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落選の思い出 [小説]

この1月にも地方文学賞のB文学賞に落選しました。

連敗が続いています。なんでそんな情報を発信するのかと思う方もいるでしょうね。

私がインターネットの前身である「パソコン通信」をしているときに、教えてもらったことがあります。

「どんな情報であっても必要な人はいる」

ですから、文学賞落選の情報もお知らせしようと思います。

それにしても、B文学賞には9318作品の応募があったそうです。複数応募が可能ということで、作家の人数は6061名

ショートショート(4000字)という気安さもあるのでしょうけど、ものすごい応募数ですね。

9318作品の応募作の中から最終選考に残ったのはたったの6作品。作家数でいうと約千倍ということになります。候補に残った皆さんおめでうございます。

2月下旬の表彰式ではじめて大賞1作と佳作5作が発表されるそうです。連絡が来てから1ヶ月間は自分が大賞なのか佳作なのか分からないというのはつらいでしょうね。そのドキドキを味わいたかったような味わいたくなかったような……。やっぱり一度くらい味わってみたい(笑)

B文学賞は作家の年代別応募者数も発表してくれます。それによると、いちばん多いのが20代2651名でした。Twitterを見ると、字数制限のある中できちんと気持ちや考えを伝えている若者も多いので、そういう人にとってはちょうどいい長さなのかもしれません。

私も昨年から『ココア共和国』という詩誌に投稿していますけど、やはり若い詩人の方がたくさん応募しています。詩にしてもショートショートにして、若い人が自分の内面を表現するのには手頃な長さなのかもしれません。彼らの思いの純粋さやひりひりするような感性にたくさんの刺激をもらっています。

若者のだけではありません。60代以上の作家も1507名いました。

60代から上の人は、子供の頃に星新一、小松左京、筒井康隆などのショートショートの名手の洗礼を受けているはずですから、それを思い出して書きたいと思う人も多いのかな。私は特にフレドリック・ブラウンが好きで、中学生の頃にブラウンの作品を真似てショートショートみたいなものを書いていました。

今から30年近く前に「パスカル短編文学新人賞」という変わった文学賞がありました。第1回は川上弘美さんが『神様』という作品で大賞に選ばれました。『神様』はとても素敵な作品で、今では教科書にも掲載されています。その第3回の最終選考に私の作品も残りました。

当時はまだインターネットではなく「パソコン通信」と呼ばれていた時代でした。文学賞の応募も郵送が普通でしたから、メールで応募できる「パスカル短編文学新人賞」は当時としては画期的な文学賞でした。

さらに透明性を重んじるために、応募作品すべてに審査員が点数をつけて短い評もいただくことができます。審査員の1人は筒井康隆先生でしたから、多くの筒井ファンが応募していました。この時、私は80点という点数をいただきました。確か川上さんが受賞した時の点数が82点だったので、大喜びしたことを覚えています。筒井先生が80点以上をつけたのは私ともう1人だけで、私の作品が最高点でした。他の審査員の点数もおおむね良く、応募者も互いの作品の批評をするのですが、その評価も悪くはなかったので、私は密かに期待していました。

応募総数は172作品。最終選考に残ったのは14作でした。

この賞の最終選考は有楽町マリオンで公開されました。壇上に審査員が並び、最終選考に残った作品について審査するのです。

ところが私の作品の番になった時に、筒井先生が開口一番「この作品は読み直してみたらそれほど良くなかった」とおっしゃったのです。私は椅子からずり落ちそうになりました。

後ろに座っていた若い女性たちが「かわいそう」と漏らすのが聞こえました。

しばらくは笑い話として人にも話し、自分でも大したことはないと思っていました。しかし、それ以降、全く小説が書けなくなりました。4年前に定年退職するまで、劇団で上演するための脚本を書きましたが、小説は書けませんでした。おそらく自分でも知らないうちにをやられていたのだと思います。

今さらですけど、悔しいときには悔しい、悲しいときには悲しいと表現するべきだったなと思います。自分はもっと強いはずだと虚栄を張ると、結局はを食われます。

だから、ああ悔しい。B文学賞もだめだった。くそっ!

