を動かしているように見えるのに、複雑で難しい奏法ができるからだそうです。優れた音楽家は皆そういう感覚を持っているのでしょう。でなければ、あんな神がかった演奏はできません。

夏目漱石の『夢十夜』の『第六夜』には、護国寺の山門で仁王を彫る運慶が登場します。主人公が感心していると見物人の若い男が「眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ」と言います。

「明治の木には仁王はいない」という主題とは離れますが、これもまた優れた芸術家が「ゾーンに入る」感覚をうまくたとえていると思います。自分が創っているのではなく誰かに創らされているような感覚とでも言うのでしょうか。

多くの芸術家たちが言う詩神ミューズの降臨です。

私のパントマイムの師であるやまさわたけみつ先生は、同じ演目をくりかえし演じています。先生の師匠であるマルセル・マルソーもそうだったようです。

自然に観客も同じ演目を何度も見ることになります。でもけして飽きません。先生の公演は常連の人がほとんどです。会場は水を打ったように静まり、舞台上の先生の演技に集中しています。すると、前回まで見えなかったものが見えるようになってくる。同じ演目なのに全く違うディテールを発見するのです。

やまさわ先生はどんな観客の鑑賞にも負けないほどの緻密さで作品を練り上げ、そしてどんな観客をもしのぐ集中力で演じていることでしょう。

古来、達人と呼ばれる人は、難しいことをいとも簡単そうにやってのけるものです。集中力を高めることがそれを可能にするのであり、その極限に近いものが「ゾーンに入る」なのだと思います。

もう13年も前のことになりますが、モリエールの『いやいやながら医者にされ』という芝居を上演しました。私の役はスガナレルといって、最初から最後まで舞台上を動き回り、訳のわからないことをしゃべりまくる役でした。まだ芝居を始めたばかりでしたので、力の抜き方などまるでわかりません。あいにく仕事も忙しい時期でしたから、とにかく必死でした。毎回栄養ドリンクを飲んで稽古に臨んだことを覚えています。

ようやく迎えた本番中に突然時間が止まりました。

舞台上に相手役がいて台詞を言っています。私はそれを聴いています。次の自分の台詞までの数秒が実にゆっくりと進んでいるように感じられました。照明が光の粒子となって相手役と私の上に降り注いでいてなんとも美しい眺めでした。数百人の観客に見られていることなど完全に忘れて、不思議な幸福感だけが心を占めていました。

当時は「ゾーンに入る」などという言葉は知りませんでした。他の劇団員にその話をしてもあまり手応えがありません。変な人と思われないようにその体験はあまり人に話さないようにしていました。

自分が達人などというつもりは毛頭ありません。ただ、そのとき初めて観客の目も自分の演技の出来も関係なく、スガナレルという役柄として生きることに集中できたような気がします。そして、初めてお客さんが興奮して「よかったよ」と声をかけてくれたように感じました。

できればもう一度くらい、あの感覚を味わいたいと思います。おそらく、何度もその感覚を味わいたいと思う人はプロを目指すのでしょうね。

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I園O茶新俳句大賞に今年も応募しました [その他]

今年もI園の新俳句大賞に応募しました。締め切りは2月28日です。ネットからも応募できますのでお早めにどうぞ。




応募は1人6句まで。一般の部は40歳未満と40歳以上に分かれています。毎年、子供たちの応募数がものすごい数になります。学校単位で応募するからでしょう。それと比べると大人はそれほど多くありません。とは言っても前回の応募総数は全体で3,700万句を超えていたそうです。すごいですね。

一次審査で約2万句まで絞られるそうです。二次審査ではさらに半分の約1万句まで絞られます。

おそらく、この二次審査を通過した人に、封書で「二次審査通過回答シート」という書類が送られてきます。シートには氏名や住所、年齢などの確認とともに、二重投稿をしていないか、すでにどこかに発表をしていないか、などをチェックするアンケート。さらに句を作ったときの状況や気持ちを書く欄があります。シートは返信用の封筒で送ってもいいしネットで回答することもできます。

