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九の近況(14)~2024年1~4月 [近況]

 2024年1月から4月中旬までの高平九の近況です。

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 昨年末はコロナ感染、半月板損傷、大腸ポリープ手術のための入院(なんと病理検査した結果大腸ガンでした)とお騒がせしました。半月板は半年経った今も万全ではありませんが、リハビリをサボりがちながらも続けています。まだ膝が十分に曲がらないころ浴槽に入ろうとして肩に痛みが走りました。しばらくは何ともなかったのですが横になると痛くて目を覚ますことが多くなりました。そのうち上腕や胸も痛むようになったので整形外科でレントゲンを撮ってもらったところ骨には異常はなく四十肩と診断されました。そして先日理学療法士からの提案でMRI検査もすることになりました。さてどんな診断が下されることか。本当にあちらこちら問題が発生しています。まだまだやりたいことがあるので、騙し騙しなんとか60代を乗り切りたいと思います。

 演劇 ※※※※※※※※※※※※※※※


 今年の活動は1月5日の山田組公演から始まりました。


 小芝居まつり「第5回山田組」公演

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 毎年正月と8月、高校演劇第8地区を中心に小芝居まつりという交流会が開催されています。作品も春秋の大会と比べると自由で楽しいものが多く、各高校から役者が出て一つの作品を作るコラボ企画などもある創造的な催しです。まつりの最後には部活の顧問、OB、現役部員などで山田組というユニットを組んで30分ほどの小品を上演するのが恒例になっています。  今年は私が書き下ろした『千葉駅零時九分発内房線最終電車殺人事件』という作品を上演しました。千葉駅を零時9分に発車する内房線最終電車の車内。急ブレーキ、停電。再び明かりが点くと通路に女性が一人倒れている。乗客の医師は女性はすでに死んでいると判断。容疑者は7名。たまたま乗り合わせた探偵が推理を始める。といった内容です。  私はもともとミステリー作家志望で、夢は江戸川乱歩賞を獲ることでした。でも論理的思考が致命的に苦手でトリックを解いて行くような本格推理小説は書けません。この作品もミステリー風ではありますが、最後は私らしくきちんと裏切っています(笑)  今回はいつものメンバーに加えて、高校演劇連盟の元会長Mさん、同地区の高校演劇部出身の顧問Mさん、OBの大学生カルテット、さらに現役の部員Fさんも参加してくれました。  稽古は年末に1回と正月4日、それに5日の午前中と3回だけでした。全部で10時間程度です。私は今回は退院したばかりで、また膝の具合もよくなかったので演出に専念しましたが、とにかくキャストの情熱と集中力が素晴らしく、またスタッフの献身的な協力もあって、予想以上にいい作品になったと思います。


 2月16日 四街道公民館長寿大学公演

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 四街道公民館が主催する長寿大学の修了式で公演をしました。演目は拙作『白雨五人男女?』です。久しぶりに犬の着ぐるみを着ました。御覧いただいた皆様ありがとうございました。


 2月18日 第3回SAMMU演劇祭公演

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 山武市成東文化会館のぎくプラザホールで『白雨五人男女?』を上演しました。御来場いただいた皆様ありがとうございました。

 昨年末から今年にかけて8名の新しい仲間を迎えました。演劇経験の差はありますが、それぞれ個性的で何より意欲的な人ばかり。総勢23名。稽古場に人がたくさんいるのは楽しいです。様々な声を束ねていい作品が生まれる予感がします。


 第34回本公演

 今年の本公演の演目は大西弘記さんの

『しゃぼん玉の欠片を眺めて』

 に決まりました。

 また、演出は俳優のさいとう たかしさんにお願いいたしました。

 どんな作品に仕上がるかとても楽しみです。

 12月8日(日)四街道市文化センターでお待ちしております。


 詩 ※※※※※※※※※※※※

「言葉に羽が生えると詩になる」武者小路実篤

 中学生の私は武者小路実篤の作品を愛読していました。『真理先生』、『馬鹿一』、『愛と死』などの小説世界に魅了されていました。地方の港町で少年期を過ごしていた私には周囲の大人たちの言葉がとてもがさつに感じられましたが、実篤の作品には聞いたことのない美しい言葉が溢れていました。
 馬鹿一と渾名される人物が特にお気に入りでした。石や植物の絵ばかり描いている変人です。私自身も絵を描いていたからかもしれませんが、周囲に理解されなくても自分の嗜好を純粋に貫く馬鹿一の姿勢に共感しました。実篤の小説に現れる人々も事象もすべてありふれたものです。それが実篤の言葉の魔法によって磨かれてとても新鮮なものに感じられるのです。
 子どものころ、従兄弟たちと山や川に冒険に出かけて石を拾って来ては水ヤスリ(耐水性の紙やすり)で磨いたことがあります。くすんだ色のただの石が深い色合いの美しい宝石に変身するのが楽しみでした。実篤の小説にはそれと似たような驚きがあります。
 たとえば実篤の小説の一場面に使われた「馬鹿」という言葉。この言葉は日常で使われると実に不愉快に感じます。でも砂浜で遊ぶ美しい少女が、自分の気持ちを察しない男友達に「馬鹿」と言うと、それは「こんなに好きなのにどうしてわからないの」という何とも美しい思いを秘めた言葉に変容するのです。
 実篤は詩も書いています。それほど特別なことを題材にしているわけではありません。でも、それらのありふれた内容と言葉がとても純粋で美しいものと感じられたのです。
 今の私もどうしたら言葉に羽が生えるのかに悩みながら詩作をしています。

 詩誌「ココア共和国」には1月号『ああバンパイヤ』、2月号『風吹ジュン』、3月号『うすうす』、4月号『小さなすれ違い』と珍しく4号続けて傑作集に載せてもらっています。前年から6号連続になります。もちろん傑作集に入るために詩作をしているわけではありません。それでもきちんと読んでもらえたこと、ある程度の評価をしてもらえたことは素直に嬉しく思います。毎月どんな詩が生まれてくるか自分にもわかりません。とにかく今のこの時代を全身で感じながら、ただのありふれた石ころを磨くしかありません。

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 4月号は3賞の発表がありました。YS賞は柊さん、秋吉久美子賞は木崎義夫、いがらしみきお賞はまちだちづるさんがそれぞれ受賞なさいました。皆さん個性的で魅力的な詩人です。今後のご活躍が楽しみです。おめでとうございます。
 今年も秋吉久美子賞の選評に名前を挙げていただきました。感謝しています。これを励みにしてまた1年詩作を続けて行こうと思います。
 従兄の勧めではじめた投稿ですが、もしも「ココア共和国」に出会わなければ私の詩作は私という穴の中で小さく響いていただけで終わったはずです。でも、この詩誌との出会いによって多くの人に詩を読んでいただくことができるようになりました。また様々な年代の詩を書く仲間とも出会えました。人生を変えた詩誌と言っても大袈裟ではないと思います。もしもこの文章を読んでくださっている方の中に人知れず詩を書いている方がいらしたらぜひ投稿をしてみてください。穴を這い出してもすぐに羽が生えるとは限りませんが、お日様に照らされているうちにあなたの言葉は鍛えられてやがて空に飛び立つかもしれません。

 2月には『凪組Anthology2024』が刊行されました。100人の詩人が今の言葉を綴っています。拙作『みどりいろのレシート』『猫と話せないのは猫のせいではない』の2編を掲載しています。
 4月には詩誌「凪」第5号が刊行されました。『歌』『ラーメンタマネギ』という詩を載せています。今号には「凪」のお仲間で秋吉久美子賞を受賞された滝本政博さんの詩集「エンプテイチェア」の書評も書かせていたたぎました。素晴らしい詩集です。この詩集の魅力を何とか伝えたいと思って書きました。詩集「エンプテイチェア」ぜひお読みください。

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 どの詩誌もそうですが、様々な世代の人々が詩でしか表現できないものがあると信じて、今この瞬間を切り取ろうと試みています。整った完成品がすべてではないと思います。未熟な言葉にの欠片にも「今のほんとう」が宿っていると信じます。


 小説 ※※※※※※※※※※※※


 3月は第19回ミステリーズ!新人賞第37回小説すばる新人賞第11回新潮ミステリー大賞第4回子母澤寛文学賞の4つの賞に応募しました。
 新作はありません。すべてこれまで書いたものを書き直しました。
 今月は「ちよだ文学賞」の締め切りもあったのですが最後まで書き切れませんでした。時代小説なので他の賞に応募しようと思っています。
 ここ数年ラノベの文学賞が増えました。息子は私にラノベを書けと言うのですが、ライトノベルの題材が1つも湧いてきません。冒険も幻想もSFも大好きなジャンルなのですがなかなか難しいです。
 応募フォームやメールで作品を送れる文学賞が増えました。ただこの3月に応募した賞は4つのうち3つが郵送のみでした。郵送の場合はレターパックのライトまたはプラスを使っています。これだとポストに入れることもできるのでとても便利です。今回はプラスでA4185枚を送りました。手書きや従来の郵送方法にこだわる方もいらっしゃると思いますが、私は何でも便利なものは積極的に使う主義です。今の時代を自分自身で泳ぐのか、あるいはただ流されてしまうのか。変わろうと思って変わるのか、仕方なく変えられてしまうのか。なるべく前者でありたいと思っています。
 ようやく新作を書けそうな気配があります。書きかけや構想はいくつかあるので今年は何とか形にしたいと思っています。