と言わせてください(笑い)
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「うたは無駄の中にある」 [その他]

BEGIN「うたの日コンサート2020in石垣島〜with JALホノルルマラソン〜」という配信を観ました。昨年12月に配信された無観客のうたの日コンサートの再配信です。

石垣島の夕暮れを背景にしたコンサートは実に素晴らしいものでした。

もともと私はBEGINのファンなので、すべての楽曲が染みました。

でも、最も感動したのはコンサートの後半でボーカルの比嘉栄昇さんが言った、
うたは無駄の中にある」という言葉でした。

コロナ感染によって会社帰りに一杯飲むことがやり玉に上げられています。しかし、栄昇さんは言いいます。
「会社から自宅にどこにも寄らずに帰れる人は幸せな人。どこかに寄って一杯引っかけずには帰れない人がたくさんいる。それは無駄に見えるかもしれない。でも、そこにこそ『うた』がある」

演劇やミュージカルは無駄なのでしょうか?

ミュージシャンのライブは無駄なのでしょうか?

ダンスを踊ること、芸を見せることは無駄なのでしょうか?

合唱をすること、カラオケに行くことは無駄なのでしょうか?

友人や仲間と酒を飲んで騒ぐことは本当に必要のないことなのでしょうか?

いや、それらの中にこそ人間が生きるために必要な「うた」があるのです。

うたの日」コンサートはさだまさしさんが故郷の長崎で行っているコンサートに出演したことがきっかけで、自分たちも地元のために何かできないかと始めたのだそうです。

先の大戦で国内で唯一戦場となった沖縄。その沖縄戦が終結した日は6月23日でした。BEGINはその翌日の24日を「うたの日」と決めて、20年のあいだ毎年その日の近くにコンサートを開いてきました。

もともと琉球の人々は踊ることも歌うことも大好きだったといいます。酒を愛し人を愛し、自然の恵みに感謝して平和に暮らしていました。

ところが、軍事的な重要拠点として日本軍の統制が厳しくなると、内地の人間には理解できないウチナーグチ(方言)を話すことも禁じられ、学校では方言を使うと「方言札」を掛けられ罰せられました。方言を話していたためにスパイと疑われて処刑された人もいたそうです。

米軍が上陸して戦闘が始まると、歌うことや踊ることはもちろん、大きな声で笑ったり泣いたりすることさえも許されなくなりました。人々はガマ(洞窟)の中でじっと息を潜めていなければなりませんでした。

栄昇さんも話していましたが、乳飲み子がひもじくて泣くのを日本兵から「うるさい」と咎められ、母親が口を塞いで殺してしまったという悲劇もあったそうです。

1945年6月23日。沖縄戦の一応の終結によって、人々はようやくまた歌えるようになりました。そのことをお祝いしようというのが「うたの日」の趣旨だそうです。

「今の状況とよく似ている」と栄昇さんは言いました。

今、コロナによって「うた」は封印されています。誰もがマスクで顔を覆って、まるで歌うことも笑うことも禁じられているかのようです。

コロナ感染の脅威から解放されたとき、その日は私たちも思い切り歌い踊るでしょう。その日もまた「うたの日」になるのです。

うた」は無駄の中にあります。生きるということはただ息をして食べるだけではありません。「そんなこと無駄だ」と人が言うことの中にこそ、実は人間一人ひとりの生きる意味があるのではないでしょうか。

そうでなければ名曲も名画も生まれはしません。モーツァルトやビートルズ、西行や芭蕉、そして手塚治虫や宮崎駿も、みんな無駄と言われるものの中から生まれてきました。

配信は2月8日までだそうです。
3時間以上ありますから時間に余裕があるときに観てください。ちょこちょこCMも入りますけど、きっと後悔はしません。ぜひぜひ観てください。

https://www.youtube.com/watch?v=Ufhdj6CzbMc
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てるこ姫七変化!~『東金レットイットビー』 [戯曲]

