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趣味 [詩]

  趣 味              高平 九

 趣味ですか。
 趣味と言えるか分かりませんけど、毎晩、コンビニの前に座っています。
 そう、コンビニエンスストアの店頭。仕事が終わるのがたいてい八時ごろなんで
す。会社の近くの駅から電車で二つ目の駅まで行き、そこから十二分くらい歩いた
ところにある店です。
 いいえ、家は郊外ですよ。まったく逆方向でそこから二時間くらいかかりますね。
あんまり会社から近いと誰かに目撃されたりするでしょ。会社で話題にされたり
すると面倒臭いし、それにね、もし私がすわっているのをいいことにして同僚のだ
れかが隣にすわりでもしたら、最低ですから。ほんとにそれだけは最低ですから。
 家の近くだって一緒です。死んだ親父が代々住んでいたし、母も近所から嫁いで
来たんで知り合いが多いんですよ。だれかに見つけられて、みんなが見に来るよう
になったらせっかくの楽しみが台無しですよ。
 はい、ジュースの自動販売機と電話の間ですけど。背広姿ですわっている私をで
すか、別に不審がったりはしませんね。近くに大学があるせいか若い人が風呂上が
りにジュース買ったり、郷里に電話したりしてますけど、だれも私にはほとんど無
関心です。もちろん私の方はジュースが出てくる時のごっとんという音や、はじめ
標準語だった言葉が次第に方言に変わったりするのを、黙って聞いて楽しんでいた
りはしますけどね。風呂上がりの女性の髪の香りなんかもいいですね。
 はじめは抵抗ありました。だけど、一回すわってしまえば、なんてことはありま
せん。そりゃあ、すわるタイミングは大事ですよ。座るときに周囲の人に目立って
しまうと、不思議なことにその日は一晩中、しっくりきません。今じゃ、すわるコ
ツを修得してしまって、失敗することはめったにありませんけど……。
 ある夜、女の子が来たんですよ。いえ、そんなんじゃくて……色恋じゃありませ
んよ。小学校の四年生くらいでしょうか。髪が短くて男の子みたいな顔かたちの子
なんです。七月のはじめ、もうかなり暑くって風呂帰りの若者が店でアイスを買っ
て食べる姿が目立ちはじめたころです。私がそこにすわるようになってから二週間
くらいたっていて、もう三日に一度はちゃんとすわれるようになっていました。そ
の夜もちょっとした取引きの失敗なんかあって疲れがたまっていたんだけど、それ
までで一番うまくすわれたような気がしました。すわれた瞬間、顔にそんな満足感
が出たんでしょうか。気がつくと目の前に白いワンピースの女の子がじっとこちら
を見おろしているんですよ。そして、その顔が、とがめるような、十歳くらいの子
が三十過ぎの男を見てですよ、まるで子どもの有頂天をとがめるような目で見てい
るんです。私、頭にきましてね、お前なんかに何が分かるんだと言ってやりたかっ
たんだけど。いえ、言わなかったんです。でも、その子は私の顔を見て笑ったんで
す。
 けして馬鹿にした笑いじゃありません。とてもね、優しい微笑みだった。なんて
言ったらいいんでしょう。産まれた瞬間の赤ん坊が、はじめて母親と対面した時見
たようなあったかいものでした。……信じてないでしょ。いいんですけど、別に信
じて貰えなくたって。とにかくびっくりしちゃって、だってそうでしょ。初対面の
小学生の女の子が、叱るような顔をしたり、その後すぐに今までだれもしてくれな
かったような優しい笑顔を向けたり、それもどこの馬の骨とも分からないコンビニ
の店頭にすわりこんでいる男にですよ。
 話ですか。しませんでしたね。その子はただ黙って私の前に立って、こちらを見
ているだけで、五分ほど経つと、突然歩き去ってしまったんです。そして、その次
の夜も、その次も。毎晩その子は私の前に立つようになったんです。私はだんだん
純粋に趣味としてそこにすわるのか、その子に逢うためにそこにすわるのか自分で
も分からなくなってしまいました。彼女は前に立って、私が傲慢だったり意地悪だ
ったり、ひねくれていたりすると、それを目でとがめて、そしてすぐに笑顔で赦し
てくれる。それだけなんだけど、それが、ちょっとおおげさだけど、私の生きがい
みたいになってしまって。
 趣味って言えば、その子は習い事をしていて、いつも帰りがその時間になるらし
いんです。一度彼女の知り合いらしい中年の婦人が、コンビニの前で彼女をみつけ
て「あら、バレエの帰り。偉いわねえ」と声をかけたのです。私はその時まで彼女
がなぜそんな時間に毎日そこにいるのかとか、全然考えませんでした。ちょっと考
えれば小学生ですものね。不自然かもしれませんね。しかし、結構多いんですよ。
塾の帰りらしい子供たちが。だから私、ぼんやり塾の帰りぐらいに思ってたんです
ね。それにしても彼女はいつも大きなバッグを抱えていたんだから、ふつうの塾じ
ゃないことくらい分かりそうなもんですけど、まったく観察力がなくて、これじゃ
出世できないのも当り前ですか。
 とにかく、その女の子はバレリーナの卵らしいんです。顔が小さくて、姿勢もい
いからいいプリマになれますよ、きっと。
 三日前、私、落ち込んでいたでしょ。とてもコンビニの前にすわる余裕なんかな
い状況だったけど、結局すわりに行ってしまって、小雨が降っていて、客も少なく
て、ただうなだれてジットリすわっていました。ちょうど九時頃、女の子が現れま
した。白い靴下が目の前に止まって、赤い傘からぽたりと雨粒が私の髪の中に落ち
て、額から鼻筋に流れてきた。顔を上げると彼女の顔はいつもと違って、暗く見え
た。コンビニの明るすぎる人寄せの照明にもかかわらず、暗くかげって見えた。す
ぐに、彼女はふっとあの笑顔を見せてくれたけれど、その夜に限っては私の心は黒
く凝ったままだった。私たちの他にはだれもいませんでした。
 すると彼女はふいに浮いたんです。かかとが地面から浮いて爪先立ちになって、
ふりそそぐ光の中、身体が緊張し、腕が手前で輪をつくる。彼女の片方の脚が軽く
曲げられたと思う間もなく身体が脚を中心に回転した。ピルエットだ。ピルエット
です。彼女はその場で何度も何度も、バレエのピルエットを繰り返した。
 私、泣いてしまいました。恥ずかしいんですけど、涙が止まらないんです。光の
中で回っている彼女が、まるで光そのものみたいに美しくて、美しいものを見て泣
くような感受性が私にもまだあったんですね。そして、翌日からその子はそのコン
ビニの前には来なくなってしまったんです。どうしてでしょう。私にも分かりませ
ん。つらくないかって、いや、むしろほっとしました。私は今でも、彼女の来ない
コンビニの前にすわっている。今では始めたころのように純粋な気持ちですわるこ
とができています。まったくの、趣味としてね。           (終)
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