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九の近況(4) [小説]

「コロナめ、また来やがったか」と思っていたら夜中の津波警報。本当に何があるかわかりませんね。今も不安な日々を送っている方も多いと思います。お見舞い申し上げます。でも、せめて気持ちだけは元気でいましょうね。頑張らなくてもいいです。まずは自分と大切な人の心と体を守りましょう。

温かいものが食べられるといいですね。それだけで少し心も穏やかになる気がしませんか。実はそういう小説を書いて、「第25回伊豆文学賞」に応募したところ、ありがたいことに佳作をいただきました。『戸川半兵衛の黒はんべ』という作品です。昨年応募した作品はほとんど一次で落選していたので今年最初の結果が入賞でほっとしています。

この作品は静岡っ子のソウルフード「黒はんぺん」誕生について書いたものです。小学校中学校の同級生秋山君の御先祖が「黒はんぺん」の考案者だという話をFacebookで読んだのがきっかけでした。地元の人は「黒はんぺん」のことを「黒はんべ」と呼びます。皿の高台にイワシやアジのすり身を半分だけ塗って型取りをしたから「半片」と呼んだという説もあるのですが、静岡で隠居生活をしていた徳川家康が豊漁だったイワシの大半が捨てられるのを知って、賄方(まかないかた)の戸川半兵衛にイワシの料理を工夫をさせ、その料理を「半兵衛」の名から「はんべ」と名付けたという説もあります。秋山君の祖先は清水港の網元秋山仁左衛門という人物で、半兵衛から料理のことを相談されて妻とともに「黒はんべ」を考案したのだそうです。

黒はんぺん」はあまり日持ちがしないのでほとんど地元でしか売られていません。地元では駅の売店でも売られていて、私も静岡に行くと必ず土産に買って帰ります。色や味は「つみれ」に似てますけど風味が少し違います。半円形の「黒はんぺん」を串に刺して静岡おでんの味噌につけて食べると実にうまい。少し炙って醤油を垂らして食べてもおいしいです。フライも好き。もちろん生でも食べられます。子どもの頃はおやつ代わりに食べていました。私は「はんぺん」と言えば「黒はんぺん」だと思っていたので、静岡を離れてからおでんに入っている白いはんぺんを見て驚きました。今でもはんぺんとお茶は静岡のものが一番だと思っています。静岡名物「黒はんべ」、まだ食べたことがない方はぜひ味わってみてください。


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小説の話に戻ります。私の小説に大御所を出すのはちょっと敷居が高かったので、設定を孫の駿河大納言忠長に変えました。松平忠長は一般的には3代将軍をめぐる実兄家光との政争に負けて乱心したということになっています。しかし、常に歴史は勝者によって作られるものです。忠長の乱行と伝えられていることが実際は家光サイドの陰謀だったと解釈して、「黒はんべ」ができた経緯と重ねて小説にまとめました。もちろんほとんどは私の妄想ですが、美味しいものを食べると心も穏やかになるというような小さな真実もいくつか仕込んであります。

入賞作品をまとめた本が3月に出版される予定だそうです。興味のある方は読んでみてください。

第3回京都文学賞」にも応募しました。『羅生門の猫』という作品です。一次選考で218篇中32篇までは入ったのですが、二次選考の6篇には残ることができませんでした。力不足を痛感しています。「最終選考に入らなければどこで落とされても同じ」というある作家の言葉が痛いです。

この作品は、同級生たちに鴨川に落とされた女子高生がタイムワープして、子猫の晴明やタイムパトロールの道遠とともに平安時代や戦国時代、江戸時代などへ時間旅行をする話です。はじめてのSFだったので楽しんで書きました。結果はともかく大好きな作品です。誰か読んでください(笑)

戯曲の方では、私の書き下ろした『オカリナの少年~クロスロード2』が今年12月4日の座・劇列車第32回本公演の上演作品として選ばれました。演出も私がやることになりました。本公演の作・演出ははじめてなので緊張しています。
この作品は、2016年に上演した『クロスロード~運命をつなぐ四つ辻』の続編です。ただし続編と言ってもほとんどつながりはありません。共通しているのは地元四街道を舞台としていることと、どちらにも小野ときというお婆さんが出てくることくらいです。前作は「四街道」という地名の元になったと言われる四つ辻(四街道十字路・諸説あります)が舞台でしたが、今作の舞台は公演会場四街道文化センターの近くにある「ルボン山」と、その隣に戦中まであった陸軍野砲兵学校です。戦争の末期、15歳から18歳までの少年がこの野砲兵学校で下士官になるための教育を受け、一期生、二期生はフィリピンなどの激戦地に送られました。主人公はその少年兵の一人です。 長い間劇列車を指導していただいた西田了先生が「四街道に生まれた子たちが地元を故郷と思えるような作品を作りなさい」とよくおっしゃっていました。『クロスロード』の公演後、四街道十字路を見に行ってくださったお客様がいらしたという話を耳にしました。とても嬉しく思いました。四街道にいながらルボン山のことをよく知らない人もいるようです。今回の作品も帰りにちょっとルボン山に寄ってみようかという方がいればいいですね。地元に愛着を持つには、その土地にふさわしい「物語」が必要だと私は思っています。

