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けん玉のこと [その他]

学生時代にけん玉に夢中になった時期があります。狭いアパートに一人暮らしだったので、寂しかったのでしょう。毎晩、ひたすらけん玉で遊んでいました。

けん玉にはまったきっかけはあるけん玉との出会いでした。そのけん玉は「民芸交易」という世田谷の町工場が作っていて、従来のものと比較すると格段にバランスがよく使いやすかったのです。

↓ 「民芸交易」が製作販売していた競技用けん玉。S18‐2型。倉庫から未開封のものを発見。
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民芸交易のけん玉を設計したのは新間英雄さんというクラシックのギタリストでした。当時はまったく知らなかったのですが、日本の五大ギタリストに挙げられるほどの演奏家なのだそうです。

けん玉のテクニックの本も何冊か出していらして、今では当たり前になっているコスミック技(玉とケンを手元から離す技)も新間さんの本で知りました。コスミック技の考案者は田中俊一という方だそうです。

↓ 新間さんの著作。けん玉の歴史、けん玉の技などが詳しく解説されています。
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民芸交易から発売された競技用けん玉にはS14、S16、S17、S18などの種類がありました。それぞれに様々な設計上の工夫が凝らされていました。S14、16は小型、S17は中型、S18は大型と分類されていました。

S14は少しだけ中皿が大きめに作られているので「もしかめ」がストレスなくできます。14という数字は剣先から中皿までの長さです。子供や手の小さな人が遊ぶのに適したけん玉でした。材質はサクラだけでした。

新間さんはS17の設計に2年を費やしたそうです。伝統的なけん玉に最も近い形ですが、どんな技にも対応している汎用型のけん玉です。少し形の違う17‐2、‐3というものもありました。材質はサクラとケヤキがあったと記憶しています。私が愛用していたのはケヤキのS17でした。
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S18にも18‐2、3がありました。材質はサクラとケヤキがありました。重いので「もしかめ」のような技には向きませんが、「ロウソク」「うぐいす」「奥義剣」などの技はやりやすいようです。鼓部や剣に穴が開けて軽くしてありました。私が最初に手にしたけん玉はこのタイプでした。

サクラ材のけん玉はすぐに手に馴染むのですが、ケヤキのものは表面が滑らかなので使いはじめは手からすべり落ちそうな感じがします。しかし、ケヤキのけん玉は剣と玉が当たるときの音かカンカンと心地よく、使い込んでいくとツヤが出て自分のけん玉に育っていきます。玉だけでいうとS17の場合はサクラ材で75グラム、ケヤキ材では80グラムあります。少しだけケヤキの方が重いです。

もう1つこのけん玉の優れた点は糸でした。最初に購入したときは普通の木綿の糸(たこ糸)でした。しかし、そのうちにナイロン糸が付属するようになり、ビーズをつけて縒りをなくす工夫もされるようになりました。ナイロン糸もビーズも予備がいくつか付属してました。もっともナイロン糸は丈夫なので購入してから40年経った今でも切れません。

民芸交易のけん玉には鼓部(大皿と小皿)の剣を入れる穴に4カ所に糸固定溝があって糸がずれないように工夫されています。糸によって鼓部と剣の間に隙間ができ、鼓部から剣が抜けてしまうこともあるのでその予防にもなります。一時、鼓部から剣が抜けるのを防ぐためにネジを使ったこともありましたがそれは後になくなりました。理由は分かりませんが、金属ネジが木製のけん玉に馴染まなかったかもしれません。

↓ 糸固定溝
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もともとのけん玉は子供の遊び道具でした。それを木地師の職人さんたちが仕事の片手間に作っていたのだと思います。当然ですがバランスの良さや様々な技をやりやすいようになどという観点はなかったはずです。それを大人も楽しめる趣味の道具として捉え直して、設計や素材にこだわったのは新間さんでした。大人ももっと自由にけん玉を楽しめるようにというのが新間さんの考えでした。多くの人が新間さんの設計したけん玉に出会って改めてその魅力に気付いたことでしょう。

民芸交易のけん玉には80個限定販売のローズウッドのものもあって今でも家宝にしています。
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ある日、民芸交易に電話をするとけん玉はもう作れないと言われました。理由を尋ねると「父が亡くなったので」という答えが返ってきました。電話に出たのは娘さんでした。

人が作る物は人がいなくなると作れなくなるということを痛感しました。民芸交易の親父さんが作るケン玉は購入のたびにどこか改良されていました。それが新間さんの指示なのか、親父さんの工夫なのかはわかりません。ひとつだけ言えるのは、どのけん玉にも丁寧に仕事がされていて、作った人の思いがこもったけん玉だったということです。

今でも時折、新間さんが設計し民芸交易の親父さんが作ったけん玉を取り出して遊んでいます。私が得意だったのはフリケン。学生時代、百回続けてできるまで寝ないと決めて夜中に練習した技です。当時は前後左右も楽々できたのですが、今ではかなりさび付いてしまっています。

数年前に膝を痛めたのでリハビリのためにまたけん玉もやっています。ボケ防止にもなればいいんですが(笑)

ところで、新間英雄さんの息子さんが、あの立川志らく師匠なのだそうです。あるテレビ番組で話していらっしゃるのを聞いてびっくりました。師匠もケン玉八段の腕前らしいですよ。
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