その回答を受けて、上位約2,000句を最終審査員が検討するそうです。二重投稿やすでに発表した句があると繰り上がって当選することもあり、これを「敗者復活選考」と呼んでいるようです。

最終的にパッケージに印刷される俳句は2,000句なので、二次審査回答シートを送ったからといって必ず入賞するわけではありません。むしろ8,000句は落選するわけです。

1つの句がパッケージに掲載されるまでの倍率は約18,500倍です。1人6句応募したとすると、自分の名前が掲載されるには約3,000倍の倍率になります。狭すぎる門ですね。

5月には最終審査があり入賞作が決定します。文部科学大臣賞は賞金50万円、各部門の大賞はそれぞれ20万円。優秀賞には5万円、さらに上位入賞300作にも賞金があります。

佳作特別賞までの2,000句に入れば、賞状と作品集、それに自分の俳句がパッケージに印刷されたO茶が1箱(24本)送られてきます。市販されるお茶には3句が並んでいますけど、送られてくるお茶は自分の句だけです。追加注文もできるみたいですよ。


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発表は毎年7月7日です。賞状と賞品はすぐに送られてきますけど、句が印刷されたお茶が世間に出るまではしばらく時間がかかります。忘れた頃に「あなたの句が配られたお茶に載っていてびっくりしました」なんてメールが来たりします。コンビニやスーパーで見つけると思わず買ってしまって、1年くらいはお茶の銘柄はO茶ばかりになります(笑)

5年ほど前に佳作特別賞をいただきました。それから毎年応募していますが、一昨年シートが送られて来たものの落選でした。賞をいただいた句はこれです。

 老い満ちて母口ずさむ聖夜かな

という句です。

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「老いる」ということは何か寂しく衰えていくイメージがありますが、晩年の私の母を見ていると「老いる」ことは「満ちる」ことなんだなあと感じました。もちろん体力はなくなり、新しいことを覚える能力も失われてしまいます。かつて美しい母は子供の私にとって自慢でした。それがすっかり皺だらけ。しかし、生きる知恵を身につけ、多少のことではへこたれない根性を培い、たくさんのいい思い出をため込んでいる母は、とても充実して見えました。また、人の話にしっかり耳を傾け、いつも笑顔を絶やさない母の姿は人間として美しいと感じました。

「老いる」というのは人間として「満ちる」ことです。初句の「老い満ちて」を思いつくことでこの句はほぼできあがりました。

迷ったのは「聖夜」でした。最初はクリスマスの歌ということで「聖歌」としたのですが、「聖歌」だと教会で歌うようなイメージが強いので、クリスマスイブを表す「聖夜」としました。前に「口ずさむ」とありますから、歌っていることは容易に想像できますからね。結果的に「聖夜かな」で世界をぐっと押し広げることができたと思います。

孫を連れて行く日には、母はいつも台所にいます。前の日からずっと私たちに何を食べさせようか考えていたのだと思います。テーブルの上には私たちの好きな料理が並び、台所にいる母は汁物を温めていて、なかなか食卓につきません。

その日はクリスマスイブ。台所から母の鼻歌が聞こえてきます。どうやら「ジングルベル」のようです。一人暮らしの母にとっては、息子が孫たちを連れて来てくれた聖夜がどんなに楽しかったことでしょう。

その夜、孫たちに戦争体験を話してもらいました。私が子供の頃に何度も聞かされた話です。空を埋め尽くす銀色のB29のブルルンブルルンという爆音。焼夷弾が落ちてくるときのヒューヒューという不気味な音。疎開先の秋田から帰る途中で機銃掃射を受けたこと。学校の帰りに突然空襲警報が鳴り、知らない家の防空壕に入れてもらったこと。そんな体験をひとしきり語った後、母は背筋を伸ばして言いました。

「でもね、どんなに大変なときも、おばあゃん、恋もしてたわよ」

息子2人はまだ小学生でした。ほんとに素敵な母でした。
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「うたは無駄の中にある」 [その他]