てるこさんが拙作『東金レットイットビー』を、なんと1人7役で演じてくださいます。

期日 2月5日(一場)、19日(二場)、3月5日(三場)の3回

時間 午後7時30分~8時
   YASSAWAVE『ブルボンまゆみの政子まけないわよ』番組内での生放送です。

「YASSAWAVE」は千葉県東金市のローカル・インターネットメディア局です。

スマホ(WALLOPアプリ)、パソコンで観ることができます。

パソコンの場合はこちらから↓

http://www.yassawave.com/

てるこさんも、番組パーソナリティーのブルボンまゆみさんも、千葉市民創作ミュージカルのメンバーです。

この作品はブルボンさんから番組用に「恋愛」をテーマにした朗読劇をと依頼されて書きました。

昨年の8月7日、21日に県内で活躍している俳優さんたち11人が、2チームに分かれて演じてくださいました。その様子はYouTubeでもご覧いただけます。

8月7日組
https://youtu.be/Dga7xQzXlJ0

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8月21日組
https://youtu.be/fjtjevBpn9k

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てるこさんも21日組の出演者として、古稀の葵という役を実に愛らしく演じてくださいました。

その後、朗読会で1人7役を演じてたいへん好評だったと聞いておりましたので、ぜひ拝見したいと思っていました。ですから今回拝見できることをとても嬉しく思っています。

てるこ姫七変化、ぜひご覧ください。


ここで作品の舞台となる東金の八鶴湖について少しだけ。

1614年(慶長19年)、徳川家康は土井利勝に命じて船橋を経由して九十九里に達する「御成街道」を整備させました。

「御成街道」にはいくつかの御殿がありましたが、終点近くの最後の造られたのが「東金御殿」でした。三方を「鴇が峰(ときがみね)」という丘に囲まれており、盆地には「とき池」という小さな池があったそうです。東金御殿の眺望のためにとき池は拡張され周囲約800メートルの池になりました。人々はこの池を「谷池(やついけ)」「御殿池」などと呼んでいました。幕末の詩人遠山雲如という人が「八鶴湖」と名付けたそうです。

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「東金(とうがね)」という地名の由来は「鴇が峰」だとも言われています。

現在「東金御殿」の跡地には県立東金高等学校が立っています。

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春になると湖畔の300本のソメイヨシノが咲いて「東金桜まつり」が催されます。また、他の季節にもツツジ、ハナショウブ、ハス、アジサイなど四季折々の花が咲いています。

湖畔にある「八鶴亭(八鶴館)」は北原白秋、伊藤左千夫にも愛された明治期創業の老舗旅館です。大正から昭和にかけて造られた建物は国の登録有形文化財。先日、あるドラマの舞台としても使われていました。

鴇が峰の丘の上には最福寺、大漸寺という古刹があり、階段さえ苦にならなければ一見の価値ある立派な堂宇を見ることができます。
湖畔の遊歩道を上がると「山王台公園」があり、晴れた日には九十九里平野と太平洋を観ることができます。日の出を観るスポットとしても知られています。
東金駅から徒歩約10分(約500メートル)、コロナ明けにぜひ散歩にいらしてください。
近くの旧道沿いにはカステラパンで有名な木村屋、作品の中にも出てくるくず餅屋がありますよ。

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詩『あどけない話』(高村光太郎)について [詩]

智恵子抄』に掲載されている『あどけない話』は高村光太郎の詩のなかでも最も有名なものの一つだろう。

私は中学生の時に『智恵子抄』に出会い、この詩をはじめ『レモン哀歌』『樹下の二人』などを暗記した。ほかの詩はうろ覚えになってしまったけれど、今でも『あどけない話』だけは何とか暗誦できる。

余談だが、『ムー一族』というテレビドラマがあった。

郷ひろみが演じた浪人生宇崎拓郎が足袋職人の野口五郎(左とん平)と話していて、教養があるとかないとかの話になった。馬鹿にされた野口は教養はないが詩の一つくらいは覚えていると言って島崎藤村の『初恋』を「まだあげそめし前髪のりんごの下に見えしとき……」と暗誦してみせた。皆が感心するなか拓郎が「それなら俺もできる」と言ってジャン・コクトーの『』を暗誦したが、「私の耳は貝の殻/海の響をなつかしむ」(堀口大学訳)とあまりの短さに周囲の人々が呆れるというオチだった。