ルボン山」、変な名前でしょう。正式には「大土手山」というそうです。四街道で芝居をするようになってから何人かの人に「ルボン山」について教えられたので、四街道の人は皆さん知っているのかとも思いきや、劇団員の中にも大土手山をルボン山と呼ぶことさえ知らない人がいました。さて、なんで「ルボン山」なのでしょう。答えを知りたい方はぜひ公演を観にいらしてください。小野ときさんから詳しい説明がありますよ(笑)

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12月4日(日)座・劇列車第32回本公演『オカリナの少年~クロスロード2』よろしくお願いいたします。 また、長々と書いてしまいました。最後まで読んでいただきありがとうございました。

↓ 『クロスロード~運命をつなぐ四つ辻』(2016)の画像とチラシ

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明けましておめでとうございます。 [戯曲]

明けましておめでとうございます。

昨年は私が脚色を担当した『やまんば おゆき』(座・劇列車第31回公演)をご覧いただきありがとうございました。

また、5月9日には拙作『俺らってやっぱ天使じゃねえ?』を同じ劇列車が上演してくれました。感染予防のためにマスクをしての上演でしたが、こちらも多くの皆さんに観ていただくことができました。ありがとうございました。

明日はある高校が拙作『バスジャックプレイヤー』を上演してくれます。若い人たちの演じる『バスジャックプレイヤー』とても楽しみです。

詩作の方は詩誌『ココア共和国』にお世話になりました。投稿した詩のうち6作を傑作集に、残り6作を佳作集に掲載していただきました。選者の一人女優の秋吉久美子様から「こりゃいいね!」も6回いただきました。

3月号にはエッセイも掲載していただきました。生まれて初めて詩誌にエッセイが載りました。感激です。

『ココア共和国』には様々な年齢の人が個性あふれる詩を投稿しています。「こういう詩もあるんだなあ」ときっと驚かれることでしょう。ぜひ一度手に取ってお読みになってみてください。紙版と電子版があり、紙版には傑作集の詩が、電子版には傑作集、佳作集両方の詩が掲載されています。

小説の方は長編を1篇、中編を3篇、短編を1篇書きました。長編は今年2月に応募するため推敲の最中です。長い時間をかけて書いてきたミステリーです。中編は3篇とも地方文学賞に投稿しました。うち1篇は落選。他の2篇はまだ選考中です。短編は月間の優秀賞に選ばれました。

他にも旧作を書き直して5篇を応募しましたが、すでに3篇は落選しています。

昨年は人とのつながりが希薄になった年ではありましたが、一方では新しいつなかりが生まれた年でもあります。そのつながりの中で書いた小説もあります。詩や小説を書くことによってそういうつながりがもっと増殖して、来年はさらに新しい作品をものすことができるかもしれません。コロナ禍も悪いことばかりではない。そう思いたいものです。

脚本は現在執筆中です。これまでは書き始めれば長いものでも半月もかけずに書き上げていたのですが、今回は時間がかかっています。7日には劇団のコンペがあります。あとはエピローグだけ。気に入ってもらえるかわかりませんが、今日明日と頑張ります。
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昨年は執筆はあまり捗りませんでしたが、その分『やまんば おゆき』公演の演出助手に集中できました。それなりに充実した年だったと思います。 今年のことはまだわかりませんが、小説は構想まで進んでいる2篇の長編、これまでも目標としてきた地方文学賞に応募する中編などを書くつもりです。それにできれば純文学作品にも挑戦したいと考えています。 今年もお見捨てなく応援よろしくお願いいたします。

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新作執筆中! [戯曲]

先日、座・劇列車の稽古納めでした。

現在は来年度の公演作品について選定作業が行われています。

私の新作も候補の1つなんですが、今回は執筆が遅れていて1月の最初の稽古まで時間をもらっています。というわけで、目下よもやよもやの全集中で執筆中。

一応、劇団の座付作家ということになっていますが、これまでも私の作品を優先して上演してもらったことはありません。必ずコンペという形で他の候補作品と比べて決めてもらっています。別に自作に自信があるわけではありません。でも、座付作家の作品には台本使用料がいらないとか改作が自由だとか様々なメリットがあります。アドバンテージがないと既成の作品にはとても勝てません。