BEGIN「うたの日コンサート2020in石垣島〜with JALホノルルマラソン〜」という配信を観ました。昨年12月に配信された無観客のうたの日コンサートの再配信です。

石垣島の夕暮れを背景にしたコンサートは実に素晴らしいものでした。

もともと私はBEGINのファンなので、すべての楽曲が染みました。

でも、最も感動したのはコンサートの後半でボーカルの比嘉栄昇さんが言った、
うたは無駄の中にある」という言葉でした。

コロナ感染によって会社帰りに一杯飲むことがやり玉に上げられています。しかし、栄昇さんは言いいます。
「会社から自宅にどこにも寄らずに帰れる人は幸せな人。どこかに寄って一杯引っかけずには帰れない人がたくさんいる。それは無駄に見えるかもしれない。でも、そこにこそ『うた』がある」

演劇やミュージカルは無駄なのでしょうか?

ミュージシャンのライブは無駄なのでしょうか?

ダンスを踊ること、芸を見せることは無駄なのでしょうか?

合唱をすること、カラオケに行くことは無駄なのでしょうか?

友人や仲間と酒を飲んで騒ぐことは本当に必要のないことなのでしょうか?

いや、それらの中にこそ人間が生きるために必要な「うた」があるのです。

うたの日」コンサートはさだまさしさんが故郷の長崎で行っているコンサートに出演したことがきっかけで、自分たちも地元のために何かできないかと始めたのだそうです。

先の大戦で国内で唯一戦場となった沖縄。その沖縄戦が終結した日は6月23日でした。BEGINはその翌日の24日を「うたの日」と決めて、20年のあいだ毎年その日の近くにコンサートを開いてきました。

もともと琉球の人々は踊ることも歌うことも大好きだったといいます。酒を愛し人を愛し、自然の恵みに感謝して平和に暮らしていました。

ところが、軍事的な重要拠点として日本軍の統制が厳しくなると、内地の人間には理解できないウチナーグチ(方言)を話すことも禁じられ、学校では方言を使うと「方言札」を掛けられ罰せられました。方言を話していたためにスパイと疑われて処刑された人もいたそうです。

米軍が上陸して戦闘が始まると、歌うことや踊ることはもちろん、大きな声で笑ったり泣いたりすることさえも許されなくなりました。人々はガマ(洞窟)の中でじっと息を潜めていなければなりませんでした。

栄昇さんも話していましたが、乳飲み子がひもじくて泣くのを日本兵から「うるさい」と咎められ、母親が口を塞いで殺してしまったという悲劇もあったそうです。

1945年6月23日。沖縄戦の一応の終結によって、人々はようやくまた歌えるようになりました。そのことをお祝いしようというのが「うたの日」の趣旨だそうです。

「今の状況とよく似ている」と栄昇さんは言いました。

今、コロナによって「うた」は封印されています。誰もがマスクで顔を覆って、まるで歌うことも笑うことも禁じられているかのようです。

コロナ感染の脅威から解放されたとき、その日は私たちも思い切り歌い踊るでしょう。その日もまた「うたの日」になるのです。

うた」は無駄の中にあります。生きるということはただ息をして食べるだけではありません。「そんなこと無駄だ」と人が言うことの中にこそ、実は人間一人ひとりの生きる意味があるのではないでしょうか。

そうでなければ名曲も名画も生まれはしません。モーツァルトやビートルズ、西行や芭蕉、そして手塚治虫や宮崎駿も、みんな無駄と言われるものの中から生まれてきました。

配信は2月8日までだそうです。
3時間以上ありますから時間に余裕があるときに観てください。ちょこちょこCMも入りますけど、きっと後悔はしません。ぜひぜひ観てください。

https://www.youtube.com/watch?v=Ufhdj6CzbMc
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妻の誕生日に花を贈る [その他]