テレビドラマでそんな風に詩が取り上げられるのは珍しい。多くの人にとって記憶に残るシーンになったようだ。もしかすると演出の久世光彦さんあたりのアイデアだったかもしれない。

マリリン・モンロー主演の『バス・ストップ』という映画がある。この映画のなかに長距離バスの休憩所でモンロー扮する金髪美女に恋したカウボーイが、ここぞとばかり教養があるところを見せようと詩を披露する場面があった。

教養とは詩を暗誦できること。そんな時代があったのだ。

私が暗誦できる詩などほんのわずかだが、人生の様々な場面でふとそれらの詩がよみがえる。中学生ではよくわからなかった恋愛や夫婦のことがあるとき腑に落ちる。最愛の妻を亡くした光太郎の思いがリアルに迫ってくる。詩の言葉が自分の人生に寄り添ってくれる。

一つの詩を暗誦できることは一人の友人を持つのと同じだと思う。
一つの詩もそして一人の友人も人生を豊かにする。

ちょっと言い過ぎかな(笑)

閑話休題

最近、Twitterで『あどけない話』が紹介されていた。若い人のなかには高村光太郎という詩人の名も知らない人が多いだろう。思わずコメントを書いた。

かつてはテレビドラマにもなって『東京の空灰色の空、ほんとの空が見たいと言う……』という主題歌も有名だった。

これも余談だが、先日九十九里にある智恵子と光太郎の碑を見てきた。道路ができたせいで石碑のある場所からは海も見ることができない。精神を病んで千鳥と遊ぶ智恵子を松林から光太郎が悲しく眺めていたことを知る人も少ないだろう。国民宿舎「サンライズ九十九里」の裏手にあるのでぜひ多くの人に訪ねてほしい。

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ところで、この詩には「ほんとの空が見たいといふ」(2行目)「智恵子のほんとの空だといふ」(最後から2行目)と「ほんとの」という語が2回使われている。

先のTwitterの引用にもそうあったので青空文庫も確認したが同じだった。

実はこのことにはずいぶん前にも気づいていた。何かで見たテキストが私の記憶と異なっていたのである。私の記憶では二度目の「ほんとの」は「ほんとうの」だった。

そのときに文庫の「高村光太郎詩集」を見て確認したはずだが、残念ながらその時以来詩集は行方不明。物をなくすのが私の悪いくせ。

ネットを検索して調べるとわずかだが「ほんとうの」としているものがある。

私としては、前者の「ほんとの」は智恵子の肉声に近い表現、後者の「ほんとうの」は光太郎が智恵子の言葉を言い直した表現だと解釈していた。

単にくりかえしを嫌ったというのではなく、「ほんとうの」と言い換えることですでに遠くに去った智恵子との距離感、一人取り残された詩人の思いがより鮮明に見えてくると思う。

まあ、これは私の独りよがりの解釈なので、どなたか「ほんとうの」ところをご存じの方は御教授いただきたい。
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二次選考落ちました [小説]

Y新人賞の二次選考落ちました。

甘くないですね。

103作中27作品が二次選考を通過したそうです。

とても気に入っていた作品なのでゆっくりと「供養」しました。

私が造形した物語と人物は世に出ることができませんでした。せめて私が書いた者の責任として丁寧に読んであげたい。それが「供養」です。

読み直してみると欠点だらけでした。このままでは物語と登場人物に申し訳ないので、書き直して他の文学賞にも応募してみたいと思います。

相変わらずスランプは続いています。
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うーん書けない [小説]

小説が書けない。

昨年の8月までは好調だった。出来不出来はともかく3本の中長編と4本の短編を書いた。それが9月から全く書けない。なまじ賞など獲ったのが悪かったのか。受賞は「まだ書いていいよ」という何者かからのメッセージだと思った。少しでも多くの人に自分が作った人物と物語について知ってもらいたいと感じた。それなのに肝心の書く作業が止まった。