劇団の恩師西田了先生は「地元四街道を舞台にした作品を書きなさい」とよくおっしゃっていました。
四街道は東京のベッドタウンという側面を持っています。「四街道で生まれた子たちが故郷だと実感できるような作品」というのが先生の注文でした。

私の最初の作品『クロスロード~運命をつなぐ四つ辻』は、「四街道」というの地名と元になった四街道十字路が舞台です。上演の数年前、台風などで倒れると危険だということで十字路のシンボルだった榎(えのき)の大木が伐られてしまっていました。その榎の木陰は江戸時代から街道を行き交う人々の憩いの場でした。筋向かいには井戸には井戸があり、旅人の渇いた喉を潤したそうです。その井戸の跡にも1年ほど前に消防の施設が建てられ塞がれてしまいました。

正岡子規が新聞記者だったときに開設間もない総武本線に乗車して、沿線の駅で俳句を詠んだことは知られています。四街道駅でも「棒杭や四ツ街道の冬木立」という句を残しています。子規が地名の由来と言われるこの四つ辻を訪れて、街道の標識である棒杭と冬枯れした榎の大木を題材に詠んだ句のようです。

『クロスロード』は幕末、終戦の年、現代を3つの時代を舞台に、四つ辻でつながった人々の運命について書きました。もちろんまったくのフィクションですが、佐倉藩主堀田正睦が関わった日米修好通商条約、千葉空襲などを背景に懸命に生きる普通の人々の姿を描いたつもりです。お陰様で多くの皆さんに喜んでいただきました。四街道に住んでいても地名の由来となった四つ辻を知らない方も多く、この芝居を観てから初めて四つ辻を訪れた方もいらしたようです。榎の大木はもうありませんが、その代わりに植えられた若木が今ではかなり成長しています。先日テレビ東京の旅番組にもちょっとだけ登場しました。興味のある方は台本を下記の場所に上げてありますので、「脚本を読みたい!」→「作者名」→「高平九」で検索して読んでみてください。

脚本登録&公開サイト「はりこのトラの穴」
https://haritora.net/

さて、新作はこれから稽古始め1月7日までの間にどんな作品になるか私にもわかりません。でもやはり地元に関係のある作品です。四街道の人が地元を知り、地元を愛してくれることを祈って書いています。

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『やまんば おゆき』公演御礼 [戯曲]

四街道市民劇団 座・劇列車 第31公演『やまんば おゆき』が無事終演いたしました。

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一昨年、30周年には『やまんば おゆき』をやろうという話になりました。まだ劇団になる前、四街道市民の皆さんが上演した作品です。

脚本と演出は、劇団あすなろを主宰していらした西田了先生でした。

早速、30年前の初演に参加した劇団員に当時の台本を借りて読んでみました。朗読を多くの人が代わる代わる担当して、その間にちょっとした芝居をする。時には木になったり石になったりすることもあったそうです。基本は朗読劇でした。西田先生らしいとても面白い台本でした。

今回は本格的なお芝居にしようということになり私が脚本を担当することになりました。

原作(浜野卓也 作・箕田源二郎 絵)の童話を購入してみました。読んでみると美しい自然描写がたくさんありました。村の生活や人々の生き様も鮮やかに描写され表現されていました。

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私は取り憑かれたように台本を書き上げました。朗読ではなく普通のお芝居にするのが私の使命でしたが、どうしても原作と西田台本にある「語り」だけは削ることができませんでした。作品の時間が川の流れのように、うねりながら溢れながら枯れながら流れてゆく様を表現するのには「語り」が必要でした。

主な舞台は遠州です。まさに天竜川の流れのように重要な登場人物の死さえも易々と押し流して時間は流れていきます。「語り」の役割は重要でした。

でも、流れの行き着く先はわかりません。それもまた作品の魅力だと思いました。客席に投げられた大久保の最後のセリフは、観客の心にも新しい流れを生みます。観客の皆さんは与えられた流れとご自身の時間の流れを重ねることになります。その設定が私のいちばんのお気に入りです。

「語り」に話を戻しましょう。書いた当初は「語り」は1人にしました。お客様を楽しませるには複数人でやった方がいいかなとも考えました。頭に浮かんだのはかしまし娘やキャンディーズのような3人娘でした。でも、朗読の流れを切りたくなかったので結局1人にしました。本を持って落ち着いて語ってもらおうと思いました。

しかし、台本を演出の先生方に見せたところ、最初に指摘されたのは「語り」のことでした。「語り」は複数人でやった方がいいと助言されたのです。それも本を持たずに暗記してやった方がいいということでした。私は迷いました。役者への負担もありますが、せっかくの朗読が切られてしまうことを危惧したのです。ですがこれは私のまったくの杞憂でした。桜桃梅は苦労しながらもしっかりセリフを覚えてくれたました。それに美しい描写もまた3人が連携して流れるように語ってくれました。劇列車のキャンディーズのファンになった方は多いと思います。

