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75年前千葉市を襲った七夕空襲 [その他]

75年前の7月6日深夜から7日朝にかけて、千葉は大規模な空襲に見舞われました。
その日、房総半島方面から129機のB29が飛来しました。千葉は本土を空襲する際の経路でしたから、警報は毎日のように出ていたそうです。この夜も清水、甲府方面を空襲する編隊が通り過ぎ、一旦警報が解除されたといいます。しかし、この日は千葉市が目標の1つでした。
確かに千葉は軍都の1つではありましたが、先に千葉市街地の周辺に爆弾を落とし、逃げ場を失った人々を焼夷弾で焼き、機銃掃射を浴びせるやり方は、明らかに市民の殺傷を主目的にした無差別攻撃でした。
ご存知のように焼夷弾には粘性のガソリン(ナパーム)が使われています。空中で親爆弾が割れて無数の子爆弾に分かれます。子爆弾には長いテープが付いていて、必ず信管を下にして落ちるように工夫されていました。その信管が何かに触れると火のついた粘性のガソリンが四方に飛び散ります。粘性なので建物や身体につくと簡単には消すことができません。
この焼夷弾によって起こった火災から人々は逃げまどい、その人々を今度はP51マスタングなどの小型機の機銃掃射が襲いました。当時これらの戦闘機には機銃を撃つと録画できるカメラが付いていました。戦果を記録するためだそうです。その映像は今も見ることができます。まるで戦争映画の一場面のようにしか見えませんが、現実にはその下で誰かが傷つき命を落とし、肉親や友達が泣いていると想像すると胸が痛みます。
私は米軍だけが残虐な行為をしたと非難しているのではありません。戦争というものは人間を
とことん残虐にします。家族思いのお父さんがや親思いの優しい息子が、戦争になれば機銃掃射で学校帰りの子供たちを撃ちます。ユダヤの人々をガス室に送ります。占領地の婦女を犯し、無実の人の首を斬り落とします。それが戦争だということから私たちは目を背けてはいけないと思います。
2年前、この七夕の朝のことを書き、千葉市民創作ミュージカルの原作として採用されました。『千年天女』という作品です。残念ながらミュージカルの上演はコロナ禍によって延期になりましたが、多くの市民の方に見ていただき、改めて戦争のないウィルスもない平和な日常の大切さをみんなで分かち合いたいと思います。上演の際はよろしくお願いいたします。

↓ 千葉市空襲の証言集です。

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