明日は二次選考の結果が出る。そろそろ短編の賞も発表になるはずだ。これまでは応募した賞の発表前他の賞に応募するようにしていた。「これが落ちても次がある」と思えるからだ。そろそろ書かないとそれが途切れてしまう。1月末締め切りの文学賞は多い。何とかつなげたいものだ。

小説を書きたい人は多い。人の人生に同じものは1つもない。ある程度の年齢に達すれば自分の波乱に富んだ人生を書いてみたいと思うのは至極当然なことだ。

だが、実際に小説の最初の一行を書き始める人はとても少ない。さらにその小説の最終行に「了」と書き込んだ経験のある人はわずかしかいないだろう。

作家の宮本輝が小説を書くコツについて「上手に思い出すこと」だと書いているのを何かで読んだことがある。

自分が経験したことの中にすべての答えはある。ただし、それをそのまま書こうとするとうまくいかない。それが挫折の大きな原因の一つだと思う。確かに経験したことなのに、それを文章として表現しようとする何かが違う。多くの人はそれを自分の文章力のせいだと思って諦めてしまうけれど、実は思い出し方にこそ挫折の要因はある。

例えば、かつて誰かが言った言葉が胸に深く刻まれていたとする。だが、脚本や小説の台詞のように語る人は少ない。その人もおそらくは訥々とあれこれ回り道をして語ったはずである。また周囲の状況もけしてその内容にふさわしかったとは限らない。

そのときの感銘を真に描写しようとすれば、当然だが余計な言葉や状況は捨てて、逆に内容を際立たせるような演出を加える必要がある。真面目な人ほど事実をそのまま書こうと拘るけれど、事実に虚構を混ぜることではじめて真実を描くことができる。書きたいのは事実なのか真実なのか。もしも誰かに言われた言葉がいかに心に響いたかを書きたいなら、事実をそのまま書いたのではそのときの感銘、つまり真実を捉えることは難しい。

中学1年の美術の時間に、校舎の外に出てスケッチをやった。私は学校のフェンスの外にある赤い屋根の家が気に入ってそれを写していた。美術の先生が私の絵を覗き込んで「あの家が描きたいんだろう。フェンスとか木が邪魔だったら描かなくてもいいんだぞ」と言った。当たり前の助言なのかもしれない。しかし、その言葉は私を何かから解き放してくれた。美術部に入って抽象画を描くようになったのはそれがきっかけだった。

真実を描きたければ事実に拘る必要はない。この考え方は作者と作品を自由にする。

それにしてなぜ小説が書けないのだろう。

引きこもっているから時間はたっぷりある。なのに書けない。やはりコロナのせいだと思うことにした。真実は人と人とのつながり中にある。人とつながれなければ真実を描くことはできないのかもしれない。さあ、書こう。

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妻の誕生日に花を贈る [その他]

昨日は妻の誕生日だったので花を贈った。思いのほか喜んでくれた。

わが家は猫が3匹いるから、花を飾るのは猫がけして立ち入らない唯一の聖域、つまりトイレ。昨年リフォームしたばかりのトイレに花がよく似合う。

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ちなみにリフォーム代の何割かは昨年いただいた文学賞の賞金を使った。その前に賞金をいただいたときには洗面台が壊れてリフォームした。次に何が壊れるか心配だが、きっとそのときも何か賞をいただけるに違いない。

妻への贈り物は難しい。昨年の12月で結婚30周年だったから、何か記念に残るものをと考えた。妻はあまり装飾品を好まない。いちばん興味があるのは食べることなので、とりあえず当日は彼女が希望する日本料理店に行った。次に好きなのは旅行。コロナ騒動が終わったら好きなところに連れて行きたい。でも今は我慢だ。

ふとマルセル・マルソーが初めて来日したときのエピソードを思い出した。

マルソーは夫人を同伴していて、日本人の接待係が彼女の買い物にも付き合った。マルソー夫人はある店で2つの品物のどちらを買うかしばらく迷って一方を購入したそうだ。
マルソー夫妻が帰国するとき、接待係が夫人へのプレゼントを渡した。それは彼女がどちらを買おうか迷って結局買わなかったもう一方の物だった。