もう一つ助言されたのは歌でした。オリジナルには歌が2曲すでにありました。作品の主題歌とも言えるおゆきの子守歌、そしてヒヨドリの歌です。その他にトチの実団子の作り方やコギノ織りを歌にしたらどうかという提案でした。私は詩も書きますが歌詞は大の苦手です。悩みましたがトチの実団子を作る工程やコギノ織りを織る人の思いを考えながら書いてみたら、意外にすんなりと書くことができました。出演者の一人でもある古葉重而氏が曲を付けてくださったので素晴らしい歌になりました。やまんばキャンディーズ、もとい桜桃梅が溌剌とした歌とダンスのパフォーマンスで盛り上げてくれました。

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それ以外にも細かな助言をいただき上演台本ができあがりました。私にとってはとても貴重な経験になりました。演出の先生方には感謝しております。

私はすでに来年の公演に向けて脚本を書いています。コンペですので採用されるかどうかわかりませんが、「いつも傑作とは限らないからね」という西田先生のお言葉を思い出しながら書き上げようと思います。よろしければ来年も座・劇列車公演をよろしくお願いいたします。

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『バスジャックプレイヤー』 [戯曲]

拙作『バスジャックプレイヤー』を来年正月に、ある高校が上演してくれるようだ。とても嬉しい。

少し前、東京の中学校からも『バスジャックプレイヤー』の上演許可がほしいという連絡があった。もちろんメールで許可する旨を伝えたのだが、そのあと何の連絡もない。おそらくコロナ禍のために中止になったのではないだろうか。残念だ。

高校演劇の大会は開催されている。ただまだ一般客は入れないそうだ。それでも春の大会で部員の一部が別室でモニター鑑賞したのと比べると少しずつ状況はよくなっているのだろう。

劇場やホールも少しずつ人数制限をゆるめていると聞く。

他の国の状況を見るとまだまだ油断はできないけれど、以前に近い日常を早く取り戻したいものだ。


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ある文学賞の…… [小説]

ある文学賞の一次選考を通過しました。今年応募した小説はすべて一次選考で落ちているので久しぶりの通過です。この賞には2回目の応募で前回は一次選考も通過できませんでした。ある作家によると「文学賞は最終選考に残らないと意味がない」ということなので、一次選考に残ったくらいで喜んでもいられないのですが、それでも約7倍の競争に勝ったのは嬉しいことです。

夜が明けるまで夢中になって書いたあとに、自分はいったい何をやっているんだろうと思うこともあります。でも、仕事も退職して何もなかったらさぞ寂しかったことでしょう。詩も小説も芝居も、これからプロになれるとは思っていません。自分に残されたわずかな余白に、命を搾って書きつけることがただただ楽しいのです。これからもできそこないの作品をどんどん作り続けますよ。

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九の近況(3) [その他]

コロナウイルスもずいぶん落ち着いてきましたね。天然痘もコレラも昔から何年かの周期で襲ってきたようです。コロナはそうならないといいですね。皆さんのご無事を祈っています。

久しぶりに九の近況です。お時間のある方はお付き合いください。長くてごめんなさい。

(詩)
詩誌『ココア共和国』への投稿を続けています。
最近は好調で、9月号、10月号、11月号と続けて傑作集に入れていただきました。秋吉久美子さんの「いいね」または「こりゃいいね」ももらっています。もちろん、私にしては上出来なんですけど、毎号若い人たちの詩があまりに素晴らしいので少し気後れしています。自分以外にもアマチュアで詩を書いている人がこんなにいるんだと実感できるのは本当に嬉しいことです。そういう場を与えてくださった「ココア共和国」に感謝しています。しかも、11月号では従兄と同時に載ることができました。まったく予想していませんでした。感激です。

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(小説)
ここ10年のあいだ何度も書いて最後まで書き切れなかったミステリーをようやく書き上げました。少し寝かせてから手直しして来年の文学賞に応募しようと思います。

千代田文学賞にも『神様の古本屋』という作品で応募しました。好きな作品でしたが、結果として賞にはまったく引っ掛かりませんでした。

静岡を舞台にした時代小説を伊豆文学賞に応募しました。静岡は私が1歳から高校を卒業した18歳まで過ごした土地です。この作品を書いたきっかけは、Facebookを通じて中学の同級生に彼の祖先の話を聞いたことでした。しかし、文献のなかに根拠となるはずの記述をなかなか見つけられませんでした。関係のありそうな古い文献をいくつか読んでみました。でも、やはりその記述はありませんでした。仕方なく第一資料が見つからないまま、同級生の話を元に執筆することになりました。ともあれ彼がいなければ出会えない物語でした。とても感謝しています。