昨日は妻の誕生日だったので花を贈った。思いのほか喜んでくれた。

わが家は猫が3匹いるから、花を飾るのは猫がけして立ち入らない唯一の聖域、つまりトイレ。昨年リフォームしたばかりのトイレに花がよく似合う。

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ちなみにリフォーム代の何割かは昨年いただいた文学賞の賞金を使った。その前に賞金をいただいたときには洗面台が壊れてリフォームした。次に何が壊れるか心配だが、きっとそのときも何か賞をいただけるに違いない。

妻への贈り物は難しい。昨年の12月で結婚30周年だったから、何か記念に残るものをと考えた。妻はあまり装飾品を好まない。いちばん興味があるのは食べることなので、とりあえず当日は彼女が希望する日本料理店に行った。次に好きなのは旅行。コロナ騒動が終わったら好きなところに連れて行きたい。でも今は我慢だ。

ふとマルセル・マルソーが初めて来日したときのエピソードを思い出した。

マルソーは夫人を同伴していて、日本人の接待係が彼女の買い物にも付き合った。マルソー夫人はある店で2つの品物のどちらを買うかしばらく迷って一方を購入したそうだ。
マルソー夫妻が帰国するとき、接待係が夫人へのプレゼントを渡した。それは彼女がどちらを買おうか迷って結局買わなかったもう一方の物だった。

私はマルソーから3日間だけマイムを教えてもらったことがある。一生の思い出、宝物だ。結果的にはそれが最後の来日だった。マルソーは稽古のときこそ鷹のような鋭い眼で私たちの動きをにらみつけていたが、稽古が終わると寿司好きな可愛い老人になった。お茶目なマルソーのことだ。妻に渡された粋な贈り物をたいそう喜んだに違いない。日本人の細やかな気遣いを感じたと思う。日本と日本人が大好きな人だった。

このエピソードを知って以来、いつか妻が2つの品のどちらかを買うか迷わないかと待ち受けているのだが、なかなかその機会がない。一生に一度くらい粋な贈り物をさせてほしいものだ。

夕飯は妻の好きな鴨鍋だった。

一緒に買い物に行き「下仁田ネギ」を買った。笑いをとろうとした訳ではないが私はうっかり「下ネタネギ」と言ってしまった。生産者の皆さんごめんなさい。

そのとき、妻は顔色ひとつ変えずに「セクハラ」と言った。

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バックアップマニアの憂鬱 [その他]

バックアップ病とでも言おうか。PCのデータを外付けハードディスク2台(どちらも2TB)、32GBのUSBメモリ4本、4GBのUSBメモリ1本に保存している。さらに、いつもではないがМОディスク数枚(230MB、640MB)にも保存する。クラウドも使ってはいるが、上げるのは主に画像だけだ。

人にこのことを話すと「心配しすぎだよ」と言われる。だが、大切なデータは掛けがえがない。現役のときにPCの仕事をしていたことがある。そのときにバックアップを取らなかったために悔しい思いをしたことが何度もあった。当時はまだ記録媒体がフロッピーディスクしかなくて今よりもバックアップに時間がかかった。作業する時間も限られていたので、バックアップをする手間が惜しかった。結局そのために同じことを何度も繰り返す羽目になった。そのことが忘れられない。
 
今は定期的に自動バックアップを保存してくれるソフトがほとんどだ。クラウドも勝手にデータを保存してくれる。バックアップの作業など必要ないという人がいるのも頷ける。それでもやはり心配だ。

たとえば、中長編の小説を書く場合は途中で日付をつけてログも保存する。書いているときには毎日ログを残すので、書き上げたときにはかなりの数のログが残る。あまり利用することはないのだが、何をどう書き変えたかがあとでもわかるようにしておきたい。

バックアップもずいぶん楽になった。最近買い足したUSBで接続するハードディスクなどは特に速くて気持ちがいい。容量も桁違いだ。フロッピーディスクはNECでは1.2MB、他は1.4MBだった。GBとかTBは桁の呼称さえ知らなかった。