私はマルソーから3日間だけマイムを教えてもらったことがある。一生の思い出、宝物だ。結果的にはそれが最後の来日だった。マルソーは稽古のときこそ鷹のような鋭い眼で私たちの動きをにらみつけていたが、稽古が終わると寿司好きな可愛い老人になった。お茶目なマルソーのことだ。妻に渡された粋な贈り物をたいそう喜んだに違いない。日本人の細やかな気遣いを感じたと思う。日本と日本人が大好きな人だった。

このエピソードを知って以来、いつか妻が2つの品のどちらかを買うか迷わないかと待ち受けているのだが、なかなかその機会がない。一生に一度くらい粋な贈り物をさせてほしいものだ。

夕飯は妻の好きな鴨鍋だった。

一緒に買い物に行き「下仁田ネギ」を買った。笑いをとろうとした訳ではないが私はうっかり「下ネタネギ」と言ってしまった。生産者の皆さんごめんなさい。

そのとき、妻は顔色ひとつ変えずに「セクハラ」と言った。

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バックアップマニアの憂鬱 [その他]

バックアップ病とでも言おうか。PCのデータを外付けハードディスク2台(どちらも2TB)、32GBのUSBメモリ4本、4GBのUSBメモリ1本に保存している。さらに、いつもではないがМОディスク数枚(230MB、640MB)にも保存する。クラウドも使ってはいるが、上げるのは主に画像だけだ。

人にこのことを話すと「心配しすぎだよ」と言われる。だが、大切なデータは掛けがえがない。現役のときにPCの仕事をしていたことがある。そのときにバックアップを取らなかったために悔しい思いをしたことが何度もあった。当時はまだ記録媒体がフロッピーディスクしかなくて今よりもバックアップに時間がかかった。作業する時間も限られていたので、バックアップをする手間が惜しかった。結局そのために同じことを何度も繰り返す羽目になった。そのことが忘れられない。
 
今は定期的に自動バックアップを保存してくれるソフトがほとんどだ。クラウドも勝手にデータを保存してくれる。バックアップの作業など必要ないという人がいるのも頷ける。それでもやはり心配だ。

たとえば、中長編の小説を書く場合は途中で日付をつけてログも保存する。書いているときには毎日ログを残すので、書き上げたときにはかなりの数のログが残る。あまり利用することはないのだが、何をどう書き変えたかがあとでもわかるようにしておきたい。

バックアップもずいぶん楽になった。最近買い足したUSBで接続するハードディスクなどは特に速くて気持ちがいい。容量も桁違いだ。フロッピーディスクはNECでは1.2MB、他は1.4MBだった。GBとかTBは桁の呼称さえ知らなかった。

私のバックアップは病気かもしれない。大切なデータが失われるのではないかと不安でならないからバックアップをする。いわば精神安定剤のようなものだ。

様々な記憶媒体を使うのは、同じ媒体だと同じ条件で失われる危険性があるからだ。CDなどの光磁気ディスクが出たばかりのころは、データを半永久的に保存しておけると言われたが、実験によってそれほどでもないことが分かった。フロッピーディスクが物理的にも弱く、磁気の影響も受けやすいことは言うまでもない。だからと言ってUSB他の媒体はどうかと言うと、どの媒体も故障してアクセスできないという状況を経験している。つまり完全なものなどない。いくつかの媒体に同時に保存することで補完しようとしているに過ぎない。

思うに文化というのも膨大な人類の営みのバックアップなのだ。様々な人種に学校や書物によって文化のバックアップを試みる。たまに優秀な人がいてバックアップされたデータをさらに進めたりする。しかしそれもごく限られた分野に過ぎない。人類は互いに補完し合いながら文化を引き継ぎ少しずつ先に進める。

藤原定家は菅原家が門外不出としていた日記を、無理を言って借り出し不自由な手で書き写した。つまりバックアップを取った。その最初の写本は知人が借りて行って返却されなかったそうだ。定家はもう一度菅原家に掛け合って同じ日記を借り出して写すことになった。これが『更級日記』だ。借りて返さない奴もひどいが、それでも諦めずにもう一度借り出して写した定家はすごい。彼のバックアップのおかげで私たちは『更級日記』を読むことができる。彼こそ本当の意味でのバックアップマニアなのかもしれない。

