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バックアップマニアの憂鬱 [その他]

バックアップ病とでも言おうか。PCのデータを外付けハードディスク2台(どちらも2TB)、32GBのUSBメモリ4本、4GBのUSBメモリ1本に保存している。さらに、いつもではないがМОディスク数枚(230MB、640MB)にも保存する。クラウドも使ってはいるが、上げるのは主に画像だけだ。

人にこのことを話すと「心配しすぎだよ」と言われる。だが、大切なデータは掛けがえがない。現役のときにPCの仕事をしていたことがある。そのときにバックアップを取らなかったために悔しい思いをしたことが何度もあった。当時はまだ記録媒体がフロッピーディスクしかなくて今よりもバックアップに時間がかかった。作業する時間も限られていたので、バックアップをする手間が惜しかった。結局そのために同じことを何度も繰り返す羽目になった。そのことが忘れられない。
 
今は定期的に自動バックアップを保存してくれるソフトがほとんどだ。クラウドも勝手にデータを保存してくれる。バックアップの作業など必要ないという人がいるのも頷ける。それでもやはり心配だ。

たとえば、中長編の小説を書く場合は途中で日付をつけてログも保存する。書いているときには毎日ログを残すので、書き上げたときにはかなりの数のログが残る。あまり利用することはないのだが、何をどう書き変えたかがあとでもわかるようにしておきたい。

バックアップもずいぶん楽になった。最近買い足したUSBで接続するハードディスクなどは特に速くて気持ちがいい。容量も桁違いだ。フロッピーディスクはNECでは1.2MB、他は1.4MBだった。GBとかTBは桁の呼称さえ知らなかった。

私のバックアップは病気かもしれない。大切なデータが失われるのではないかと不安でならないからバックアップをする。いわば精神安定剤のようなものだ。

様々な記憶媒体を使うのは、同じ媒体だと同じ条件で失われる危険性があるからだ。CDなどの光磁気ディスクが出たばかりのころは、データを半永久的に保存しておけると言われたが、実験によってそれほどでもないことが分かった。フロッピーディスクが物理的にも弱く、磁気の影響も受けやすいことは言うまでもない。だからと言ってUSB他の媒体はどうかと言うと、どの媒体も故障してアクセスできないという状況を経験している。つまり完全なものなどない。いくつかの媒体に同時に保存することで補完しようとしているに過ぎない。

思うに文化というのも膨大な人類の営みのバックアップなのだ。様々な人種に学校や書物によって文化のバックアップを試みる。たまに優秀な人がいてバックアップされたデータをさらに進めたりする。しかしそれもごく限られた分野に過ぎない。人類は互いに補完し合いながら文化を引き継ぎ少しずつ先に進める。

藤原定家は菅原家が門外不出としていた日記を、無理を言って借り出し不自由な手で書き写した。つまりバックアップを取った。その最初の写本は知人が借りて行って返却されなかったそうだ。定家はもう一度菅原家に掛け合って同じ日記を借り出して写すことになった。これが『更級日記』だ。借りて返さない奴もひどいが、それでも諦めずにもう一度借り出して写した定家はすごい。彼のバックアップのおかげで私たちは『更級日記』を読むことができる。彼こそ本当の意味でのバックアップマニアなのかもしれない。

今年は13歳の菅原孝標女が上総から上京してから千年なのだそうだ。市原市はそれを記念して『更級日記千年紀文学賞』を創設した。市原市は私が最初に赴任した思い出の地でもある。よし、何か書いて応募してみるとするか。
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