 今回も長文お付き合いいただきありがとうございました。
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九の近況(13)~私の2023年 [近況]

九の近況(13)~私の2023年
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前回近況を書いたのは5月でしたから、半年以上ぶりの近況になります。もはや人に読んでもらうというより自分の記録みたいなものですね。長くなります。

今年の後半は様々な病気に悩まされました。でも、それが8月の『千年天女』公演以降に始まったというのはそれまで執行猶予を与えてくれていたのかなとも思います。それほど一気に体調が悪くなり、たくさんの人に迷惑もかけました。来年はまずは体調を整えて、皆さんに恩を返すことを心がけようと思っています。

昨年くらいからでしょうか、小説にしても詩にしても脚本にしても、何とか「いのち」に届くようなものが書けないかともがいています。「いのちに届く」なんてかっこつけすぎかな。それにわかりにくいですね。つまりは、人生、生きることに深く関わるというような意味です。時には「いのち」を削ることもあるし、時には逆に「いのち」に火を点けてエネルギーとなることもあるでしょう。この場合の「いのち」とは自分自身のものですが、自らの「いのち」に届くようなものが書ければ、自然に他の人の「いのち」にも届くのではないかと思うのです。これはお芝居も同じで「いのち」から汲み出すようにセリフを言えないか、もがいています。この場合の「いのち」は「ほんとう」と置き換えてもいいです。「ほんとうの言葉」でセリフを言いたいといつも思います。でもそれは自分ひとりではできません。相手役や役者がみんなで作る状況のなかで、自然に深いところから「ほんとうの言葉」が吸い出されるような気がします。一度稽古でできたと感じても次の稽古でできるとは限らないところが悩ましい(笑)

小説

自分はなぜ文学賞に応募するのだろうかと、ときおり考えます。賞金はほしいです(笑)賞を獲って人に褒められたいという承認欲求もあります。特に退職してからは何者でもありませんからね。無職より作家の方がかっこいいです。でもそれだけではありません。私はやはり物語が書きたいのです。それによって人や社会や歴史とつながりたいのだと思います。文学賞は自分のなかから物語を吸い出す道具立てなのかもしれません。

2月に応募した「第3回更級日記千年紀文学賞」(千葉県市原市・市原市教育委員会主催)には、残念ながら入賞できませんでした。応募したのは『花燃香』という作品です。応募は74作でした。一次選考の7作には選ばれました。しかしその先に進めませんでした。7作中5作が入賞だっただけに自らの力量の不足を痛感しています。

3月には佐賀県の嬉野温泉和多屋別荘が主催する「三服文学賞」に応募しました。大賞に選ばれると「ライターインレジデンス」の権利を1年間もらえるという副賞が魅力でした。旅館に泊まって小説を執筆なんて夢のようですよね。まったくダメでしたけど、テーマに沿ってショートショートを書くというのは楽しいことでした。来年もあれば応募したいと思います。

同じ3月には「創元ミステリ短編賞」にも応募しましたが、これもまったくダメでした。

4月は「創元ホラー長編賞」に応募しました。今年限りの募集だそうです。しばらく前に書いた絵画を題材としたホラー小説を書き直して応募しましたが、やはりまったくダメでした。

4月は「第18回ちよだ文学賞」(千代田区主催)にも応募しました。少しだけ自信がありましたが、まったくダメでした。好きな作品でしたので正直ショックです。

5月以降まったく書けませんでした。作家を志す人は毎日書くといいます。見習いたいのですが、なかなかできない。自分は怠け者なのだと最近気付きました(笑)笑いごとじゃない。



詩誌「ココア共和国」への投稿は4年目になりました。
「ココア共和国」には紙版と電子版があり、紙版には傑作集に選ばれた作品だけが、電子版には傑作集と佳作集に選ばれた作品が掲載されます。今年から「高平九」でネット検索すると傑作集に選ばれた号の「ココア共和国」がヒットするようになりました。作家になったみたいでちょっと嬉しいです。

今年は傑作集に7回選ばれました。これは昨年と同じなのですが、内容的には昨年の方がよかったと自分では思っています。以前にも書いたことですけど、小説は意識して努力しないと書けませんが詩は自然に生まれてきます。とは言え、毎月締め切りのある詩誌に投稿してからの方が詩は生まれやすくなりました。誰かも読まれない詩を書くより、誰かに読んでもらえる詩を書く方が楽しいにきまっています。

「ココア共和国」の掲載誌の選考は詩人の秋亜綺羅さんと佐々木貴子さんが担当しています。お2人はもちろん投稿詩すべてに目を通してくれていますが、それ以外にも詩人の齋藤貢さん、漫画家のいがらしみきおさんの「絶賛」、女優の秋吉久美子さんの「いいね!」をもらえることがあります。つまり少なくともこれらの皆さんが自分の詩を読んでくれているということです。「絶賛」「いいね」をもらったときは「読んだよ。面白かったよ」と励まされたような気持ちになります。でも、もらえないときも読んでくれたているのです。たとえ傑作集・佳作集に入れなくても、「絶賛」「いいね」をもらえなくても真剣に読んでくれたという事実には変わりはありませんからね。

「ココア共和国」傑作集掲載の記録
 4月号 風に名を尋ねてみた
 5月号 穴
 7月号 宇宙のベンチ
 8月号 心臓喰い
 9月号 それは降りのエレベーター
11月号 耳たぶ
12月号 果実のせかい

コロナ禍によって人とつながることの大切さを我々は痛感しました。自分のなかの「ほんとうの言葉」を探して人前にさらしてみませんか。そうすれば何かを感じてくれる人は必ずいると思います。もちろん簡単なことではありません。ようやくつかんだと思っても、次の瞬間に見失っていることばかりです。でも探さないことにはけして見つかりません。「探しても見つからなかったよ」なんて詩も私はよく書きます。同じように「ほんとうの言葉」を求めている人にはそんな言葉も響くものです。もちろん「ほんとうの言葉」を表現できれば必ず誰かが反応してくれるはずです。

詩誌「凪」にも創刊号から参加しています。掲載した詩を朗読していただく機会もあって、自作の別の味わいを見つけることもできます。99人の詩人の参加する「凪アンソロジー2023」も来年早々に発行予定です。楽しみです。

演劇

8月に千葉高校演劇第8地区の小芝居祭りに山田組として参加しました。山田組は地区の演劇部顧問や演劇部のOBなどがその都度組んで作るユニットです。この夏の演目は拙作『俺らってやっぱ天使じゃねえ?』。今回は演出だけのつもりでしたが、急に出られなくなった人がいて代役をやりました。いつものことですが稽古はたった3日間。再演とはいえ、なんとかしてしまうキャストに感心します。今回は特に新しい方も多くて楽しく稽古、本番に臨むことができました。お手本を見せようとは思っていません。舞台の上で顧問もOBも現役も隔てなく、みんなで思い切り楽しんで芝居をしている姿を観てもらいたいです。顧問の威厳がどうのこうのという人は山田組にはいません。すべてをさらけ出せる人がいちばん強い人だと私は信じています。
8月27日(日)には千葉市民創作ミュージカル『千年天女』に出演しました。3年前、原作が大賞に選ばれたものの、稽古の途中で無期延期になった作品です。幻の作品になることも覚悟しましたがスタッフや講師の先生方のお陰で上演することができました。作品を救っていただき感謝しています。
新たに集まったキャストは市民ミュージカルにしては少なめの29名でした。しかし、小笠原響先生をはじめ講師の先生方の熱心な指導のお陰で人数以上の迫力ある舞台になったと思います。役者の1人としてはなかなか先生方の要求に応えられずもどかしいこともありました。でも熱い指導に食らいついていくうちにいつも以上の熱量のある芝居ができたような気がします。先生方と仲間たちに「ほんとう」を引き出してもらいました。