今年は13歳の菅原孝標女が上総から上京してから千年なのだそうだ。市原市はそれを記念して『更級日記千年紀文学賞』を創設した。市原市は私が最初に赴任した思い出の地でもある。よし、何か書いて応募してみるとするか。
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あけましておめでとうございます~「ふわふぬ」の年~ [その他]

あけましておめでとうございます
昨年中はブログを読んでいただきありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。

ふわふぬ?
気づいた方もいらっしゃると思いますが、これはパソコンで「2021」と入力したときに誤入力される文字です。

最近は「ローマ字漢字入力」が主流なので意外にこのことを知らない方も多いかもしれません。ワープロソフトを「カナ漢字入力」にしてある方が、「ひらがな入力」の状態でうっかり「2021」とキィを押すと「ふわふぬ」と入力されます。

ちなみに「2020」は「ふわふわ」です。可愛い誤入力だと思って和んでいましたが、2020年はとんでもない年になりましたね。なかなかこの発見を披露するような状況ではありませんでした。今思うと「不和不和」もしくは「不安不安」だったのかもしれない。

さて、「ふわふぬ」の今年はどんな年になるでしょうか。きっと不和も不安も去ってステキないい年になりますよ。

ところで、私のPCとの付き合いはNECのN98シリーズからでした。

当時のNECのパソコンにはブラインドタッチ(タッチタイピング)の練習ソフトが付属していました。指定された仮名を時間内に打つというシンプルなものでした。時間内に入力できないと「もしもしかめよかめさんよ……」と入力させられます。さらに遅れると「おそいですねあしでうっているんですか」と入力させられる。実にサディスティックな腹立たしいソフトでした。しかし、そのお陰でブラインドタッチをまたたく間にマスター。それからはPCが友達になりました。

ゲームもPCに馴染むのに役立ちました。

最初にはまったのは『Wizardry(ウィザードリィ)』というRPG。ギルガメッシュの酒場でグループを組みダンジョンの中へ。黒い画面にレイアーだけが白く光ってダンジョンの深みへと誘います。モンスターに遭遇するとすかさず呪文を入力。このゲームのⅠは入力練習ソフトという感じでしたね。カナ入力だったから苦労しました。よく使う呪文のアルファベットの位置だけは覚えました。

今でもワープロソフトはジャストシステムの「一太郎」を使っています。もちろんカナ漢字入力。

Microsoftの「Office」がバンドルされているPCが多いため、ワープロソフトは「Word」を使っている人が多いですね。今では文学賞の多くがネットで応募できるようになってきていますが、ほとんどはWord文書かテキストファイルの応募しか認めていません。一太郎を認めているところは少なくなってきています。

仕方なく応募する際に一太郎文書からWord文書に変換しています。一太郎にはWordの文書形式で保存する機能もあるのですが、なかなかうまくいきません。それで一太郎に書いた詩や小説をコピーして、それをWordの画面に貼り付けるようにしています。文学賞のサイトの方で応募用のサンプルを上げてくれてあると、文字数行数などを変更せずに流し込めるので便利です。

最近はスマホを使うことも増えました。昨年までは無料のメモアプリにもいいものがあったので使っていました。詩や小説のアイデアはどこで生まれるか分かりませんからね。特に寝床で思いついた、あるいは夢で見たアイデアはメモに残しておかないと朝になると必ず忘れています。

夜中に目が覚めて「これは絶対に忘れない」と何度思ったことでしょう。でも、やはり朝になると忘れている。いや、忘れたことさえ覚えていないこともある。朝に見直すと明らかにクズのようなアイデアもありますけど、忘れてしまったものの中に秀逸なアイデアがあったかもしれない。いつでもどこでも閃いたアイデアをメモする。これはクリエイティブな仕事や趣味を持つ人にとっては必要なことですよね。

ところがせっかくのメモをPCに転送しようとするとまたひと手間です。メモアプリには内容を転送できる機能もありますし、クラウドを経由する方法もある。でも、やはり面倒臭い。そう思っている時に一太郎の新しい機能に「一太郎Pad」が追加されました。