私のバックアップは病気かもしれない。大切なデータが失われるのではないかと不安でならないからバックアップをする。いわば精神安定剤のようなものだ。

様々な記憶媒体を使うのは、同じ媒体だと同じ条件で失われる危険性があるからだ。CDなどの光磁気ディスクが出たばかりのころは、データを半永久的に保存しておけると言われたが、実験によってそれほどでもないことが分かった。フロッピーディスクが物理的にも弱く、磁気の影響も受けやすいことは言うまでもない。だからと言ってUSB他の媒体はどうかと言うと、どの媒体も故障してアクセスできないという状況を経験している。つまり完全なものなどない。いくつかの媒体に同時に保存することで補完しようとしているに過ぎない。

思うに文化というのも膨大な人類の営みのバックアップなのだ。様々な人種に学校や書物によって文化のバックアップを試みる。たまに優秀な人がいてバックアップされたデータをさらに進めたりする。しかしそれもごく限られた分野に過ぎない。人類は互いに補完し合いながら文化を引き継ぎ少しずつ先に進める。

藤原定家は菅原家が門外不出としていた日記を、無理を言って借り出し不自由な手で書き写した。つまりバックアップを取った。その最初の写本は知人が借りて行って返却されなかったそうだ。定家はもう一度菅原家に掛け合って同じ日記を借り出して写すことになった。これが『更級日記』だ。借りて返さない奴もひどいが、それでも諦めずにもう一度借り出して写した定家はすごい。彼のバックアップのおかげで私たちは『更級日記』を読むことができる。彼こそ本当の意味でのバックアップマニアなのかもしれない。

今年は13歳の菅原孝標女が上総から上京してから千年なのだそうだ。市原市はそれを記念して『更級日記千年紀文学賞』を創設した。市原市は私が最初に赴任した思い出の地でもある。よし、何か書いて応募してみるとするか。
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あけましておめでとうございます~「ふわふぬ」の年~ [その他]

あけましておめでとうございます
昨年中はブログを読んでいただきありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。

ふわふぬ?
気づいた方もいらっしゃると思いますが、これはパソコンで「2021」と入力したときに誤入力される文字です。

最近は「ローマ字漢字入力」が主流なので意外にこのことを知らない方も多いかもしれません。ワープロソフトを「カナ漢字入力」にしてある方が、「ひらがな入力」の状態でうっかり「2021」とキィを押すと「ふわふぬ」と入力されます。

ちなみに「2020」は「ふわふわ」です。可愛い誤入力だと思って和んでいましたが、2020年はとんでもない年になりましたね。なかなかこの発見を披露するような状況ではありませんでした。今思うと「不和不和」もしくは「不安不安」だったのかもしれない。

さて、「ふわふぬ」の今年はどんな年になるでしょうか。きっと不和も不安も去ってステキないい年になりますよ。

ところで、私のPCとの付き合いはNECのN98シリーズからでした。

当時のNECのパソコンにはブラインドタッチ(タッチタイピング)の練習ソフトが付属していました。指定された仮名を時間内に打つというシンプルなものでした。時間内に入力できないと「もしもしかめよかめさんよ……」と入力させられます。さらに遅れると「おそいですねあしでうっているんですか」と入力させられる。実にサディスティックな腹立たしいソフトでした。しかし、そのお陰でブラインドタッチをまたたく間にマスター。それからはPCが友達になりました。

ゲームもPCに馴染むのに役立ちました。

最初にはまったのは『Wizardry(ウィザードリィ)』というRPG。ギルガメッシュの酒場でグループを組みダンジョンの中へ。黒い画面にレイアーだけが白く光ってダンジョンの深みへと誘います。モンスターに遭遇するとすかさず呪文を入力。このゲームのⅠは入力練習ソフトという感じでしたね。カナ入力だったから苦労しました。よく使う呪文のアルファベットの位置だけは覚えました。

今でもワープロソフトはジャストシステムの「一太郎」を使っています。もちろんカナ漢字入力。

Microsoftの「Office」がバンドルされているPCが多いため、ワープロソフトは「Word」を使っている人が多いですね。今では文学賞の多くがネットで応募できるようになってきていますが、ほとんどはWord文書かテキストファイルの応募しか認めていません。一太郎を認めているところは少なくなってきています。