京都文学賞にも応募しました。昨年に続き2回目の挑戦です。タイムトラベル物です。もちろん舞台は京都。少女と猫が主人公です。SFっぽい作品の応募は初めてかも。猫の登場は名作『夏の扉』を少し意識しました。楽しんで書いた作品です。

今書いているのは千葉文学賞に応募する予定の作品です。一昨年、座・劇列車の演出をお願いした長野さんのご先祖のことを書こうと思っています。これも資料が少ないので、関係する文献や論文を読み漁っているところです。

伊豆文学賞に応募した作品も、千葉文学賞に応募する予定の作品も、どちらも人との縁で書くことになりました。そのきっかけは『桜田濠の鯉』を読んでもらったことでした。書いた作品が人との縁をつなぎ、つながった相手から聞いた話がさらに新しい作品を生むきっかけとなる。作品創作の道筋としては理想的です。ぜひこれからも多くの人に刺激をもらって作品を書き続けたいと思います。

(戯曲)
座・劇列車のオリジナル作品を書き始めています。四街道市を舞台にした芝居になります。以前上演した『クロスロード~運命をつなぐ四つ辻』もそうですが、地元の人たちが四街道に愛着を感じられるような作品にしたいと思います。

「ここで生まれた子供達が地元を誇りに思えるような作品を書きなさい」という西田了先生の言葉が、千葉市創作ミュージカル『千年天女』の原作やちよだ文学賞の千代田賞をいただいた『桜田濠の鯉』などの作品を生みました。これからも先生のお言葉に叶うような作品を書いていきたいと思います。

(芝居)
12月5日(日)に上演される『やまんば おゆき』の演出助手を担当しています。
座・劇列車は31年前にこの作品を上演したことをきっかけに創立されました。当時劇団「あすなろ」の主宰だった西田了先生が脚本と演出を担当なさいました。四街道市民40人以上が参加した朗読劇だったそうです。
今回は演出に青年劇場の福山啓子先生、船津基先生をお迎えして、劇団員10名と公募に応じて集まってくださった18名の市民の皆さんによって演じます。脚本は西田先生の脚本と浜野卓也氏の原作を元に私(高平)が書かせていただきました。演出の先生方の指導によって面白い脚本になったと思います。よろしければ観てやってください。

また長々と書いてしまいました。読んでいただきありがとうございました。

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けん玉のこと [その他]

学生時代にけん玉に夢中になった時期があります。狭いアパートに一人暮らしだったので、寂しかったのでしょう。毎晩、ひたすらけん玉で遊んでいました。

けん玉にはまったきっかけはあるけん玉との出会いでした。そのけん玉は「民芸交易」という世田谷の町工場が作っていて、従来のものと比較すると格段にバランスがよく使いやすかったのです。

↓ 「民芸交易」が製作販売していた競技用けん玉。S18‐2型。倉庫から未開封のものを発見。
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民芸交易のけん玉を設計したのは新間英雄さんというクラシックのギタリストでした。当時はまったく知らなかったのですが、日本の五大ギタリストに挙げられるほどの演奏家なのだそうです。

けん玉のテクニックの本も何冊か出していらして、今では当たり前になっているコスミック技(玉とケンを手元から離す技)も新間さんの本で知りました。コスミック技の考案者は田中俊一という方だそうです。

↓ 新間さんの著作。けん玉の歴史、けん玉の技などが詳しく解説されています。
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民芸交易から発売された競技用けん玉にはS14、S16、S17、S18などの種類がありました。それぞれに様々な設計上の工夫が凝らされていました。S14、16は小型、S17は中型、S18は大型と分類されていました。

S14は少しだけ中皿が大きめに作られているので「もしかめ」がストレスなくできます。14という数字は剣先から中皿までの長さです。子供や手の小さな人が遊ぶのに適したけん玉でした。材質はサクラだけでした。

新間さんはS17の設計に2年を費やしたそうです。伝統的なけん玉に最も近い形ですが、どんな技にも対応している汎用型のけん玉です。少し形の違う17‐2、‐3というものもありました。材質はサクラとケヤキがあったと記憶しています。私が愛用していたのはケヤキのS17でした。
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S18にも18‐2、3がありました。材質はサクラとケヤキがありました。重いので「もしかめ」のような技には向きませんが、「ロウソク」「うぐいす」「奥義剣」などの技はやりやすいようです。鼓部や剣に穴が開けて軽くしてありました。私が最初に手にしたけん玉はこのタイプでした。