「一太郎Pad」はスマホのアプリです。このアプリにメモした文書はWi-Fiの環境さえあれば、簡単にPCの一太郎文書に転送できます。また、スマホのカメラで撮影した文書映像をOCR機能で文書に起こすこともできる。驚いたのはこのOCRの機能の性能。かなりの精度で変換ができます。
 
この「一太郎Pad」の機能によって、スマホのメモをPCに移して作品に広げていく作業がストレスなくできるようになりました。

文学賞が一太郎ファイルでの応募を受け付けてくれればもっと楽なんだけど……。

「書く」という作業には様々な方法があります。若い頃にはモンブランの万年筆を使って原稿用に書いたこともありました。職場で埃をかぶっていた和文タイプライターを使って同人誌に載せる詩を打ったこともあります。書く方法にこだわる作家もいるようですが、私はそれぞれの方法にメリットとデメリットがあるのではないかと思います。方法にこだわらず色々試して自分、または作品に合った方法を探すことができればいいですね。

さあ、今年もたくさん書くぞー!
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天女はどこに?~千葉市民創作ミュージカル無期延期 [戯曲]

第2回千葉市民創作ミュージカル千年天女』が無期延期となりました。

一昨年「第2回千葉市民創作ミュージカル原作大賞」に応募した拙作『千年天女』が大賞をいただき今年の6月に上演予定でした。3月からは新型コロナウィルスの影響で稽古が中止になり、その後上演も延期となっていましたが、来年の上演についても難しいという判断が下り、無期延期となりました。

今の状況を考えると50人以上の人が狭い稽古場で歌ったり踊ったりお芝居をしたりするというのはとても難しいことです。ましてプロの演劇人ではなくあくまで全員が市民ですから、今回の判断は仕方がないことだと思います。

脚本も私が書かせていただきましたが、ミュージカルの台本など書いたことがありませんでしたので、演出の小笠等響先生が手直しをしてくださいました。歌詞はすべて小笠原先生に書いていただきました。

作曲は日高哲英先生歌唱指導は横洲かおる先生振付は小林真梨恵先生がそれぞれ担当してくださり、オーディションで選ばれた出演者の皆さんも熱心に稽古に取り組んでいました。私も出演者の一人に加えていただきました。

小笠原先生作詞、日高先生作曲の楽曲はどれも素晴らしいものばかりです。横洲先生の歌唱指導も進み、参加者の歌声がそろってくると心が震えるほどの感動を覚えました。

読み合わせが終わり、立ち稽古に移行したばかりの時に稽古が中止になりました。とても残念です。

県庁の近くに羽衣公園という公園があります。かつてここには池田という大きな池があり、季節になると蓮の花が水面を飾ったそうです。あまりの美しさに天女が舞い降りて、千葉氏の元祖とも言われる平常将と結婚したという伝説が羽衣公園の松の傍らに書かれています。

千年天女』はこの伝説をもとに書きました。常将と結ばれた天女がそのまま千年のあいだ地上にいて人々が平和を求める姿を見守り続けたという物語です。天女の願いが叶い日本は70年に渡って平和でした。しかしそのあいだも世界のどこかでずっと戦争は続いています。

そしてこの新型コロナウィルス。

天女は何を思うのでしょうか。

トンネルの暗闇には光が必要です。どんなに遠くでも出口の光が見えていれば挫けずに進むことができるものです。

千年天女』の上演が私にとっての希望の光です。新型コロナ禍という暗闇を抜けて千葉市民ミュージカルという祭りをみんなで楽しみましょう。それはかつて池田の池の周りで蓮の花を愛でた踊った民衆の姿でもあります。彼らもまた戦が終わったときには平穏な日々を祝って踊ったことでしょう。

千葉市民ミュージカルのグループLINEにはまだ46人の仲間が残っています。彼らも私も希望は失っていません。

実行委員会、文化振興財団の皆さんも上演に向けて努力してくださっています。

千葉市民ミュージカル千年天女』いつの日か上演することを信じて今日もまたお風呂で歌います。
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