10月8日には拙作『白雨五人男女?(しらさめごにんおとこおんなはてな)』四街道公民館まつりで上演しました。私も久しぶりに犬役で出演しました。思いがけず多くの皆さんに観ていただき感謝しています。雨の朝、停留所でバスを待つ5人の男、女、そして?(はてな)の物語です。その日は5人それぞれの人生にとって特別な一日です。1人ずつ見栄を切って内面を語る様子は、歌舞伎の「白浪五人男」のようでもあり、ミュージカルの「コーラスライン」のようでもあります。数年前に県の文化フォーラムで好評を博した作品ですが、今回の反応は今一つでした。キャストは頑張っていたんですがねえ。
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12月3日には四街道市民劇団 座・劇列車の第34回公演『ヒーローのいる町』(作・田悟健一)に出演しました。2年連続のオリジナル作品の上演は劇団始まって以来のことです。私は悪の組織の元幹部で、引退して地元に帰って来たさえない中年男、西ノ森猛の役でした。
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前半は『千年天女』と稽古と時期が重なっていたため、なかなかセリフも入らず迷惑をかけました。悪いことに『千年天女』の公演直後にコロナに感染し私のみならず家族全員が次々倒れました。後遺症もあってなかなかセリフも覚えられず困っていると、今度は原因不明の腹痛に悩まされ、検査を受けようとした矢先に半月板損傷で歩けなくなりました。そんなこんなでなかなか集中できず、いつもなら8月中にはセリフは入っているのですが、今回は11月初旬までかかってしまいました。
たまたまヒーローに怪我をさせられて引退した設定でしたので、セリフを一部変えてもらい杖をついて舞台に立つことになりました。幸い私の膝の方は順調に快復し、多少は痛かったもののなんとか無事舞台を終えることができました。ところが悪いことは重なるもので、公演直前に今度は西ノ森の弟分役の十文字がリアルに左腕を骨折してしまいました。十文字も西ノ森の地元で静養中という設定に変えてなんとか切り抜けることができましたが、いやはや全員無事に舞台に立てることは奇跡なんだと改めて感じました。33回の本公演を一人も欠けずに、つまり無事故で走って来た劇列車はまさに奇跡の劇団です。
お陰様でたくさんのお客様に喜んでいただきました。うちの劇団にしては珍しく大きな拍手や爆笑がありお客様が心から楽しんでくださっているのが実感できました。キャストもノリノリで楽しく演じられました。観ていただいた皆様、本当にありがとうございました。
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個人的なことですが、その後大腸の検査でポリープが1つ見つかり、手術になりましたが、結果もう1つポリープが見つかり2つ切除しました。前日飲むはずだった下剤を紛失してしまい、腸内をきれいにできず一泊二日のはずが二泊三日になりました。カメラを入れる際も憩室が多くて固くなっているようでいつも泣きそうな痛みです。今年の前半に成田山でくじ引きを引いて珍しく大吉でした。どうやらそれがピークだったようです。しかしよく考えてみると、予定されていたすべての公演に出演できたわけですから、実はすごくラッキーだったかとも思えます。私こそ奇跡の人なのかもしれません(笑) 来年1月には私の書き下ろしの『千葉駅零時九分発内房線最終電車殺人事件』を上演します。残念ながら一般公開はしませんが、劇列車が上演する機会もあるかもしれません。どうぞお楽しみに。 来年2月には「長寿大学」修了式に呼ばれています。また今年に引き続き「SAMMU演劇祭」にも参加予定です。どちらも演目は『白雨五人男女?』。前回以上にはじけた芝居にできればと思っています。「長寿大学」は受講生の皆さんしか御覧になれませんが『SAMMU演劇祭』はどなたでも観ていただけます。 期日 2024年2月18日(日) 会場 山武市成東文化会館のぎくプラザホール。JR成東駅から徒歩約13分。 開演 2時。開場は1時半。 チケット 1,000円。高校生以下は800円(学生証などご持参ください) その他 他に「12OGB」「TeamSwit[コピーライト]h」さんが参加します。順番はまだ決まっていません。上記チケットで3団体の公演すべてを御覧いただけます。 座・劇列車は年内の稽古を終えました。来年度の候補は現在7作までしぼられました。そのうちの一つは私が書いたオリジナルです。来年の7日から1月いっぱいかけて候補作を3作までしぼって演出に提案することになっています。まだ正式には発表していませんが、来年度は外部から演出家を迎えて新作に挑む予定です。最終的にどの本を上演するかは演出に決めてもらうことになっています。団員も20名に増えてさらにパワーアップした劇列車を御覧になれると思います。ご期待ください。 最後に毎年応募している「第34回伊藤園お~いお茶新俳句大賞」の結果です。一次選考に通過したものの今回は残念ながら「佳作」でした。その上の「佳作特別賞」に選ばれるとお~いお茶のラベルに掲載され、お茶を1ケース送ってくれます。今回は賞状だけでした。でも俳句を考えるだけで楽しいので来年も応募するつもりです。 以上です。 長々とすいません。読んでくださった奇特な方には来年はきっといい年になるでしょう(笑) では、来年も座・劇列車と高平九をどうぞよろしくお願いします。

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九の近況(12) [その他]

久しぶりに近況を書きます。

小説

物語は私にとって最も古い親友です。父親は商売人でした。映画は好きでしたが本を読んでいる姿は一度も見たことがありません。そんな父がある日「児童文学全集」を買ってくれました。幼い私はそれらの本、「巌窟王」「ああ無情」「家なき子」「フランダースの犬」「小公子」「若草物語」「秘密の花園」などを何度も繰り返し読んでは感動に心を震わせていました。いつかそういう物語を作る人になりたいと思っていました。ですから、売れない小説を書いている今がいちばん幸せかもしれません。

1月末締め切りの「千葉文学賞」(千葉日報主催)に応募したのですが、すでに文学賞自体がなくなっていたことを知り衝撃を受けました。長く続いた地元の文学賞だっただけにとても残念です。

2月は「第3回更級日記千年紀文学賞」(千葉県市原市・市原市教育委員会主催)に応募しました。市原は若いときに過ごした思い出の地です。一昨年も昨年も応募したいと思いながら、なかなか書けずにいたので初めて応募できただけで嬉しく思っています。

3月は佐賀県の嬉野温泉和多屋別荘が主催する「三服文学賞」に応募しました。大賞に選ばれると「ライターインレジデンス」の権利を1年間もらえるという副賞が魅力です。旅館に泊まって執筆。夢のようですね。ショートショートはあまり得意ではありませんが2編出しました。
「創元ミステリ短編賞」にも応募しました。「ミステリーズ」から改名して1回目の募集です。もともとは私の目標は江戸川乱歩賞でしたが、どうもミステリーは苦手なようです(笑)久しぶりに書いたミステリーの短編です。

4月は「創元ホラー長編賞」に応募しました。今年限りの募集だそうです。しばらく前に書いた絵画を題材としたホラー小説を書き直して応募しました。
「第18回ちよだ文学賞」(千代田区主催)にも応募しました。今回で4回目の応募になります。2回目に応募した『桜田濠の鯉』は第15回の千代田賞をいただきました。作品集にも載せていただき妻にも劇団の団員にも読んでもらいました。さて今回はどうかな。

5月は「京都文学賞」(京都文学賞実行委員会主催)に残念ながら応募できませんでした。これまで2回応募し一昨年は一次選考を通過しました。昨年から隔年開催になっているので次の募集は再来年になります。途中までは書いたのでこれから2年かけてしっかり完成させようと思います。
5月中に「第22回このミステリーがすごい! 大賞」に応募する作品をまとめたいのですが、かなり枚数をオーバーしているので、どこを削るか悩んでいます。

5月まで書いた新作は短編2本とショートショート2本です。ジャンルを絞るべきなのかもしれませんが、色々なものを書きたいという思いを抑えられません。むしろジャンルを超えた作品を書きたいと思っています。言うほど簡単ではありませんが。



小説は書きたいと思って書いていますが、詩は自然に湧いてきます。息を吐くのと同じです。世界を吸っていると必然的に詩が生まれます。詩を吐かないと苦しくなります。それが私の詩です。

詩誌「ココア共和国」への投稿を続けています。1月から3月は佳作集(電子版のみ)でしたが、4月、5月と傑作集(電子版と紙版)に載せてもらっています。4月号の『風に名を尋ねてみた』は齋藤貢さんの「絶賛」と秋吉久美子さんの「こりゃいいね!」をいただきました。両方付けていただくのは久しぶりです。5月号の『穴』にもやはり秋吉さんの「こりゃいいね」をいただきました。4月発表の「秋吉久美子賞」の選評には今年も名前を挙げてもらいました。秋吉さんの選評にはなんと「高平九は美しい佇まいの人だ」とありました。もう一人の選考委員である齋藤貢さんにも「賞に選びたいと思った一人」というお言葉をいただきました。お2人の言葉に胸が熱くなりました。お言葉を励みにまた1年投稿を続けようと思います。

「ココア共和国」は投稿詩を中心とした詩誌です。10歳に満たない子どもさんから80歳以上の年配の方まで、様々な世代の人が詩を投稿しています。ずっと詩を書いている人も最近書き始めた人もみんな平等に選考されます。一度電子版でも紙版でも読んでみてください。きっとあなたの胸を熱くする言葉に出会えると思いますよ。

詩誌「凪」2号にも同人として参加しています。「凪アンソロジー2023」にも参加予定です。

演劇

演劇は憧れでした。幼稚園では一人でキリギリスの役をやり、初めて舞台で歌いました。小学校では友達とお芝居を作って上演していました。でも、それからはずっと演劇は遠くから眺めるだけのものでした。30代でパントマイム、40代で芝居を始めました。劇団に入ってから今年で20年になります。芝居は作っているときがいちばん楽しい。稽古大好きです。

2月には座・劇列車としてSAMMU演劇際に参加。『村田さん』(鈴木聡 作)を上演しました。演出を担当し役者としても出演しました。『村田さん』はキャストは5人、35分ほどの上演時間です。とてもいい作品ですので多くの方に演じてほしいです。上演許可をくださった鈴木聡さん、親切に対応してくださった「ニベル」のスタッフの皆さんに感謝です。

3月には劇団ルネッサンスの公演にパントマイムで参加しました。久しぶりに同じやまさわたけみつ門下の先輩川島とも子さんと「舞夢」というユニットを組みました。老舗劇団の大黒柱として長年活躍していた小高皇司さんの引退公演ということもあり、とても温かな雰囲気の公演でした。参加させていただき感謝しています。自分のマイムがいかに錆び付いているか実感した公演でした。