サクラ材のけん玉はすぐに手に馴染むのですが、ケヤキのものは表面が滑らかなので使いはじめは手からすべり落ちそうな感じがします。しかし、ケヤキのけん玉は剣と玉が当たるときの音かカンカンと心地よく、使い込んでいくとツヤが出て自分のけん玉に育っていきます。玉だけでいうとS17の場合はサクラ材で75グラム、ケヤキ材では80グラムあります。少しだけケヤキの方が重いです。

もう1つこのけん玉の優れた点は糸でした。最初に購入したときは普通の木綿の糸(たこ糸)でした。しかし、そのうちにナイロン糸が付属するようになり、ビーズをつけて縒りをなくす工夫もされるようになりました。ナイロン糸もビーズも予備がいくつか付属してました。もっともナイロン糸は丈夫なので購入してから40年経った今でも切れません。

民芸交易のけん玉には鼓部(大皿と小皿)の剣を入れる穴に4カ所に糸固定溝があって糸がずれないように工夫されています。糸によって鼓部と剣の間に隙間ができ、鼓部から剣が抜けてしまうこともあるのでその予防にもなります。一時、鼓部から剣が抜けるのを防ぐためにネジを使ったこともありましたがそれは後になくなりました。理由は分かりませんが、金属ネジが木製のけん玉に馴染まなかったかもしれません。

↓ 糸固定溝
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もともとのけん玉は子供の遊び道具でした。それを木地師の職人さんたちが仕事の片手間に作っていたのだと思います。当然ですがバランスの良さや様々な技をやりやすいようになどという観点はなかったはずです。それを大人も楽しめる趣味の道具として捉え直して、設計や素材にこだわったのは新間さんでした。大人ももっと自由にけん玉を楽しめるようにというのが新間さんの考えでした。多くの人が新間さんの設計したけん玉に出会って改めてその魅力に気付いたことでしょう。

民芸交易のけん玉には80個限定販売のローズウッドのものもあって今でも家宝にしています。
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ある日、民芸交易に電話をするとけん玉はもう作れないと言われました。理由を尋ねると「父が亡くなったので」という答えが返ってきました。電話に出たのは娘さんでした。

人が作る物は人がいなくなると作れなくなるということを痛感しました。民芸交易の親父さんが作るケン玉は購入のたびにどこか改良されていました。それが新間さんの指示なのか、親父さんの工夫なのかはわかりません。ひとつだけ言えるのは、どのけん玉にも丁寧に仕事がされていて、作った人の思いがこもったけん玉だったということです。

今でも時折、新間さんが設計し民芸交易の親父さんが作ったけん玉を取り出して遊んでいます。私が得意だったのはフリケン。学生時代、百回続けてできるまで寝ないと決めて夜中に練習した技です。当時は前後左右も楽々できたのですが、今ではかなりさび付いてしまっています。

数年前に膝を痛めたのでリハビリのためにまたけん玉もやっています。ボケ防止にもなればいいんですが(笑)

ところで、新間英雄さんの息子さんが、あの立川志らく師匠なのだそうです。あるテレビ番組で話していらっしゃるのを聞いてびっくりました。師匠もケン玉八段の腕前らしいですよ。
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赤い洗面器を頭にのせた男の話 [その他]

久しぶりのブログです。

今日ドラマ『古畑任三郎』の再放送を観ていたら「赤い洗面器を頭にのせた男」のことが出てきました。
第38話「最も危険なゲーム・後編」主演は江口洋介。

「赤い洗面器を頭にのせた男」
 道を歩いていると向こうから赤い洗面器をのせた男がやって来た。洗面器には水がたっぷり入っているらしく、男は慎重にゆっくりゆっくりと歩いている。私は勇気をふるって尋ねた。
「ちょっとすいません。あなたどうして頭に赤い洗面器なんかのせているんですか?」
 すると男は答えた……。

こんな話です。
この話は古畑任三郎シリーズに5回、他の三谷幸喜作品にも何度が登場していますが、どの場合もオチが明かされず、いまだに謎の小咄なのだそうです

最初に古畑シリーズでこの話が出てきたのは1994年放送の第1シーズン第11話。桃井かおりが犯人役の「さよなら、DJ」。ラジオ番組の最中にDJはこの小咄を披露しますが、古畑に犯行を見破られてオチを言わずに終わりました。

私は三谷作品が大好きなので、もちろん『古畑任三郎』も全部見ています。だから、この不思議な小咄のことは知っていました。やはりこの小咄が出てくるドラマ『王様のレストラン』、映画『ラヂオの時間』も観ています。

