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御朱印帳散歩20 根岸神社 [朱印帳]

6月11日(日)
今日は知り合いが出演する芝居を観るついでに、根岸神社を参拝することにしました。

空は曇っていましたけど、気温は暑くも寒くもなく散歩に最適です。電車の中や劇場は冷房で寒いことも予想されるので、上に羽織る物を用意して出かけました。




今日観るお芝居は京成本線新三河島駅近くの劇場キーノートシアターで上演されています。そこは客席数が100足らずの小さな劇場でした。劇団結成からまだ4回目の公演ということでしたけど、すべてにおいて丁寧に作り込まれていて、とても心を動かされました。単純な乙女の恋の話と思いきや、万華鏡の話、ネルソン・マンデラの言葉、はたまた相対性理論まで盛り込まれていて、約3時間があっという間でした。特にニューハーフの歌姫フィリーがすごかった。この歳になって乙女の失恋話で泣かされるなんて思いもしませんでした。もちろん、私の知り合いも頑張っていました。プロになったばかりなので、これからも応援したいと思います。

観劇の後、京成本線で日暮里駅に出ました。出口は西口です。↓



坂を上がると↓



有名な夕焼けだんだん



谷中ぎんざ





谷中ぎんざの狭い道にたくさんの人があふれていました。メンチカツを買って歩きながら食べました。

突き当たりを左折します。人影が急に少なくなって不安になります。普通の住宅地の中を蛇行した道がしばらく続きます。

道の左側は谷中、右側は千駄木 ↓



千駄木駅近くを過ぎると、歯医者の大きな看板があって、その先を右折します。真っ直ぐ商店街の中を進むと、交差点の向こうに……。↓



この坂を上がると、右手に根岸神社の鳥居が現れます。↓











楼門随身門(ずいじんもん)です。↓



参道から向かって左の随身「かどのもり」↓



あとで知ったのですが、右手の随身のモデルは水戸光圀公だそうです。そっちを撮影すべきだった。

神楽の舞台



手水場





社殿





御朱印



乙女稲荷神社









ミニ伏見稲荷みたいです。鳥居が低いので、私の背丈171センチでも、少し屈まないと頭をぶつけます。

徳川家宣の胞衣塚(えなづか)





乙女稲荷神社の鳥居の切れ目にありました。散歩をしているとこういう意外な物にぶつかるので楽しい。
「胞衣」(えな・いな)とは、分娩の際に排出される胎盤などの総称です。家宣の胞衣がこの石の下に埋められてるんですね。

乙女稲荷神社本殿



本殿前に小さな舞台のような場所がありました。そこから望む根岸神社本殿。↓



さらに進むとこんなものが……。↓





近隣にあった庚申塔をまとめたのだそうです。
庚申塔は庚申塚ともいいます。先日散歩に行った巣鴨にもありました。

「庚申」は暦の「かのえさる」の日のことです。中国の道教では人間の体内に「三 尸(さんし) 」という虫がいて、60日に一度の庚申の日に宿主が眠ると、天帝に宿主の罪悪を報告に行くと信じられていたそうです。それを防ぐために皆で一緒に夜明かしをすることを、平安時代は「庚申待ち」江戸時代は「庚申講」と呼びました。
庚申塔はこの庚申講が3年18回続いたことを記念して作られる物が多いようです。

上の庚申塔に彫られているのは「青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)」です。この像は仏教で 三 尸を押さえると言われているので、庚申塔の意匠によく使われるとか。
下はご存知「三猿」です。庚申の「申」が干支の「さる」であることから、その連想で意匠に使われたようです。
神道の猿田彦神も意匠として使われるそうです。
江戸時代、関東を中心に数多く作られた庚申塔ですが、明治になってからは迷信と言われて壊されたり、こんな風に一カ所にまとめられたりしたといいます。

こんなものも……。





塞の大神(さえのおおかみ)の碑だそうです。「塞の神」は村の境などにあって、悪鬼悪疫の侵入を防ぐ神です。

さらに奥に行くと、もう一つの稲荷社。

駒込稲荷神社







最後に根津神社の裏側もチェックします。裏参りが出来るかもしれません。残念。ここは出来ないようです。

帰って来てから知ったのですが、漱石や鴎外が小説の構想を練ったという「文豪の石」とか「鴎外の石」(本名の森林太郎名で寄贈した石)とかもあったのですね。まあ、こういう見落としも散歩にはつきものです。

千代田線の根岸駅が近いので、そこから電車を乗り継いで帰りました。

以上、根岸神社御朱印散歩でした。

読んでいただき、ありがとうございました。御朱印帳を持って散歩に行きましょう。

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