先のことですが、8月27日(日)に千葉市民創作ミュージカル『千年天女』に出演します。3年前原作を書いて大賞に選ばれた作品です。キャストも集まり稽古も始まっていたのですが、コロナ禍のために無期限の延期になっていました。残念ながら今年は参加できないキャストもいましたが、新しい仲間を迎えて3年ぶりに上演できることをとても嬉しく思っています。本格的なミュージカルへの参加は初めてですので、毎回の稽古がとても新鮮で楽しいです。ちなみに私は踊りません(笑)

これも先のことですが、
10月8日には公民館まつり公演があります。演目は未定です。
12月3日には私の所属する四街道市民劇団 座・劇列車の第34回公演『ヒーローのいる町』(作・田悟健一)を上演します。2年連続のオリジナル作品上演は劇団始まって以来のことです。

来年2月には「長寿大学」修了式に呼ばれています。また今年に引き続き「SAMMU演劇祭」にも参加予定です

詳細は不明ですが、来年は千葉県演劇連盟主催の「千葉演劇祭」もあるそうです。

またもや充実した1年になりそうです。
番外

「伊藤園新俳句大賞」には毎年応募しています。今年は久しぶりに「二次審査通過のお知らせ」が届きました。3回目ですが、佳作入賞が1回、もう1回は落選でした。今度はどうなるか楽しみです。入賞すると名前入りのボトルがひと箱届きます。色んな人から「見たよ」という便りが届くのも嬉しいです。
長いブログにお付き合いいただきありがとうございました。

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『千年天女』原作について [小説]

3年前、私は千葉市民創作ミュージカル原作大賞に『千年天女』という作品を応募し大賞をいただきました。小笠原響先生の脚色・演出、音楽は日高哲英先生。歌唱指導は横洲かおる先生、ダンス振付は小林真梨恵先生。素晴らしい講師陣のもと市民のキャストも集い、立ち稽古を始めたばかりの頃に、コロナウイルス感染が広がり残念ながら無期延期となっていました。

その『千年天女』が今年の8月27日上演されることになりました。講師の先生方はそのままですが、キャストはそれぞれの事情もあり再結集というわけにはいきませんでした。しかし、4月から新たな仲間を迎え新しい配役で稽古が始まりました。

蛇足という批判もありそうですが、原作者として自作『千年天女』について思うことを記しておこうと思います。出演者の皆さん、上演を観てくださる皆さんのご参考になれば嬉しいです。

【もくじ】
1、羽衣伝説
2、天女の正体
3、千年
4、平常将
5、千葉市七夕空襲
6、機銃掃射
7、「おばあちゃんの戦争」


1、羽衣伝説

天女が舞い降りて木の枝に羽衣をかけ水浴びをしていると、男がやって来て羽衣を隠してしまうという伝説は日本各地にあります。

古くは滋賀県の余呉湖、京都府の丹後半島のものが「風土記」に記載されています。私は静岡県の清水出身ですので、幼い頃から三保の松原にある羽衣伝説に親しんできました。千葉にやって来てから千葉市にも同じような伝説があることを知り、機会があれば作品のモチーフにしたいと思っていました。

三保の伝説では、男(白龍)は羽衣と交換に天女に舞いを見せるように要求し、天女は優雅に舞いながら天に帰っていきます。ですが、千葉をはじめ他の伝説の多くは羽衣を家の様々なところ(米びつなど)に隠して、天女を妻にするというものが多いようです。羽衣公園の松の脇にある説明書きによると、羽衣を見つけた平常将が天女を妻にめとり、その話を耳にした帝から「千葉」の姓を賜ったとあります。「千年天女」の1場はこのことを元に書きました。そしてこの「千葉(せんよう)と咲く蓮の花」という美しいイメージが平和に暮らす民衆と結び付いたときに、この物語が生まれました。小笠原先生の演出でも舞台上にこの蓮池が出現します。どうかお楽しみに!!

2、天女の正体

天女の正体は白鳥とする説が有力なようです。日本各地に飛来した美しい白鳥を天女にたとえたというのです。また、羽衣はオーロラだという説もあります。かつては日本各地でオーロラが観測されたというこの説を私は気に入って作品に取り入れることにしました。ですから、冒頭に登場する3人の天女がそれぞれ青、緑、薄桃色の羽衣を身につけているのはオーロラのイメージです。白鳥だと白一色になってしまいますからね(笑) 天女はどんな衣装を着て、どん風に舞い降りて来るのか、それは観てのお楽しみです!!

天女は妙見菩薩様の使いという説も、千葉神社を崇拝する千葉市にふさわしいと思います。だから天女の名前は妙見菩薩を表す真言(マントラ)から付けました。真言とはインドの古代語、つまりサンスクリット語で「言葉」という意味です。ただし、単なる言葉ではなく「不思議な力を持つ秘密の言葉」なのです。仏様に呼びかけて加護を願うときにはこの秘密の呼び名を使います。例えば不動明王の真言は「ノウマク サンマンダ バザラダン カン」です。妙見菩薩は「オン ソチリ シュカ」と唱えます。

3、千年

一時、落語の「寿限無」が流行りましたね。私も小学校のとき友人と2人で覚えてクラスで発表しました。担任の先生が気に入って翌日の昼休みに全校放送しました。生放送だったのでとても緊張したのを覚えています(笑)その「寿限無」のなかに「五劫(ごこう)の擦りきれ(ず)」という言葉が出てきます。天女が下界に舞い降りてきて巨大な岩を羽衣で一擦りする。それを繰り返して岩がすり切れてなくなるまでの時間が「一劫」。「一劫」は40億年と言われています。これを5回繰り返すような永遠に近い時間が「五劫」だそうです。天女が下界に降りてくる間隔は3年とも千年とも、あるいは3千年とも言われています。私は天女が地上で生きられる限界を千年としました。特に根拠はありませんけど(笑)

4、平常将

平将門(たいらのまさかど)をご存知でしょうか。佐倉を本拠地としていた武将で、平安時代の中ごろ親族との領地をめぐる争いをきっかけに朝廷に対して謀反を起こし、一時は関東一帯を治めました。かつての大河ドラマ『風と雲と虹と』は将門の一生を描いたものです。と言っても1976年放送なので60代より上の人しかわからないですね(笑)

ちなみに将門は神様として東京の神田神社(神田明神社)にまつられています。除災厄除けの神様ですが、お参りすると勝負に勝つと言われ徳川家康も信じたそうです。ラブライバーの聖地として有名ですが、秋葉原が近いこともあり今では「アニメの聖地」として若者に人気があるようです。また「神田神社(将門)を崇拝するものは成田山新勝寺を詣でてはならない」という言い伝えがあります。成田山の不動明王は将門追討のために京都の神護寺から遷されたものだからだそうです。あまり気にしなくていいと思いますけどね。私はどちらもよく参拝します(笑)神田神社前の天野屋で甘酒飲んで、成田山参道で鰻を味わう。たまりません!!

その将門の次女春姫が平忠常の母親です。したがって平常将は将門のひ孫ということになります。父親の忠常も祖父の将門と同じように反乱を起こしました。どちらの乱もきっかけは強欲な身内や国司との争いでしたが、結果として朝廷に敵対することになってしまいました。

しかし、討ち死にした将門とは異なり忠常は子の常将、常親とともに降伏します。そして京都に連行される途中病死してしまいます。朝廷は降伏した忠常の息子たちを赦し、国に戻った常将らは戦乱によって荒廃した国を再建することに尽力したそうです。

天女を妻にしたというのは伝説に過ぎませんが、美しく聡明な妻とともに国の再建に尽くす常将に、帝が褒美として「千葉」という姓をたまわったという話は好きです。謀反人の子に褒美をくださるなんて、なんと寛大な帝でしょう。

「千年天女」では平和な世の中を思う常将ですが、実は源義家に従って「前九年の役」で戦功を上げたそうです。

常将の孫である常兼は大椎(現在の緑区大椎町)に拠点をおいて大椎権介常兼(おおじいごんのすけつねかね)と名乗りました。そして、その子常重が千葉介常重(ちばのすけつねしげ)と名乗ったそうです。常重の治める千葉庄は下総最大の荘園でした。

千葉氏の祖として知られる常胤(つねたね)は常重の子です。常胤は源頼朝が平家との戦いに敗れて房州に逃げて来たとき、いち早く味方となりました。その後、平家との合戦にも軍功を上げて、鎌倉幕府の有力御家人になり全国に多くの所領を獲得しました。『鎌倉殿の13人』では岡本信人さんが演じていましたね。ちなみに佐藤浩市さんの演じた上総介広常も常将の子孫です。広常が頼朝に粛清された後、その所領のほとんどは常胤が引き継ぎました。

常胤の所領は6人の子が受け継ぎ、千葉氏の種は東北、九州など日本各地に蒔かれて育つことになります。

5、千葉市七夕空襲

私は自分が書くものはなるべく戦争について触れるように努めています。50代以上の方はおそらく分かっていただけると思うのですが、私たちは戦中戦後を生き延びてきた親から戦争の話を聞いて育った最後の世代だと思うからです。B29のブルンブルンという不気味なエンジン音、焼夷弾のヒューヒューという風を切る落下音。空襲のなかを逃げ惑う恐ろしさ。防空壕のなかで耳をふさぎながら死を覚悟したこと。私は10代前半の母の体験をまるで自分が体験したように思い浮かべることができます。この間接的な戦争の記憶をたとえほんの欠片であっても次の世代に伝えるのが自分の役割だと思っています。