そして、この小咄のことを聞くたびに2つの小咄を思い出すのですが、当時はSNSもないので誰にも伝えられずにいました。

今から40年ほど前のこと、大学の先輩の披露宴の二次会で初めてそれらの小咄を聞きました。正直、その場では何が面白いのか分からなかったのですが、なぜか印象に残って自分でも機会があるたびに話すようになりました。この小咄は一度聞いてもその面白さはピンと来ないけど、自分が話してみると聞いている人のぽかんとした反応が実に面白いことに気付きます。つまり話して楽しむ小咄なのです。

題名は『セロリ男』『バナナ男』
これらの小咄には原典があるのかもしれません。試しにネット検索もしてみましたがこの題名ではヒットしませんでした。もし原典をご存知の方がいらしたら教えてください。それから、一度聞いただけの話なので勝手に作り変えてしまった点もあるかとも思います。ご容赦ください。

『セロリ男』
 ホテルのドアマンがいつもと同じように客を迎えていた。ある日、立派な紳士がやって来た。しかし紳士はなせが耳にセロリをはさんでいる。ドアマンはこのお客さん、なんでセロリを耳にはさんでるんだと不思議に思ったが、そんなことを尋ねるのは失礼かと思い我慢した。その紳士は次の日も、その次も日もやって来た。やはり耳にはセロリをはさんでいる。それでもドアマンは我慢した。ところが4日目、同じ客が耳に長ネギをはさんでやって来た。ドアマンはとうとう我慢できずに尋ねた。
「お客様たいへん申し訳ありませんが、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、かまわんよ」
「お客様はなぜ耳に長ネギをはさんでいらっしゃるんでしょうか?」
「ああ、これかね」
 すると紳士は耳から長ネギをとって言った。
「今朝、八百屋にセロリがなかったんじゃよ」

いかかでしょうか?これを読んでいる皆さんの「えっ?」という顔が目に浮かびます。結局、お客はドアマンの質問にちゃんと答えていないので、セロリであろうと長ネギであろうと、なぜ耳にはさんでいるかは謎のままです。なんかすっきりしない小咄ですよね。

「もう一つ聞いていただくと、この話の面白さが分かっていただけるかもしれません」
私が聞いたときに話し手はそう言ったと記憶しています。だから私も同じように言って次の小咄『バナナ男』を話しています

『バナナ男』
 新幹線ひかり号に乗って東京を発った。ボックス席の向かいに男がいた。不思議なことに男の両耳にはバナナがさしてある。皮をむいてあるので空調の風を受けて皮がバタバタしている。男は新聞を広げて読んでいた。
(どうしてこの人はバナナを耳にさしているんだろう?)
 そう思ったが初対面の相手にそんなことを聞くのは失礼だと思い我慢した。だが新幹線が名古屋に近づくにつれて、男が名古屋で降りてしまえば一生謎のままであると思い、意を決して礼儀正しく尋ねた。
「あのお、不躾な質問で申し訳ありません。あなたどうして耳にバナナをさしているんですか?」
 だが、男は無視して新聞を読んでいる。声が小さかったのだろうか。勇気をふるって今度はもっと大きな声で尋ねた。
「すみません。あなたどうして耳にバナナをさしてるんですか?」
 それでも男は黙って新聞を読み続けている。なんで無視するんだ。腹が立ってきた。思わず新聞を手で破いて叫んだ。
「あんたねえ、なんで耳にバナナなんかはさんでるんだ!」
 すると男は耳からバナナを外して言った。
「すいません。耳にバナナをさしていたんで、あなたの声が聞こえませんでした」

新幹線に東京から乗ったら席は向かい合っていなってないだろうって? そうなんですよね。もしかすると新幹線ができる前の話なのかしれませんね。オリジナルは東海道線の特急なのかもしれない。
えっ? 空調の風くらいでバナナの皮はバタバタしないって? そうなんですよ。その点は非科学的なんですけど面白いのでそのまま使ってます。

細かなことはさておき、この2つの小咄って『赤い洗面器を頭にのせた男』に似ていませんか?
三谷幸喜さんも『セロリ男』『バナナ男』の話をどこかで耳にしたのだろうか?あるいは『赤い洗面器男』という同類の話があったんでしょうか?想像すると面白い。

私なりに『赤い洗面器を頭にのせた男』にオチをつけるとすると、

「すいません。家に赤い洗面器しかなかったんですよ」

とでもなるんでしょうかね。えっオチになっていないって? だから、三谷さんもあえてオチを伝えないんでしょうかね。

よし、次からは『セロリ男』『バナナ男』『赤い洗面器の男』の3つをセットで話してみよう。聞いている人が消化不良でイライラする顔が目に浮かぶぜ(笑)

いったい誰が作ったんでしょう。これらの小咄の出典をご存知の方はぜひ教えてくださいね。よろしくお願いします。
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九の近況(2) [その他]