仕方なく応募する際に一太郎文書からWord文書に変換しています。一太郎にはWordの文書形式で保存する機能もあるのですが、なかなかうまくいきません。それで一太郎に書いた詩や小説をコピーして、それをWordの画面に貼り付けるようにしています。文学賞のサイトの方で応募用のサンプルを上げてくれてあると、文字数行数などを変更せずに流し込めるので便利です。

最近はスマホを使うことも増えました。昨年までは無料のメモアプリにもいいものがあったので使っていました。詩や小説のアイデアはどこで生まれるか分かりませんからね。特に寝床で思いついた、あるいは夢で見たアイデアはメモに残しておかないと朝になると必ず忘れています。

夜中に目が覚めて「これは絶対に忘れない」と何度思ったことでしょう。でも、やはり朝になると忘れている。いや、忘れたことさえ覚えていないこともある。朝に見直すと明らかにクズのようなアイデアもありますけど、忘れてしまったものの中に秀逸なアイデアがあったかもしれない。いつでもどこでも閃いたアイデアをメモする。これはクリエイティブな仕事や趣味を持つ人にとっては必要なことですよね。

ところがせっかくのメモをPCに転送しようとするとまたひと手間です。メモアプリには内容を転送できる機能もありますし、クラウドを経由する方法もある。でも、やはり面倒臭い。そう思っている時に一太郎の新しい機能に「一太郎Pad」が追加されました。

「一太郎Pad」はスマホのアプリです。このアプリにメモした文書はWi-Fiの環境さえあれば、簡単にPCの一太郎文書に転送できます。また、スマホのカメラで撮影した文書映像をOCR機能で文書に起こすこともできる。驚いたのはこのOCRの機能の性能。かなりの精度で変換ができます。
 
この「一太郎Pad」の機能によって、スマホのメモをPCに移して作品に広げていく作業がストレスなくできるようになりました。

文学賞が一太郎ファイルでの応募を受け付けてくれればもっと楽なんだけど……。

「書く」という作業には様々な方法があります。若い頃にはモンブランの万年筆を使って原稿用に書いたこともありました。職場で埃をかぶっていた和文タイプライターを使って同人誌に載せる詩を打ったこともあります。書く方法にこだわる作家もいるようですが、私はそれぞれの方法にメリットとデメリットがあるのではないかと思います。方法にこだわらず色々試して自分、または作品に合った方法を探すことができればいいですね。

さあ、今年もたくさん書くぞー!
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風呂の中で [その他]

昨夜あんまり寒いので、冬至で使った残りの柚子を湯船に浮かべて風呂に入った。劇団の入村代表からいただいたものだ。代表からは夏は西瓜、冬は柚子の差し入れがある。劇列車の団員でよかった(笑)

湯船に浸かりながらのルーティーンがある。深く息を吸ってツーと歯の間から息を長く抜く。風呂場には秒ごとに点滅する時計があるので、それを見ながら目標は40秒。次に丹田を意識しながらズー音。鼻、口、頭、胸、喉と5箇所を響かせるのハミングレッスンをやってから、千葉市ミュージカルの歌を2曲歌う。最後に「ういろう売り」。昨夜はそれでも温まらないので、体を洗った後に「般若心経」を2回唱えた。
「般若心経」は四国お遍路に備えて覚えた。遍路は定年退職後にやりたかったことの1つだ。劇団の公演や膝の故障などでぐずぐずしているうちにこのコロナ。もともとは在職中に知り合い夭逝した人たちの冥福を祈るための巡礼だったが、母親や友人、同僚など祈る人々の数ばかりがむやみに増えている。
一昨日久しぶりに5キロほど歩いたら膝が痛んできた。これでは歩き遍路などは無理だ。コロナのこともあるので、まずは膝の完治を目指そうか。おっ、今日は久しぶりにブログっぽいことを書いたぞ。

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