私の母は14歳の女学生のときに東京下町空襲を体験しています。家族は秋田に疎開していたのですが、あまりに退屈だったので、祖父のいる東京に戻った直後のことでした。
ですから、B29という名称は幼い頃から母に聞かされていました。ボーイング社が開発した大型戦略爆撃機※B29は、全幅43メートル、全長30メートル。高度10000メートルの上空を飛び、愛称は「スーパーフォートレス(超空の要塞)」といいました。他の米軍爆撃機がモスグリーンとスカイブルーに塗装されているのに、この機体だけはジュラルミン合金のままの姿でした。軽量な合金の利点を生かすためだったと思います。塗料の重さだけでも高度や速度、航続距離に影響するようです。あるいは目立つことのリスクよりも不気味な機体を見せつけることを優先したのかもしれません。

※戦略爆撃機とは戦場から離れた敵の領土を攻撃するための重爆撃機のことです。戦場で使うものは戦術爆撃機といいます。

米軍は日本の占領下にあったマーシャル諸島のグアム、サイパン、テニアンを奪還すると、その島々にB29を配備して日本本土への空襲を始めました。まずは日本の主要都市が爆撃の対象になりました。ただ、初期の空襲は昼間、10000メートルの高高度からの爆撃であったため、それほど精度は高くなかったようです。明るい中での戦闘のため、日本軍による対空放火※や戦闘機による攻撃も一定の成果を挙げました。また強い偏西風に悩まされ、機体をぶつけて損傷し墜落する事故もあったようです。

※対空放火とは地上から敵の爆撃機または戦闘機を攻撃することです。

B29にはそれぞれの機に12名が搭乗していました。空襲のたびに数機が撃墜され、多数の戦死者が出るのに爆撃の成果は上がりません。批判された軍は、司令官を交代させ大幅な作戦の変更をしました。それが3月10日の東京大空襲です。高度を3000メートルに下げ、夜間の爆撃に切り換えたのです。日本の戦闘機も対空放火もレーダーの能力が低く、ほとんど目視による攻撃でしたから、夜間の爆撃には対応できないと考えたのです。機銃を外してその分多くの爆弾、焼夷弾を搭載したそうです。

硫黄島を手に入れた米軍は島の基地からP-51マスタングという戦闘機をB29の護衛として発進させることもできるようになりました。また日本周辺の制海権を握ってからは空母からF4Fワイルドキャット、F6Fヘルキャット(どちらもグラマンです)などの艦載機をやはり護衛として飛ばしていました。これらの護衛機は唯一の脅威だった日本軍戦闘機の体当たりを防ぎ、以来B29は何の障害もなく日本本土への爆撃が可能になったのです。

日本の主要都市への空襲が一定の成果を上げると、矛先は地方都市に向けられました。千葉への空襲もその一つです。

6月10日に蘇我の日立工場を襲った爆撃は爆弾が使用されたそうです。ところが7月7日の千葉空襲では主に焼夷弾が使われました。焼夷弾は木と紙で作られた日本家屋を焼くための爆弾です。落下の途中、地上から700メートルのところで、六角形の親爆弾が分解して、中から38(または48)の子爆弾が飛び出します。子爆弾にはそれぞれ真っ直ぐに落下させるためのリボンが付いていて、建物の屋根を貫通するように工夫されていました。信管は時限式で、爆弾が横になって数秒するとゲル状のガソリンが30メートルの範囲に火の玉となって飛び散ります。この粘性の強いガソリンはナパームとも呼ばれ、家屋や人の体に貼り付くと簡単には剥がれません。バケツの水などでは消すことができない残酷な代物です。余談ですが、当時の人は落ちてくるのが焼夷弾だと分かると田んぼに逃げたそうです。地面が柔らかな土では焼夷弾は不発になることが多いからだそうです。ガソリン混じりの空気は喉を焼き、喉が痛くても溜まった水にはやはりガソリンが混じって飲めません。

房総半島はB29の通り道でした。空襲警報は夜間に頻繁に鳴らされ、市民はうんざりしていたようです。この夜の警報も編隊が通り過ぎて一時解除されました。実はこの夜の空襲は千葉市だけではなく、甲府と私の出身地清水も同時に目標になっていました。ですから、甲府や清水に向かう編隊を見て今夜も千葉には空襲はないと思い込んでしまったようです。それでも、不安に駆られて市内を出ようとした人もいました。しかし自警団に追い返されたそうです。逃げるのではなく鎮火に努めなさいという軍の命令だったのです。この命令によってさらに犠牲者が増えました。

米軍はまず市内の周辺部分に爆弾と焼夷弾を落とし、逃げ場を奪ってから内部を焼夷弾で焼き尽くしました。火に巻かれて、多くの人が命を落とし、家族を失い、火傷を負い、家を焼かれました。※

※資料 『千葉市空襲とアジア太平洋戦争の記録100人証言集』2009年
『千葉市空襲の記録』1980年

どちらの資料にも空襲を体験なさった市民の証言が綴られています。市内の図書館には置いてあるはずなので、ぜひ読んでみてください。

6、機銃掃射

機銃掃射とは機関銃によって敵をなぎ払うように攻撃することです。ここでは千葉空襲で人々を襲った戦闘機による機銃掃射について書きます。

7月7日の千葉空襲ではP-51マスタング(グラマンだったという説もあります)がB29の護衛をしていました。
B29による爆撃が終わると、戦闘機は火災のために昼間のように明るくなった市内を機銃掃射しました。先に焼夷弾を避けて田んぼに逃げた話を書きましたが、田んぼや埋め立て地、砂浜などにいる人々はこの標的になったようです。

当時は空襲に備えてあちこちに防空壕という避難所が作られていました。ところが防空壕もけして安全な場所ではありませんでした。焼夷弾の直撃によって多くの人が防空壕のなかで亡くなったそうです。実際、千葉市文化センターのすぐ近く(旧パルコのあたり)にも、大きな防空壕がありましたが多くの方がその中で亡くなりました。防空壕に残るか外に逃げるか人々は迷いました。そして、壕に残った人は火に焼かれ、逃げ出した人々には機銃掃射が襲いかかりました。

当時の米軍では、予定の目標を攻撃した後、目標を自分で選んで攻撃することが許されていたそうです。B29の護衛をしていたはずの戦闘機が各地で目撃されているのはそのためです。作家の開高健氏や指揮者の小澤征爾氏が機銃掃射された体験を語っています。2人ともパイロットの笑う顔を見たそうです。逃げ惑う人々を見て笑っていたパイロットは何が面白かったのか?
中には小学校の近くで下校する生徒を待ち受けて攻撃した例もあるといいます。おそらくそのパイロットにも国に愛する家族がいたことでしょう。戦争が人を狂わせるのです。

戦果を記録するために戦闘機にはガンカメラが装備されていました。パイロットが機銃を撃つと自動でカメラが作動して攻撃の様子を記録しました。ガンカメラの映像はYouTubeなどで見ることができます。恐ろしい威力です。狙われたらとても逃げられません。

7、「おばあちゃんの戦争」

私の母も物干し台で洗濯物を干しているときに米軍の戦闘機を目撃したと話していました。

最後に母のことでもう一つ思い出したことがあるので付け加えさせてください。

子供たちがまだ小学生のときです。母の戦争体験をぜひ聞かせたいと思い語ってもらったことがあります。ビデオも撮影し「おばあちゃんの戦争」とタイトルを付けました。孫やひ孫にも見てほしい我が家の宝になるはずでした。
長い思い出話の後で、母は真面目な顔をして言いました。
「いいみんな。だから戦争は絶対にやっちゃだめ。祖母ちゃんは戦争中つらいことがたくさんあったからね。みんなにはあんな思いをしてほしくない」
 ここで母はにっこりと微笑みました。
「でも、どんなときもね、あたし恋だけはしてたのよ」
 息子たちは複雑な顔をして満足そうに笑う母を見ていました。この最後の一言で家宝にしてよいものか迷っています(笑)

 広島で被爆して亡くなった女学生たちは地味な服ともんぺの下に、お洒落なお手製のシャツやスカートを重ねて身に付けていたそうです。
 そう言えば、千葉空襲の看護師さんの証言にも、命からがら逃げるとき手荷物のなかに化粧道具をしのばせていたという話がありました。この女性は結局身に付けていたコンパクトが機銃掃射の弾を防いで九死に一生を得たそうです。
 当たり前のことですが、悲惨な空襲の下にも普通の青春や生活があったんですね。戦争はそういう人々の暮らしや人生をすべて奪ってしまいます。

 私が書いた原作のテーマは「平和」です。平和も豊かさも多くの日本人が求め続けてやっと手に入れた宝物です。その宝物を失わないためにはどうすればいいのか?その宝を世界のものにするためにはどうすればいいのか?

