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詩『あどけない話』(高村光太郎)について(2) [詩]

あどけない話 『智恵子抄』より

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
                 青空文庫より

以前、高村光太郎の詩「あどけない話」の2つ目の「ほんとの空」「ほんとうの空」になっているテキストがあるということを書いた。

その後、ブログにコメントをくれた方がいて「単なる間違い」と断定していた。もしかするとすでに何度か取り沙汰されて決着がついた事件なのかもしれない。そう考えるとちょっと恥ずかしい。

でも、もう少し説明をしてほしかったなあ。誰がどこで間違えたのだろうか。

どちらの詩句も「ほんとうの空」となっていたなら「単なる間違い」も納得できる。しかし、2つ目だけが「ほんとうの空」なのが面白い。

現にそういうテキストが複数あるということは、よほど権威のある人、または出版物が間違えたのだろうか?

不謹慎だとは思うが、こういう謎は答えが分からない方が断然面白い。

余談だが、私は子供の頃から百人一首のカルタが好きでよく遊んでいた。

母親もカルタが好きで、子供のころ東京の実家の近所にいた陸軍少将だか海軍少将だかの家に呼ばれて行ってカルタをしたのが自慢だった。

母の得意札は藤原定家の「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」。母は読み手のときに「まつほ(松帆)」を「まっぽ」と読んだ。

母のカルタ好きは祖母の影響らしい。母方の祖母は秋田の横手高等女学校在学中に寮生活をしていて、当時、教員していた石坂洋次郎とカルタで遊んだのが自慢だった。『青い山脈』や『若い人』に出てくる女学生のモデルは自分だと言い張っていた。

祖母の得意札は「夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ」。清少納言の父親清原元輔の祖父、清原深養父の歌だ。

祖母はこの歌の「いづこに」を「どんこに」と読んだ。子供のころ、そういう読み方がとても面白くて興味を持った。母の「まっぽ」、祖母の「どんこに」、どちらの読みにも彼女たちの匂いがした。

母も祖母も絶対に得意札は取らせない。人に取られるとすこぶる不機嫌になる。それがかえって面白くてわざと母や祖母の得意札を狙ったりした。

私が最初に覚えた歌は「きりぎりす」とか「ほととぎす」などの動物が初句にあるものだった。「百敷や」も「ももひき」と似ているのですぐに覚えた。百番目の順徳院の歌である。

得意札は「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」。有名な小野小町の歌。あまりに有名なのでなかなか取れない。中学生になると友達とカルタを競う機会も増えたが、上手な子はきまってもっと特徴のない句を得意札にしていた。

密かに好ましく思っていた女子は「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」(藤原実方朝臣)が好きだった。頭のよい子だったけど、こんな激しい恋心を秘めているのかとドキドキしたのを覚えている。気を引こうとしていつもこの札を狙っていたが、なかなか取れなかった。カルタも強い子だった。

私は静岡の清水で育った。だから「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」という山部赤人の歌は早くに覚えた。清水の子にとって富士山は日常である。風景の中になくてはならない存在だった。この歌を覚えない子はいなかった。

しかし、国語の授業で『万葉集』を勉強すると、原歌を知ることになる。
田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
あれれ?である。子供の頃から親しんだ百人一首の歌と違うことに混乱した。

これは百人一首を選んだといわれる藤原定家の間違いなのか? それとも万葉古歌をその時代に合わせてアレンジしたのか?

大学で『万葉集演習』を受講した。『万葉集』の歌を万葉仮名一つひとつにこだわって読んで発表するという演習形式の授業だった。図書館で様々な資料を読みレポートにまとめる。考察が十分でないと容赦ない叱責が飛ぶ。その授業を通して万葉仮名がいかに読めないかを思い知る。

『万葉集』と藤原定家の時代は四百年以上の隔たりがある。平安末期であっても『万葉集』は謎の多い歌集だったと思う。

田兒之浦従 打出而見者 真白衣 不尽能高嶺尓 雪波零家留

この歌は富士を讃える長歌に添えられた反歌である。

これを見ると「田兒之浦従:たごのうらゆ」「真白衣:ましろにぞ」「家留:ける」を、百人一首の歌のように読むのは無理がある。定家でなくてもそんな基本的な間違いはしないはずだ。

とするとやはり定家の意図的なアレンジなのか?

母は「松帆」を「まっぽ」と読み、祖母は「いづこ」を「どんこ」と読み換えた。それは歌に対する愛情ゆえだと思う。好きな作品は自分のものにしたくなるものだ。

藤原定家もそうなのか?

百人一首は出家した御家人宇都宮蓮生に依頼されたものだという。定家が作った百人一首の色紙は小倉山に建造された蓮生の別荘の襖を飾った。

そういう個人的な鑑賞物だったからこそ、定家は万葉古歌を自分流にアレンジすることもできたし、幕府にはばかって『新古今和歌集』から外された後鳥羽院とその子順徳院の歌も入れることができたのだろう。  

さて、「あどけない話」「ほんとうの」は単なる写し間違いなのか、それとも誰か熱烈なファンのアレンジなのか?

詩人の清岡卓行は、教科書にも掲載されている有名な評論『手の変幻』の中で、ミロのビーナスが両手を失ったのは「芸術作品の運命」だとしている。ミロのビーナスはその運命によってたまたま両腕を失うことで、平凡な彫刻から国境や時代を超えて愛される芸術作品へと飛躍した。それがこの評論の主旨だと思う。

芸術作品は一度作者の手を離れてしまえば、土の中に埋められて両手を失うこともあれば、持ち主の思いつきによって何かを描き加えられることもある。音楽ならば勝手にアレンジされることも拒否することはできない。

解釈もまた然り。自分の小説や脚本がどう解釈されるかは読む人次第である。小説は原作に堕し、脚本は演出家と役者、そして観客のものになる。

詩はどうだろう?

しかし、詩は言葉が命だ。やはりどんなに好きでも勝手にアレンジするのはやめてもらいたい、と作者は思うだろうな。

やはり、「ほんとの空だといふ。」が光太郎が書いた「ほんとの」詩句なのだろうな。

相変わらずまとまらない文章ご勘弁。
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