今日(7月1日)は関東地方、大雨のようですね。

ようやくワクチン接種券が届きました。65歳以上に1ヶ月足りなかった私は取り残されたような気分でしたけど、これで高齢者の仲間入りができます。近所の病院が今日から予約受付なので、朝の9時から電話をしました。でも話し中、その後100回以上かけ直して、ようやく10時過ぎにつながりました。7月6日が1回目、2回目は7月27日になりました。

I園O茶新俳句大賞は6月前半に二次通過者への封書が届いたみたいですね。残念ながら私のところには来ませんでした。入選した俳句を見ると、どれも実感がこもっていて感心します。俳句は写真のように一瞬の出遭いを切り取るものだと思っています。想像だけで作ったものにはやはり力がありません。旅先など特別な状況でなくても、日常に目を凝らせば出遭いはあるはずなんですけど、なかなか難しいですね。来年も挑戦します。

「ココア共和国」への投稿は続けていますが、なかなか傑作集(紙の本)には届きません。2ヶ月続けていただいた秋吉久美子さんの「こりゃいいね」も7月号ではとうとうもらえませんでした。
今月の詩は母のことを書きました。皆さんもそうかもしれませんが、亡くなった人というのは年月が経てば経つほど不思議にその存在感が濃くなります。このまま行くと私があっちに行くころには復活するんじゃないかと思うほどです(笑)

「桜貝の記憶」という詩です。三保半島の駒越海岸には桜貝の貝柄がたくさん落ちていました。あるとき母は幼い私を連れてその貝を拾って歩いたことがあります。東京から嫁いで来た母が、田舎暮らしの姑や父の兄弟姉妹と暮らすのは並大抵のことではなかったでしょう。いつもは気丈で快活な母でしたが、その記憶の中の母はとても悲しげです。空はどんより曇っていて富士山も見えなかったと思います。私は途中で歩けなくなって母の背中に負われました。それでも母は貝殻を拾うことをやめなかった。そんな詩です。

程度の差こそあれ男はみんなマザコンです。うちの父は認知症になってから「母ちゃんが待ってるから清水に帰る」と言って毎晩のように徘徊していました。さすがにそうはなりたくないと思います。

ちなみに8月号に向けての投稿はもう済んでいます。飼い猫のことを書きました。

できれば現実と非現実のあわいの世界を描きたいと思っているのですが、どうも最近の私は現実の方に引っ張られているように感じます。幻想への扉が固くなってしまったのか。でも、鍵はまだ私の手の中にあります。

資生堂の「詩を探しています」にも応募してみました。詩の投稿は「ココア共和国」だけと決めていたのですが、たまたまある方がツイッターでこの賞を紹介してくださっていて、そのときに言葉が自然に浮かんでので2つほど送ってみました。でも、今日(6月30日)までに連絡がないので選んではいただけなかったようです。「ココア共和国」に投稿している何人かも送ったはずですけど、どうだったんだろう?

肝心の小説はなかなか新作が書けません。応募しようとして準備していた「このミステリーがすごい!大賞」や「オール讀物新人賞」に投稿する作品を途中まで書いたのですが、結局間に合いませんでした。この2作はなんとか書き上げて来年こそは応募したいと思っています。

座・劇列車の『やまんば おゆき』の稽古も進んでいます。今は演出の先生方の指導で台本を持っての立ち稽古をしています。先日は1場から3場までと子役の活躍する8場をやりました。先生方が見てくださるのは月2回だけなので、他の稽古日は演出助手の私が中心となってお復習いをします。あくまで助手として先生方の助言が正確に伝わっているかを確認するだけと自分を戒めているのですが、どうしても余計なことを言ってしまいます。

お世話になった西田了先生が30年前に演出してくださった作品です。もともと朗読劇だったものを、演出の先生方の指導で私が書き直しました。あふれそうな思いを我慢して助手に徹するのは大変ですけど、それが私の役割ですから、とにかくあまり余計なことを言わずに稽古を進めたいと思います。

今はちょうど千葉公園などの大賀ハスが見頃のようです。週末に見に行こうと思っていたのですがあいにくの雨の予報です。私が書いた『千年天女』という作品には大賀一郎先生が登場し、蓮の花は作品のモチーフの1つになっています。昨年ミュージカルとして上演予定でしたけど、この状況ではなかなか上演できないようです。しかし、『千年天女』をテキストにした演劇、音楽、ダンス講座を開いてくれるそうです。私も参加希望のメールを送りました。久しぶりに参加者の皆さんの顔を見られると思うと今から楽しみです。
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読んでいただきありがとうございました。内容があまりないのに長くなりました。なかなかいい報告ができずにすいません。
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