今回のミュージカルが私たちに突きつけられたこの大きな「[?]」について考えるきっかけになれば嬉しいです。

長い話にお付き合いいただきありがとうございました。

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皇産霊神社に初詣 [その他]

四街道市和良比の奇祭「はだか祭り(どろんこ祭り)」で有名な皇産霊神社(みむすびじんじゃ)に行って来ました。

昨年の公演の際、四街道市文化センターホールのホワイエに鉛筆画で有名な福田芳生さんの作品が展示されていました。それを見た劇団の入村代表が興奮したように私たちに報告したのです。
「皇産霊神社の近くの防空壕と思い込んでいたものは実は本土決戦に備えて少年たちを訓練する施設だったみたいだ。子どもの頃、近くで遊んでいたのにまったく知らなかった」

福田さんの絵の説明によると、少年たちはその施設で敵戦車前に爆弾を抱えて飛び込む訓練をしていたそうです。

当時の軍部は、九十九里浜から連合軍が上陸し東京に向けて進軍すると想定していたそうですから、途中で待ち伏せして戦車を破壊するための少年ゲリラ兵を育成していたのでしょう。

皇産霊神社はもっと遠いところにあると思い込んでいましたが、実は家から徒歩30分のところにあることを知りました。しかもかつて何度も歩いた散歩コース沿い。迂闊過ぎます(汗)

四街道駅の南口前から真っ直ぐ延びている「おやしき通り」の道沿いに神社に通じる小道があります。「おやしき通り」はかつて豪農ばかりが居を構えていたためその名が付いたそうです。駅から徒歩で20分ほどだと思いますが、かなりの急勾配を下りて上るので足に自信のない方はバスを利用してください。四街道駅発「みそら団地行き」に乗り「皇産霊神社前」降車。

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バス停の先に「どんぐりの森」という手書きの表示がありますので、その小道を左に入ります。この表示はなぜか駅とは反対向きにかけられているので見逃しがちです。畑と住宅の間の細道をしばらく進むと左手に神社の森が見えてきます。右手にあるのが「どんぐりの森」という子供の遊び場です。

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この神社は、明治までは大六天神社(だいろくてんじんじゃ)という名称でした。地元の人は今でも「大六天様」と呼ぶそうです。「大六天」は「第六天」とも書き、仏教における欲界の最高位「他化自在天」の別称で、衆生の欲望を叶えることを喜びとします。欲望を捨て去ることを説いた仏教では修行を邪魔する悪魔のように位置付けられていましたが、庶民にとっては何でも願いを叶えてくれる存在ということで関東を中心に広く信仰されました。織田信長が自身を「第六天魔王」と称したという話もあります。「大六天神社」は元々神仏習合の寺院でしたが、明治の廃仏毀釈運動により御祭神を変更したり、この神社のように他の神様を合祀したりして存続をはかったそうです。当地では厄除けの神様として信仰され、子どもたちの無病息災を願って「はだか祭り」が行われたようになりました。

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一方、皇産霊神社は日本各地にあり、天地造化の大神、高皇産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)の二神大神を主祭神として皇産霊大神と尊称しています。高皇産霊神は男神、神皇産霊神は女神とされ、これら二神の「ムスビ」が宇宙の根本と考えられています。しかし、明治になって近くにある寺院の吉祥院から分かれなくてはならなくなりました。そこで大六天神社に合祀されたというわけです。

つまり、廃仏毀釈によって名称を隠したい第六天神社、吉祥院から分かれなくてはならなくなった皇産霊神社、両者の利益が噛み合ってできた神社ってことですね。まさに「ムスビ」の神です。

神社に向かう小道

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鳥居

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狛犬

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本殿

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境内

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1月4日世の中は仕事初め。午前中の境内には人影はなく、とても静かで空気が澄んでいます。深く積もった枯葉に足を沈めながら境内の裏手にも回ってみました。木々の間から和良比の町を望むことができます。

帰りしな可愛い参拝者たちと出会いました。近くの保育園の子どもたちでしょう。はしゃぐ声を聞きながら、来たのとは反対の道を下りて行くと市立四街道中学の裏手に出ました。

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ふと大事なことを忘れたのに気付きました。代表の言っていた施設を確認していなかったのです。仕方がないので道を戻ってそういう施設がないか見て回りましたが、結局見つけることはできませんでした。おそらく代表が子どもの頃は施設の一部が残っていて、福田芳生さんはその施設の由来を地域の古老から聞いていたのでしょう。しかし、施設の残骸が片付けられ、由来を知る人がいなくなれば、すべて忘れ去られてしまいます。今更ながら町や村の記憶というのは誰かが残そうと努めなければ、なかったことになってしまうのだなと思いました。

本土決戦前には上陸地点である九十九里浜から東京への経路にこのような施設がいくつも作られたことでしょう。配備されたのは義勇兵として動員された少年たちです。

まだまだ情報が足りませんが、皇産霊神社の近くで本土決戦に備えていた少年たちのことはぜひ形にしたいと思っています。

森の中にひっそりと鎮座する小さな神社です。近くの方は一度お参りしてみてはいかがですか。

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九の近況(11)~私の2022年~(4)演劇 [その他]

脚本・演劇

今年は3回も舞台に立つことができました。

3月にはやまさわたけみつ先生の主宰するパントマイム集団MMTの『色即是空』に参加しました。「神奈川演劇祭」参加作品でした。フランスのアビニョン演劇祭でも好評を博した名作に参加させていただくことができ、稽古から本番まで最高の時間でした。馴れない殺陣の稽古ではとにかく足手まといにならないように必死で演じました。両足の爪が真っ黒になり筋肉痛に苦しみながらも楽しんでいました。やまさわ先生、藤井さん、キャストの皆さんに感謝しています。

10月には四街道公民館まつりの座・劇列車公演『村田さん』(鈴木聡 作)に出演し、演出も担当しました。30分強の短い作品ですが味わいのある名作です。

12月には座・劇列車第32回公演『オカリナの少年~クロスロード2』(作・演出 高平九)がありました。3月から11月まで楽しく充実した稽古ができました。私の個人的な思いが詰まった作品でした。形にしてくれたキャスト、スタッフに感謝しています。集中して観てくださったお客様にもお礼を申し上げます。稽古から育てた熱が舞台をはみ出て会場全体に広がったような気持ちになりました。ありがとうございました。

来年は舞台の機会が増えそうです。

 2月26日(日)「SAMMU演劇祭」『村田さん』(作・鈴木聡)
 (山武市成東文化会館のぎくプラザ)演出・役者として参加します。


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 3月25日(土)・26日(日) 劇団ルネッサンス第160回公演『かくれんぼ』  (千葉市南部青少年センター)2部「雑エンタテインメント」に出演します。

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 8月27日(日)千葉市民創作ミュージカル『千年天女』  (千葉市民会館)原作を書きました。出演もします。プレ稽古は3月から始まります。  2023年はこの他に公民館まつりと第33回公演があります。忙しい年になりそうです。    すでに第33回公演の演目の選定が始まっています。昨年から1人が1作必ず推薦作品を提出することになりました。14作品が推薦されましたが様々な事情から8作品にしぼられました。来年はこの8作を読むことから始めます。なお、そのうちの2作は私ともう1人の団員が執筆中です。1月中旬までに書き上げてみんなに読んでもらい他の6作と競うことになっています。どうなることやら楽しみです。  今年も座・劇列車と高平九をよろしくお願いします。



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九の近況(11)~私の2022年~(3)詩 [その他]



11月に詩誌『凪』の創刊号が発刊されました。同人の半数以上の方がすでに詩集を出版している詩人の皆さんです。同人の端に加えてくださった主宰の石川敬大さんに感謝しています。たくさんの方に読んでいただきたいのですが売り切れ状態のようです。私の手もとにも残っていません。来年3月に2号の発刊予定です。創刊号はすぐに売り切れてしまいました。2号をお読みになりたい方はぜひ予約なさってください。


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詩誌「ココア共和国」への投稿も続けています。

 1月号 『できそこないの言葉』佳作集
 2月号 『セブンの孤独』佳作集
 3月号 『ほんとうの歌』傑作集
 4月号 『僕のシュレッダー』佳作集
 5月号 『チョコの拳銃』傑作集
 6月号 『やさしい公園』傑作集
 7月号 『うちにはねシタイがあるんだよ』傑作集
 8月号 『白い消しゴム』傑作集
 9月号 『黒い皿』傑作集
10月号 『ひび』佳作集
11月号 『チキンカレー』傑作集
12月号 『赤いバトン』佳作集

昨年に続いて毎月欠かさず投稿することができ、すべて傑作集または佳作集に選んでいただきました。投稿数が増えてかなりの狭き門となっているようですが来年も楽しみながら頑張ります。

詩作は自分の心の庭になった果実をもいで収穫する感覚でやっています。毎回どんな果実がなるのか自分でもわかりません。地面の具合や天候によって実のできは違いますが、とにかく丁寧に洗って磨きをかけて出荷しています。喜んでいただけるかどうかはすべて読んでくださった方次第です。甘く感じる方、苦く感じる方、あるいは未熟と感じて捨ててしまう方もいるでしょう。「ココア共和国」の検品はだんだん厳しくなってきています。

「ココア共和国」には紙版(税込770円)、電子版(税込275円)があります。紙版には傑作集のみ、電子版には傑作集と佳作集が掲載されています。ぜひ一度読んでみてください。きっとあなたも詩を書いて投稿したくなりますよ。

購入、応募はこちらで↓

詩誌「ココア共和国」ホームページ
https://www.youyour.me/
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九の近況(11)~私の2022年~(2)小説 [その他]

小説

今年は第25回「伊豆文学賞」の佳作に選んでいただきました。『戸川半兵衛の黒はんべ』という作品です。

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私は東京で生まれましたが、1歳から18歳まで静岡市の清水で過ごしました。千葉に来たとき初めて黒はんぺん(かつては「黒はんべ」と呼ばれていました)が静岡にしかないことを知り愕然としました。黒はんぺんは私の大好物だったからです。母校の岡小学校の近くにはおでんを食べさせる店があって友達とよく行きました。駄菓子も売っていたので小学生でも入りやすかったのだと思います。それに串に刺したおでんは1本5円か10円で子どもでも買い食いできるような安価な食べ物でした。静岡のおでんは円い釜で炊かれて、真ん中にある味噌を自分で付けて食べました。その甘い味噌が私は好きでした。具材の中でも黒はんぺんは大人気でした。家庭で食べるときは大人はちょっと炙ってショウガ醤油などで食べまていました。フライにしても美味しかった。子どもはおやつとして生でかじっていました。

黒はんぺんはイワシやアジ、サバなどを材料としています。これらを骨ごとすり身にして、つなぎの澱粉、塩、砂糖を加え皿などの高台に半分塗って型をとって茹でます。「はんぺん」という名は高台の半分にだけ塗りつけたことから名付けられたそうです。骨ごとすり身にすることでわずかなジャリジャリした舌触りが残ります。

そんな清水っ子のソウルフード「黒はんべ」を創ったのが小学校中学校の同級生秋山君のご祖先であることを知ったのは最近になってからです。秋山君とは同じクラスになったことはありませんが共通の友人はたくさんいます。それらの友人たちを介してFacebookでつながることができました。秋山君は天才です。スポーツにおける実績は素晴らしく、オーダーメイドのジーンズショップの経営のかたわら動物の飼育にも熱心で、地元のテレビ局の取材を受けたこともあります。最近では廃材を利用したアーティストとしても活躍しています。そんな秋山君を知ると先祖が黒はんぺんを創ったという話も説得力がありました。いつもは口数の少ない秋山君のお父様が酔うと御先祖が黒はんぺんを作ったという話をしていたそうです。家族の歴史が江戸時代から親から子へとつながれて来たという話は魅力的でした。

この話に興味を持った私はまずは黒はんぺんの起源について文献を調べはじめました。ところが起源として挙げられている文献のどこにも該当の記事を見つけることができませんでした。念のため他の文献も調べましたが、私の調べた限りでは黒はんぺんにつながる記事はどこにもありませんでした。仕方なく秋山君の話を中心にほとんど私の想像で書き上げました。
秋山君の話はとても詳細で説得力がありました。当時の網は粗くてシラスや桜エビは捕獲できなかったこと、イワシの重さで船が転覆したなどのエピソードはすべて彼の話をもとにしています。秋山くんの話がなければこの物語は生まれなかったと思います。

1つだけ変更したことがあります。秋山君の話では隠居した徳川家康が豊漁のイワシのほとんどを捨ててしまうことを惜しんで賄方の戸川半兵衛に新しい食べ方を考案するように命じたとありました。まだ肥料としての干鰯(ほしか)が普及していない時代のことです。半兵衛は秋山くんの御先祖である清水の網元秋山仁右衛門に相談し、仁右衛門が考案されたのが「黒はんべ」だったそうです。
これを私は家康の孫である駿河大納言忠長が駿府城にいたときの話に変えました。家光と忠長の確執については以前から書きたいと思っていたからです。特に忠長の乱心を伝える家光側の勝者のストーリーに反発を感じていました。しかしながら、今思えば家康のままの方がほんわかした優しい話になったような気もします。この作品を読んでみたい方は直接出版社にお問い合わせください。

第二十五回「伊豆文学賞」優秀作品集 羽衣出版(054-238-2061) 定価1,400円
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拙作の他、最優秀賞『海豚』(髙部 努)、優秀賞『黒潮の岬』(江尻七平)、佳作『ラスト・ソングス』(シズカ・クサナギ)をお読みいただけます。いずれも読み応えのある作品ばかりです。またこれら〈小説・随筆・紀行文部門〉の他に〈掌編部門〉の優秀作品も掲載されています。

9月には同人誌「山田組文芸誌」の第7号が発行されました。同人は全部で5名。今回参加したのは3名でした。小さな同人誌ではありますが、これまで参加した同人誌はすべて3号を発行できずに終わっていましたので、第7号まで続けることができてよかったです。

今回のテーマは「映画」。今から半世紀以上前、私が中学1年のとき、従兄弟たちと『ローマの休日』を初めて観ました。そのときのことをもとに『ドリーム座の休日』という短編を書きました。他の2編も力作です。よろしければ読んでみてください。

山田組文芸部
https://note.com/yamadagumi
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この他はショートショートを1本書いて「BOOK SHORTS」の「第9回ブックショートアワード」に投稿しました。この賞は全国の民話やお伽噺などをもとにショートショート(5000字以内)を書いて投稿します。月ごとに優秀賞の発表があり、12月までの各月の優秀賞作品から大賞が選ばれます。大賞に選ばれた作品は映像化される可能性もあります。登録すればどなたでも参加できますよ。民話やお伽噺に想像力の羽をつけて飛ばすだけですから書きやすいですし、長さも手頃です。気軽に挑戦してみてください。

「BOOK SHORTS」
https://bookshorts.jp/

新しい小説の構想はいくつかあるのですがなかなか書き始められずにいます。
長編は2本。1本は以前書いた時代小説の続編、もう1本は第2次世界大戦を背景とした長編です。
短編は4本。2本は時代小説。2本は現代小説。それぞれ応募する文学賞も決まっています。
とにかく書くしかありません。駄作を恐れず書くだけです。

この他に3月に結果の出る応募作が2編あります。
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九の近況(11)~私の2022年~(1)座・劇列車公演 [その他]

大晦日に書いています。今年も1年ありがとうございました。

座・劇列車第32回公演『オカリナの少年~クロスロード2』(作・演出 高平九)が無事終演いたしました。御来場いただいた皆様、応援していただいた皆様ありがとうございました。


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アンケートやメールなどで感想が続々と届いています。嬉しかったのは地元の方が四街道の歴史に興味を持ってくださったこと。それから芝居をきっかけに身近な方と戦争について語り合ってくださったことです。母方のお祖父様が野戦砲兵学校の校長だったことを初めて知った方がいました。実は親戚に少年砲兵がいらしたという方もいらっしゃいました。帰りにルボン山に登ってくださった方もたくさんいらっしゃいます。


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今作の上演意図の一つは、観ていただいた皆さんに四街道の歴史や戦争について思い出してもらうことでした。私たちの今は間違いなくその延長上にあるのに、日々の忙しさにかまけて忘れてしまっています。そもそも戦争を体験した方の多くが、あまりにつらい経験であったために口を噤んで語らないそうです。その口を無理にこじ開けようとは思いませんし、その行為を責める気持ちもありません。ただ戦争の本当の姿を伝えてくれないとその事実はなかったことにされてしまいます。そしてまた同じことを繰り返してしまいまいます。そういう危惧を抱いて重い口を開いてくださった方もいらっしゃいます。私たち世代の役割は戦争を体験した皆さんの話に耳を傾けて次世代に伝えることだと思います。
私の母は女学生のときに東京空襲を経験しています。祖母や叔母達は秋田の親類の家に疎開していましたが、田舎はつまらないと言って母は1人で東京に帰って来たそうです。都庁に勤めていた祖父は東京の中野にいました。帰りの列車が機銃掃射されたそうです。下町空襲の翌朝には川を流れていくおびただしい数の死体を見たそうです、家の物干し場で艦上機に乗る敵パイロットの顔を見たそうです。そして夜空を銀色に光るB29の編隊がブルンブルンという不気味なエンジン音を響きかせ、その機体から焼夷弾がヒューヒューと風を切って落ちてくる音を聞いたそうです。そんな話を子どもの頃から聞かされていました。思うにそれは母の私へのバトンだと思います。「戦争だけはやってはだめ」と母はいつも戦争の話を締めくくりました。母はもういませんが、この芝居を作ったことをきっと褒めてくれると思います。母からもらった大事なバトンを少しだけ渡すことができたように感じています。

それぞれの思いをこめて熱演してくれた劇団の仲間、素晴らしい舞台を作り上げてくださった劇団アルファーの皆さん、そして何より会場に足を運んでくださったお客様に感謝いたします。
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九の近況(10) [その他]

九の近況(10)

いつの間にか前回の近況から1ヶ月半経ってしまいました。特に忙しいわけでもなかったのですが、心にゆとりがなかったのかもしれません。

小説

8月に同人誌「山田組文芸誌」第7号『ドリーム座の休日』という短編を投稿しました。今号のテーマは「映画」。中学1年のとき劇場で『ローマの休日』を観たときのことをベースに書きました。締め切り間際に致命的なミスを見つけて編集長に迷惑をかけてしまいました。申し訳ない。

「山田組アカデミー賞」というオススメの映画紹介文も載せていますので、よろしければ読んでみてください。書棚の本を見ると人物がわかるといいますが、好きな映画にもその人が反映しているものだと思います。さて、同人たちは皆さんの目にどんな人物として映るでしょう。

https://note.com/yamadagumi/
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集英社ノベル大賞から選評が届きました。今回の2作は前回投稿したホラー小説よりは評価がよかったと思います。6つの観点それぞれについてABC判定がついてきます。 1つの作品は現代の京都を舞台として少女の冒険譚。もう1作はある拳銃を主人公にした時代小説です。どちらの作も4つの観点でAをもらいました。コメントも好意的でした。ちょっと甘すぎるかな。でも励みになります。ありがとうございました。 7月締め切りの第17回小説現代長編小説賞、8月締め切りの第14回小説野生時代新人賞は毎年目標としている文学賞ですが、今年はどちらも応募ができませんでした。残念です。 9月は第43回横溝正史ホラー&ミステリー大賞、第19回坊っちゃん文学賞第20回北区内田康夫ミステリー文学賞の締め切りがあります。いずれもWeb応募が可能です。残念ながら昨年佳作をいただいた伊豆文学賞は応募できませんでした。 [緊急のお知らせ] SPAC‐静岡県芸術文化センター奥野晃士(おくのあきひと)さんが、オンライン企画『伊豆文学賞作品を語る会』にて、昨年佳作をいただいた拙作『戸川半兵衛の黒はんべ』について語ってくれるそうです。昨日、中学校の同級生秋山くんから連絡をもらいました。『戸川半兵衛の黒はんべ』は清水っ子のソウルフード黒はんべ(黒はんぺん)を発明した秋山くんの御先祖と駿河大納言忠長の家来戸川半兵衛との交流を描いたものです。資料が少ないのでほぼ私の妄想ですが、秋山くんがお父上から聞いた話を元にしています。この作品を書けたのは秋山くんのお陰です。 奥野さんはSPACのベテラン俳優だそうです。拙作をどのように解説していただけるのかとても楽しみです。どなたでも無料で聴くことができるようです。 9月21日(水)午後7時から。 https://www.facebook.com/events/802466920785134/ 詩誌「ココア共和国」への投稿を中心に活動しています。7月号傑作集に『うちにはねシタイがあるんだよ』、8月号傑作集に『白い消しゴム』、9月号傑作集に『黒い皿』をそれぞれ掲載していただきました。 月に何度か自分の心の深い場所にダイブして何かをつかんで来ます。つかんできた欠片をきっかけに詩ができることもあるし、ただの断片で終わることもあります。毎月、どんな詩が生まれるか自分でも分かりません。それがまた楽しみでもあります。 さらに深く潜りたいといつも思っています。ですがそれにはもっと勇気と覚悟が必要です。今月はもう少し深いところに手が届くのか。自分でもわかりません。 紙版(税込770円)、電子版(税込275円)があります。 購入、応募はこちらで↓ 詩誌「ココア共和国」ホームページ https://www.youyour.me/ 先日『黒い皿』を題材に「これは小説か詩か」を考察していただきました。パーソナリティは紀政諮(きのまどい)さんと現代詩人になりたいアーニャbotさん。 ツイキャスの番組名は「コーヒーハウスまどい」夏休み期間特別企画「オペレーション〈恐竜人間(ディノサウロイド)〉‐現代詩人の素養を身につけよ‐」です。 https://twitcasting.tv/shizen_writing/movie/745550580 企画のコンセプトは散文詩を読解して「詩か小説か」を判定するというものです。結論としては「小説」と判定されてしまいました。もちろん作者として詩として書いているわけですが、読者によって小説と思われても仕方がありません。紀政諮さんは19歳の学生さん、アーニャさんは年齢不詳ですが、おそらく若い方だと思います。若いお二人がどんな読解をしてくださるかドキドキしながら聞いていましたが、時間をかけて詩の深いところまで丁寧に見ていただき、とても参考になりました。普通に詩を書いていても、こんなに深く読んでいただく機会はあまりないので感激です。若い方の感性は素晴らしいですね。紀政諮さんの豊かな知識を背景とした考察もよかったし、紀政諮に促されて謙虚に語るアーニャさんの鋭い指摘にも驚かされました。 40数年前、大学の教授が話してくれた詩人の吉野弘さんのエピソードを忘れることができません。細かな部分は間違っているかもしれません。御容赦ください。 ある中学で『夕焼け』を教材とした研究授業がありました。その反省会で「少女が最後に席を譲らなかったのはなぜか、生徒から色々な意見がありましたが、作者としてどういう考えで書かれたのですか?」と司会者が吉野さんに質問したところ、「生徒さんそれぞれの考えを尊重します。私がどういう意図で書いたかは言うべきではありません」と突っぱねたそうです。 詩人が自作について語るのは愚かなことです。詩における謎は詩人から読者に手渡されるバトンであって、そのバトンがどんな色なのかどんな形なのかどんな重さなのかは、渡された読者が決めるべきものであって、もはや詩人がとやかく言うことではありません。読者に手渡されたバトンがその人生の中で何らかの意味を持てばいいのです。いや、意味なんかなくても心の引出しのかなにそっと仕舞われていればそれでいい。忘れ去られることさえ詩の役割なのだと思います。 『黒い皿』の中にもしも誰かが謎を見出したとしたら、その謎を自分なりに解釈してみたとしたら、そのときこの作品はその人にとって小説ではなく詩になるのだと思います。 新しい詩誌『凪』(石川敬大主宰)の同人にしていただきました。同人は現在21人。すでに詩集を出している方もいます。「ココア共和国」の仲間も何人かいます。創刊号は11月に発刊予定。楽しみです。 戯曲・演劇 四街道市民劇団「座・劇列車」は12月4日(日)の第32回本公演『オカリナの少年~クロスロード2』(作・演出:高平九)に向けて通し稽古をしています。9月から通し稽古を繰り返して少しでもいいお芝居をお目にかけられるように頑張っています。 この芝居の主人公は戦時中まで四街道にあった陸軍野戦砲学校で学んだ少年砲兵です。2期生の一部は11ヶ月で繰上卒業となり前線に送られました。大本営の誤った情報により彼らの乗った輸送船は五島列島西海上で敵の潜水艦の魚雷を受けて沈没。70名いた先発隊のうち目的地のに行き着いたのは29名でした。生き残った少年砲兵もフィリピン、ビルマの激戦地に送られ、無事に帰国できたのは8名だけ。物語では時を超える不思議なオカリナを手に入れた少年砲兵が、現代にやって来て老人となったかつての戦友と出遭います。 10月9日(日)に予定されている「四街道公民館まつり」に参加します。今年はコロナ感染予防のため日ごろ公民館を利用している団体のみの発表会となりました。一般の方は入場できませんのでご注意ください。役者もマスクを着けて演じます。 演目は劇団ラッパ屋の主宰鈴木聡さんの書かれた『村田さん』です。演出は私高平。村田さんという人物の通夜の受付が舞台です。30数分の短い芝居ですが、笑い→しんみりの仕掛けが実によくできていて、特に中高年にはしみる芝居かもしれません。次回はぜひ多くの皆さんにも観ていただきたいです。

キャストは団員の小林和子、北清香、林健太郎、山田光太郎、それに客演の坂尾維彦です。

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観劇
7月にはパントマイムの師やまさわたけみつ先生とパパイヤ鈴木さんの公演を観てきました。錦織一清さんがゲストということもあって満員の会場は女性だらけ。パパイヤ鈴木さんと若いダンサーさんたちが先生のマイム作品に参加。とても楽しい作品になりました。皆さん、さすがに身体の使い方が上手です。パパイヤさんとニッキのダンス講義も楽しかった。
8月にはやまさわ先生のマイムに関する講義を聞きに川崎まで行きました。「異文化交流」の講座の1つでした。会場のカフェには20名ほどの観客。マイムの歴史についの講義にはじまり、若き日の先生の活動やマイムとの出遭いなど、これまで断片的に聞いていた話をようやくまとめて聞くことができました。講演のあとはそれぞれの自己紹介をしたり、先生のアルバムを見せていただいたり、あるいはアビニョン演劇祭の失敗談など楽しいで盛り上がったり、とても楽しい時間でした。 同じく8月には第3回四街道オペラ『被爆はまゆうの伝説』を観ました。前半は病気から復帰なさった安藤由布先生のガラコンサート、後半が市民によるオペラでした。 市民オペラには劇団員の小林和子(天野夫人役)、『やまんば おゆき』にも出演していただいた小林重昭さん(尾島良平役)、小松勢津子さん、それに元劇団員の長澤志保子さんが参加しています。さらに千葉市民創作ミュージカル原作大賞の仲間、庄司真由美さん。ガラコンサートでの独唱も素敵でした。 この作品は西村一郎氏の『広島・被爆ハマユウの祈り』が原作だそうです。陸軍兵士尾島良平は任地の広島で譲られたはまゆうを兵舎の庭で大切に育てていました。しかし、尾島は原爆の投下によって被爆し、故郷の鎌倉に戻りました。終戦の3ヶ月後、ハマユウのことが気になった尾島は広島に行き瓦礫の下でハマユウが咲いているのを見つけます。そして放射能に負けずに生きたハマユウの花を平和の象徴として世界中に送ったそうです。 白いハマユウの花が一瞬にショールになったり、バレエダンサーがまるで妖精のように物語に花を添えたりと素晴らしい演出の作品でした。四街道市民の皆さんの平和への思いにあふれた舞台だったと思います。その思いを今度は座・劇列車が引き継ぐことができるように頑張ります。お疲れ様でした。 毎回、長くなり申し訳ありません。最後まで読んでいただきありがとうございました。                                         高平 九

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